Vol.1300 2025年11月29日 週刊あんばい一本勝負 No.1292

デジタル鷹匠になりたい!

11月22日 大事件が起きた。一日のうちの12時間を過ごす、わが引きこもりシャチョー室での出来事だ。床に食べこぼしや、ソファー、椅子の布に積年のシミがこびりついている。きれいに汚れを落としたいのだが、為す術もなく年月が過ぎてしまった。昨日、ふと思いついて、あの便器の汚れを落とすトイレブラシで、その垢やシミをゴシゴシやってみたらどうだろう。ダメもとだと思いついた。ちょうど買い替え用のトイレブラシがあったので、即実行に移した。……これが面白いように落ちた。雑巾や紙布巾で何度やっても落ちなかったシミや汚れが、便器に立ち向かう敵意に満ちた気持ちで拭きだすと、いとも簡単に汚れは落ちたのである。汚れが落ちるとシャチョー室全体に清涼感が漂い出した。わが心はいま、新しい部屋に移り住んだように弾んでいる。

11月23日 やたらと3連休が多い。フリーランスのような仕事なので経営者としてはありがたくない。できれば1年中「休日なし」が理想である。こうした偏波な考えは、自分の給料は自分で生み出さなければならないフリーランスの、ある種共通の感覚のような気もする。というわけで、早く終わってほしい連休だが、今日はちょっと外に出て休日を満喫したいと思っている。ついでに明日も遠出しようかニヤニヤしている日曜日……。

11月24日 高速道にミドリ色の線が引かれていた。この線をまたいで運転すれば道路の真ん中を走れますよ、ということなのだろう。道路の中央より若干右寄りに線が引かれているのが気になったが、運転席の真下にこのミドリ線が来るように運転した。なるほど、そうすれば中央分離帯のワイヤーロープ防護柵と適切な間隔が保たれる。そのための「車両誘導線」と理解していいようだ。小生、自他ともに認める運転ベタ。1車線の道路を走っていると自然に左にそれ、道路わきラインに触れ、車の警告が出る。対向車との接近を恐れ、自然に左側に寄ってしまう悪い癖があるのだ。この緑のラインは、そういったダメな奴のための安全運転指南でもあるようだ。この「ミドリの線」、実は秋田県が考案したものと言われているが、本当なの?

11月25日 車中のカーステレオはもっぱら落語。CDに入っている古典や名演をUSBに落とし込んだものを聴いている。毎週、テレビの「日本の話芸」で聴く現代若手落語家の落語も録画している。録音で一流名人たちの噺を「デフォルト(基本)」として聴いているから、テレビの若手落語家の噺を聴くと、下手だなあ、と感じてしまう。クラッシックも同じ。生演奏など聴いたこともない環境で生きてきたので、録音されたマエストロたちのものが「デフォルト」になってしまった。だからアマチュアの演奏を聴くと、その下手さだけが際立ってしまう。生演奏という機会のない田舎育ちには宿命のようなものなのかもしれない。名人とアマチュアの間にあるグラデーションが存在しないのだ。厄介なところだなあ。

11月26日 クマ騒動はまだやまない。冬眠前のひと騒ぎだろうと高をくくっていたが事態はもう少し深刻なようだ。そのさなか秋田市の動物園から逃げたクマの話題は、不謹慎ながら笑ってしまった。飼育員がカギをかけ忘れたのだそうだ。あのクマ舎はけっこう広い。メスのツキノワグマ・ルビーが1頭いるだけだが、彼女は相撲の「宇良」そっくりのクマだ。ピチピチのあんこ型で筋肉質で運動神経のよさそうな女の子(といっても20歳だそうだ)。とにかく活動的で、パンダのようにのんびり竹を喰っているのとは正反対、せっかちに下手から上手に足早に移動を繰り返し、時折こちらをぎょろりとにらみ返す。小柄で動作は機敏、こんなのと山で鉢合わせしたら瞬間で襲われてしまう。クマに襲われるというのは「宇良に至近距離からぶちかましをくらう」ようなもの、と私はルビーを見るたびに思っていたものだ。

11月27日 COP30という国際的な気候変動会議が開催されていたブラジル・ベレンの友人から、メールで一枚の写真が届いた。北アマゾン秋田県人会の創立65周年記念式典に秋田県知事がわざわざ来てくれました、という知事一行と写した記念写真だ。この10月、11月は秋田県知事にとってコメ問題からクマ騒動と、最も忙しく日夜報道陣の目にさらされていた時期だ。そんな中、往復するだけで4日はかかるアマゾンまで10月中旬、知事一行7人は1週間の予定で出張していたのだ。サンパウロまでは直行便があり24時間で行けるが、ベレンはさらにそこから飛行機を乗り換え4時間。秋田では知事のベレン訪問を知らない人が多いが、政治家というのは改めて大変な職業だなあと感心した。私も何度かベレンへ行っている。リオやサンパウロに住むブラジル人でさえ「生まれて一度もベレンへは行ったことがない」という人がほとんどだ。仕事とはいえ激務であることに変わりはない。たぶん今の私なら、旅行後の疲れが取れるまで1週間は床に伏しているだろう。先ずはご苦労様でした、とその労を多としたい。

11月28日 久しぶりに近所の近隣公園まで足を延ばした。ノースアジア大学横の太平川沿いにある。クマがよく目撃される場所だ。たぶん公園は半閉鎖状態だろう。青空の広がる気持ちのいい午後だったが、やはり人っ子ひとりいなかった。公園上空をうるさく鳥が一羽舞っていた。いや、鳥ではなく、小さなドローンだった。森の中から若者が操作しているようで、ものすごい勢いで木々や低い林の中を滑空し、若者の手の上に舞い戻っていく。ゲームコントローラのようなものはなく、ケータイ電話のようなもので操作していた。なんだか鷹匠の世界をみているようだ。ドローンの出現によって映像やドキュメンタリーの世界は大きく表現の幅を広げた。ドローンなしでドキュメンタリーはもう成立しない。小学生の時、カメラにあこがれ無性に欲しがったものだが、いまはドローンだ。免許が必要な世界らしいが、私もデジタル版の鷹匠になってみたい。 

(あ)

No.1292

不忠臣蔵
(集英社文庫)
井上ひさし
 赤穂浪士の討ち入りは日本人なら知らない者はいない。でも殿中での斬りつけから討ち入りまでの時間は「1年半ほど」というのは知らなかった。5万3千石の播州赤穂藩には308人の家臣がいた。そのうち「義挙」に参加したのはわずか47人。現役だった家臣は36名で、隠居や足軽、元家臣や部屋住みの若者が8名いた。50歳以上が10人で、最高齢は77歳だ。家臣の1割ほどしか「義挙」には参加していないことになる。事件の背景には5代将軍綱吉への恐怖と嫌悪があった。「生類憐みの令」が次第に過激になり病的な様相を呈する。犬殺しを密告したものには30両の報償が出て、蚊の大量発生と伝染病の流行に悩んだ時代だが、蚊を殺したかどで遠島になったものまでいた。ほとんどトランプ政権だ。この綱吉政権への強い不満の蓄積が赤穂浪士の仇討ち行動を江戸市民に待望させる情勢を作った。本書では「一挙」不参者の事情が語られる。「義士」として討ち入りするほうが「不義士」として生き続けることより、易きにつくことではなかったか、と著者は疑う。浅野家中の多数は「少数派」であり、その家臣たちの言い分を聞いたのが本書だ。一人がたりに近い形で語られるのは、なぜ義挙に参加しなかったのか、という一点だ。厳密な歴史考証と想像力で「忠臣蔵」を問い直す。

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