Vol.1110 22年4月9日 週刊あんばい一本勝負 No.1102

登山家の死について

4月2日 2月の転倒事件以来、腕時計をしていない。ちょうどバンドをまく左手首のあたりが打撲箇所なので時計どころではなかった。もうかなり痛みはなくなったのだが腕時計は今もなしのまま。困るのは外に出た時で、街中に時計はなかなかないのだ。歯医者に行くにも人と会うにも基本は歩いていく。時間通りに着けるのか、時計がないので着くまでわからない。昨日は歯医者の予約時間の30分も前に着き時間を持て余してしまった。でも腕時計をまく気にはまだならない。

4月3日 毎日「今日の出来事」を書いているが別に義務ではない。朝の歯磨きのような行為だ。人はなぜ日記を書くのだろうか。さらに日記冒頭にかならず「天候」を記すのはどういう意味があるのだろうか。喜怒哀楽や身辺雑記を表現する前に、まずは天候に触れる。これはある種のウォーミングアップで、「さあもうなにを書いてもいいぞ」という下準備をしているのではないのだろうか。日本人ほど日記をつける民族はないそうだ。その特色も「天候から書き始めること」だそうだ。天気と日記には深い相互関係があるのは間違いない。

4月4日 月曜日だがSシェフの誘いで男鹿の山に今が旬の「福寿草」を見に行くことにした。それで終われば楽しいお花見ハイキングで済んだのだが、せっかくだからと海岸沿いも歩いてきた。門前大滝まで足を伸ばしランチ。そこから一山越して急峻な崖をロープで降り、ここでしか見られない奇岩絶景を楽しんできた。でも天気に恵まれ、仕事を休んだ価値は十分あった。

4月5日 書庫の整理をしていたら村上春樹『女のいない男たち』が出てきた。短編小説集で1本目が今映画で話題の「ドライブ・マイ・カー」だった。立ったまま読み始めると最後まで読んでしまった。過去に読んだはずなのにその記憶がまったくない。2作目の「イエスタデイ」は関西弁を話す東京人の友人の話だが、こちらは細部まで鮮明にあらすじを覚えていた。けっきょく「ドライブ・マイ・カー」以外は何となくストーリーに読み覚えがあった。

4月6日 事務所玄関の手すりの復元工事。ものの1時間ほどで終わった。唐突だが秋田沖の洋上風力発電の事業者選定も気になるところだ。由利本荘、男鹿、能代、三種の秋田沖4カ所にまたがる巨大プロジェクトなのだが、事業者が決まったのは半分だけ。由利、能代とも三菱商事に決まりで、あとの2つはこれから事業者が選定される。この事業が本当に秋田の経済に寄与する事業なのか、それとも巨大企業の利益のおこぼれにあずかるだけのものなのか、もう少し詳しい情報が欲しい。

4月7日 数年前、北海道の普通の山(黒岳)で墜落死した世界的に有名な登山家・谷口けいは享年43だった。有名な登山家はみんな40代前半で亡くなる…とその時はボンヤリと思った。「みんな」とは植村直己や河野兵市あたりを頭に思い浮かべてのことだ。最近読んだ角幡唯介『狩りと漂白』によれば、あの長谷川恒男も写真家の星野道夫も、やはり43歳で亡くなっていた。この年齢で冒険家が亡くなるのは不思議や偶然ではなく、「経験の拡大に肉体が追い付かなくなるため」と角幡は結論付けている。冒険家や登山家の43歳は「落とし穴」だというのだ。

4月8日 植村直己がマッキンレーで行方不明死を遂げた時、友人の故・藤原優太郎は「平地の犬ぞりばかりで、山への油断があったのでは」と批判的に語っていた。同じように北海道の山であっけなく墜落死した谷口けいについて、彼女の登山パートナーである平出和也は、この藤原優太郎とよく似た発言をしていた。平出もまた世界的な登山家で、ピオレドーレ賞3回受賞の山岳カメラマンでもある。平出はあるインタビューで、谷口ほどの技術や経験を持つ世界的クライマーが、何でもない山で滑落死した背景には、彼女が念願だった八ヶ岳に暮らしの拠点を移したことにより、「山があまりに身近になりすぎて、山への警戒心が失われたからでは」と発言していたのだ。これは説得力がある。 
(あ)

No.1102

旅する練習
(講談社)
乗代雄介

 中学入学を前にしたサッカー少女と小説家の叔父が2020年、コロナ禍で予定がなくなった春休みを利用し、利根川沿いに徒歩で千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出る、というロード・ノベルだ。題名は「練習しながら旅をする」という意味だ。それは小説家にとっては文章修行であり、彼のお供をする小学6年生の姪の場合はサッカー練習である。旅の途中で執筆する写生文の習作では志賀直哉、田山花袋、柳田國男など、地域の文人たちへの想いが書き連ねられ、少女の方はドリフトの回数が記録される。旅の途中で様々な出来事がおきロード・ムービーの雰囲気もあり読み進めるのが楽しい。目的の地、鹿島に到着するまでサッカーのジーコの話がかなり重要な意味を込めて語られる。旅の途中で仲良くなった一人の女子大生もっ含んだ3名は鹿島神宮で旅の終わりを報告し、人生の旅立ちを祈願する……というハッピーエンドでこの物語は、実は終わらない。サッカー少女は交通事故で亡くなり、女子大生とは連絡不通になり小説は終わる。 第164回の芥川賞候補作だったようだが、この物語の終わらせ方はショッキングだ。著者の写生文の習作も美文だし、先輩老作家たちの引用も違和感がない。

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