Vol.199 04年6月26日 週刊あんばい一本勝負 No.195


暑い東京をウロウロしています

  1ヶ月ぶりに梅雨の東京にやってきたのですが、その暑さにたちどころにノックダウン。寝るときクーラーをつけるのが常識の大都会ですから、それですっかり体調を崩してしまいました。気分はもう涼しい秋田に傾いているのですが、今回はなぜか打ち合わせや、友人を家に招いたり、遠出したりと、けっこう忙しいので、まだこの地獄の大都会から脱出できずにいます。夏の東京はホント、ねっからの雪国体質には生存不可能ですね。アマゾン地方よりも不快な暑さというのがあるのをはじめて知りました。
 それでも猛暑の中、写真にあるように森達也『下山事件』の舞台裏になった日本橋のライカビルが解体される現場を見てきました。銀座では無印良品3階で友人が常設展をやっているギャラリーをやっと訪ねることができたのですが、主は不在でした。そして中学時代の同級生と上野で40年ぶりに会いました。いやぁ懐かしかった。海を見たのも久しぶりです。それも房総半島の太平洋です。手前はフノリをほしているところ。このほかにも友人を招いてホームパティや何やかやあったのですが、あまりの暑さに写真を撮るのを忘れてしまいました。
(あ)

渋谷でアイリッシュ

 アイルランドには3000とも4000とも言われるほどたくさんのアイリッシュバンドがありますが、その中でも5本の指に入るといわれる「ダービッシュ」のライブを見るため、東京渋谷のクラブ・クワトロまで行ってきました。ダービッシュはアイルランドの西部、スライゴーを拠点に年間100回ほどライブを行っているバンドです。彼らの住むスライゴーはノーベル文学賞を受賞した詩人W・B・イェーツゆかりの地でもあり、昨年行った会社のアイルランド旅行でもこの町に1泊し、パブでバンド演奏とギネスを楽しんできました。
 以前からダービッシュが好きだった私は彼らの2度目の来日を知り、発売と同時にインターネットでチケットを入手、この日を心待ちにしていたのです。コンサートには東京に住む友人などと4人で行くことにし、景気付けに日曜日は昼から営業している銀座の「シェリークラブ」でシェリー酒を引っ掛けてから会場に向かいました。田舎ものの私にとって人ごみの渋谷は苦手ですが、今日はそんなことを言っていられません。オールスタンディング形式のクワトロは30歳から40歳代の客を中心に満員です。女性ボーカルのキャシー・ジョーダンを中心に、フィドル、ボタンアコーディオン、フルート、マンドリン、ギター、ブズーキーの7人編成のステージでは、スピード感あふれるアイリッシュ・ミュージックが次々と繰り広げられ、あっという間の2時間30分でした。会場の盛り上がりも最高で、今が旬のアイリッシュバンドの実力を強烈に見せてくれました。
 コンサート終了後は道玄坂にある「ザ・ダブリナーズ・カフェ&パブ」というアイリッシュパブのテラスでギネスです。コンサート帰りのアイルランド人や日本人たちが私たちのすぐ近くに陣取り、アイルランドの楽器を上手に使い演奏したり、アイリッシュダンスを踊ったりしています。それを肴に私たちも次々とグラスを傾けてきました。
(鐙)

ダービッシュのコンサートパンフレット

渋谷のパブで演奏する客たち

今週の花

  今週の花は、5種類。
 スカシユリは、花びらの間に透き間があるので「透百合」。花びらは6枚あるように見えますが、実際は3枚で残り3枚はガクです。
 アルストロメリアはスウェーデンの植物学者アルストレーメルにちなんで命名されました。花びらの内側には昆虫を誘うための点線のような模様があります。
 セキチク(石竹)は石に刺さった竹の矢から咲いたという伝説から名前がついたといわれています。別名「唐撫子」で、意味は「中国からやってきた撫子」。ちなみに「撫子」は「我が子を撫でるくらいかわいい」という理由。
 スプレーマムの「スプレー(spray)」は花や実のついた小枝、「マム」は「chrysanthemum(菊)」の略。よって「1本の茎にたくさんの花を付けた菊」ということになります。
 ドラセナ・サンデリアーナは和名を「ギンヨウセンネンボク(銀葉千年木)」。ドラセナ属はとても長生きする植物で、カナリア諸島にあったリュウケツジュ(ドラセナ・ドラコ)は樹齢6000年を超えると推定され、世界最古の植物だったそうです。「ドラセナ」の由来は、ギリシャ語で「雌の竜」を意味する「ドラカイナ(drakaina)」。リュウケツジュの樹脂が「竜の血」のように赤いことからこの名がついたそうです。
(富)

No.195

アマゾンの歌(中公文庫)
角田房子

 30年ぶりに再読。初版は昭和41年に毎日新聞から出ていて、その10年後に中公文庫版が出たのを買った。本の3方は黄ばんで、文字も小さく、カバーも手垢に汚れているが、20代からこのかた、私にはもっとも大事な本の1冊である。この本を読み20代後半にアマゾン移民の取材をしようと決め、以後、かの地に何度も通いつめる羽目になった。まだアマゾンについて一冊の本も書いていない無駄飯取材の「元凶」である。何度かアマゾン通いをするうち、この本のなかに何もかも書かれていて、自分が付記するものなど何もないことに打ちひしがれ続けた。それが書けなかった理由だが今回読み返してみて、角田房子にとってはかなり荒っぽい取材が目立つ本であることも初めてわかった。これが年をとるということかもしれない。しかし角田にしろ、この本ともう一冊のアマゾン本を書くために、そんなに何度もアマゾン取材に行ってるわけではない。ラフが目立つのも当然で、小生のように何度も行かなくてもこれだけ精緻な記述ができることに、やはり敬意を表すべきだろう。30年ぶりに再読したのは、小生もそろそろ本腰でアマゾン移民に落とし前をつけなければ、と決意したからである。

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