Vol.1296 2025年11月1日 週刊あんばい一本勝負 No.1288

アイデアが降りてくるとき

10月25日 今日は「栗駒山」山行だったが急きょ中止に。参加者の一人が東成瀬村のクマ騒動で、「近くなので行くのはやめてくれ」と家族に懇願されたためだ。20年前に比べると市町村主催の登山会というのが少なくなった。安全面や市民からのクレームなどが多くなり、行政側が責任を負いかねる、という判断のためのようだ。山歩きというちょっぴり危険でハードで孤独な「遊び」で、ある程度の危険は納得済み、という考えはもう過去のものになっていくのだろう。昨夜、たまたま深夜にNHKBSテレビで観た「ガザあるジャーナリストの死」は最後まで見てしまった。精神科医のドクター桑山さんは昔、何度か会ったことがある。山形大医学部出身の医師で、世界中を飛び歩き、戦火の子供たちのケアーを行っているドクターだ。同じ日、28年前の減反政策を巡って国と対立した岩手県東和町のドキュメンタリーも面白かったなあ。

10月26日 栗駒山が中止になったので、Fさんと2人で大潟村へ。行く前に御所野のショピングセンターで買い物。昼はインド人のやっているカレー屋で野菜カレー。大潟村では友人のI君の格納庫(大型機械を収納したり、もみすり機や乾燥機、在庫を置いておく)を訪ね、作業を見学。去年の米価の売り渡し価格は2万4千円、今年は3万6千円。もち米にいたっては4万円台だという。もちろん大潟村は農協などまったく眼中にないから「業者売り渡し価格」だ。

10月27日 土日はデスクワークを離れ外に出ていた。朝からアトリオンに書道展。次は文化創造館で「古本市」。一店舗だけ酒田の古本屋さんが岩波文庫中心の棚ぞろえで、高井有一『遠い日の海』の初版本もきれいにセロファンを巻いて500円。それらを5点買う。ここ以外は中学生の夏休み読書コーナーだ。昨日行った雄和の独立系書店も若い女性が経営者だった。今この手のカフェー系書店がはやりなのだそうだ。

10月28日 「給食」について原稿を書く予定だ。ちょうど「おいしい給食」という映画が封切り中。給食大好きな中学の若い教師と、給食マニアの中学1年生が毎日の給食を巡ってガチ対決するストーリーだ。そのあまりのくだらなさに逆にすっかりはまってしまった。というのも小生、昭和24年のド田舎生まれ。中学時代は弁当で過ごした最後の世代だ。給食にはものすごい「憧れ」と「コンプレックス」がある。酔うと、思い出話の定番である「給食」話にまったくついていけない負い目が、あったのだ。

10月29日 今日の新聞では「クマの街秋田」という表現を使っていた。散歩をしていてもクマ鈴を鳴らして歩いている人が多くなった。山用のクマスプレーを持ち歩いたほうがいいのかもしれない。クマ撃退として効果があるとされるクマスプレーだが、たいがいはアメリカ製で1万5千円する。簡単に買って子供に持たせる、というような安価なものではない。さらに一回使うとほぼ終わり。私は一度しか使ったことはないが(それも試しに)、西部劇のように早打ちするなんて芸当は難しい。身近なもので撃退に役立ちそうなのは傘だろう。クマが出たら傘をぱっと開く。大きなものが怖いクマは驚いて逃げていく、ような気がする。

10月30日 昨日からメールの送受信がうまくいかない。メールができないとほとんど仕事が前に進まない。インターネットは問題ない。デスクトップのフォルダーやファイルにバツ印がついて「ストレージがいっぱい」の表示がでる。このところ文章を書く機会が増えて、やたらめったらデスクトップ上のフォルダーが増え続けている。それが原因だろうか。

10月31日 未だメールの送受信が不通。イライラするが、どうしようもない。原因不明なのだ。ずっと中断状態だった、ブラジルの「トメアスー紀行」という原稿を書きだした。アマゾンのトメアスー地区にはかれこれ40年以上通っている。日本人がつくった移住地なのだが、何度トライしても、このルポをうまく最後まで書きとおせない。自分の力量を超えたテーマなのだろう。膨大な取材ノートと集めた資料が手元にある。その処理がまったくできないのだ。それが数日前、「あっ、こんなふうにすれば書けるか」というちょっとしたアイデアが閃いた。そのアイデアにすがって、とにかく歩き始めてみよう。これがダメなら、もう年齢から言っても、この原稿はあきらめるしかない。しんどいけどやるしかない。それにしても早くメールが回復してほしい。

(あ)

No.1288

100分de名著―トーマス・マン魔の山
(NHK出版)
小黒康正
 今年の収穫は『魔の山』を読了したこと。世界最高峰の文学と言われ、古今東西の中でも難解で複雑と言われる作品を、中途挫折せず、なんとか読み通せた自分をほめてやりたい。物語の後半、穏健派セテムブリーニと過激派ナフタが激しく思想、哲学論争をするが、そこはこちらのボンクラ頭ではついていけず、数10ページ、飛ばしてしまった。あらすじも登場人物も、書かれている中身もほぼ問題なく理解できたのだが、この文学のどこが「すごい」のかは実は今もよくわからない。そこでテレビ番組のガイドブックである本書に頼ることにした。作品の偉大さがわからないのは、自分のどこがダメなのだろうか、それを確認するための「虎の巻」だ。昔、はじめてヨーロッパを旅して美術館巡りをしたが、ほとんどが理解できなかった。キリスト教世界への基礎知識がゼロなのが原因だった。著者は第一次世界戦争後に保守的政治姿勢から共和国擁護の立場に転じている。あるいはヨーロッパとりわけドイツの18世紀初頭の政治的背景、といった舞台裏がわからなければ、この名作の細部や会話のディテールは理解できないのだ。このクラスの文学にはやはり「虎の巻」も必要だ。

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