Vol.352 07年6月9日 週刊あんばい一本勝負 No.348


スーパー再オープン

 いつも暗い話題ばっかりなので、ちょっと明るい話を。近所のスーパーが突然閉店して数ヶ月経つのですが、この6月1日、また突然再オープンしました。少しはなれたところに巨大な24時間営業のスーパーがあるので、つぶれても不自由はないと高をくくっていたのですが、思っていたより巨大スーパーは遠く、敷居高く、使い勝手もイマイチということが判かり、不便をかこっていました。カミさんなんぞは近所のスーパーがなくなったことを理由に買物に行かなくなり、毎日の食卓がインスタントと乾き物ばかりのつらい日々でしたから再オープンは朗報です。なぜ一度つぶれたスーパーが再生したかは、これはまた長い物語があるのですが、土地の所有者が「他の業者に貸すのはやめてほしい。Nを再チャレンジさせるべきだ」という近所の人たちの意見を組み入れた結果だというのですから、これは美談ですね。この土地に引っ越してきて四半世紀、週に2回は必ず買物をしてきた場所が突然消えるというのは、かなりの衝撃で、いい勉強をさせてもらいました。これからも何とかつぶれず、がんばって維持していってもらいたいものです。
 同じく近所ネタですが、最近山登りの後は温泉に入るようになりました。ノボセ体質なので温泉は好きではないのですが、汗をかいた後の温泉は格別ですね。遅ればせながら、温泉を徐々に好きになりつつあります。先日も高松岳に登った後、秋の宮温泉に入り、そのあと仲間と別れて一人で泥湯温泉に泊まり、翌日は小安や須川の温泉郷まで足を伸ばしてきました。足を伸ばすっていっても、このへんは湯沢市ですから、もとはといえば地元です。なのにほとんど足を向けたことがないのですからあきれますね。県南部の温泉郷を回ってみて、とにかく自然豊かなことに驚きました。車で走っていても人工的なものが視界に入らない時間が長く、まさしく太古からの緑の回廊を旅している感覚を味わえる場所というのはそう多くないのではないでしょうか。これからは山に登るたびに近場にある温泉に積極的に入ってみようと思っています。今のうちに入っておかないと近所のスーパーのように突然消えてしまったりするかもしれませんから。
(あ)
再オープンした近所のスーパー
泥湯温泉
小安峡

No.348

真贋(講談社インターナショナル)
吉本隆明

 吉本隆明のいい読者ではないのだが、このところけっこうよく読んでいる。思想書は今も苦手だが、この手の生活哲学風の本は好きだ。言ってることがよくわかるからだろうな。自分でも実践できそうな心構えや逆説的な知恵がいっぱい詰め込まれている。世の中に絶対的な価値観は存在しない、というのが著者の「信念」である。「できるだけいいことをいいこととして言わないように、それだけは心がけてやってきました」という姿勢には共感が持てる。いいことを言うときはさりげなく平気な感じで。逆にちょっと腕白な悪童のようなことを言うときは大きな声で。そうすると自分への毒のまわり方は少ない、という。文学には利もあれば毒もある。いいことばかりではない。たとえば瀬戸内寂聴が「死ぬことは怖くない」などと声高に言うのは毒が回った証拠という。自分が死と慣れ親しんでいるだけで、死を超えたような錯覚に陥っているからだ。「僕が唯一全否定できるもの、悪と認めてはばからないものに「戦争」がある」と吉本は断言している。この本は書下ろしではない。しゃべったことを編集者が構成したもの。聞き書きとは違うが編集者の力量が問われる本造りだ。ちょっと気になったのは本人が書いた「あとがき」の文章に、力が入りすぎたのだろうか、ちょっと異質の文体になっている。

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