Vol.1107 22年3月19日 週刊あんばい一本勝負 No.1099

白鳥の北帰行が……

3月12日 好きなラジオ番組は、ゴンチチ「世界の快適音楽セレクション」と赤坂泰彦「ラジオマンジャック」、松尾貴史「トーキングウイズ松尾堂」。みんなNHKFMで週末の番組だ。週末はラジオを聴きながら過ごすことが多い。朝や夜もラジオを聴くことが増えた。主にクラシック音楽番組が多い。「ジャズ・トゥナイト」や現代音楽も大好きだ。年をとるとどんどんラジオ好きになる。これは本当のことだった。

3月13日 医学部体育館で3回目ワクチン接種。モデルナだ。混んでいなかったが15分の休憩中、「まだ打っていない」と大騒ぎする老女がいた。翌朝、モーレツに腰が痛い。身体全体が風邪をひく前のように怠い。このままずっと寝床で過ごそうかとも考えたが、普段通りに事務所でダラダラすることにした。仕事場は遊園地だ。遊園地にいるほうが後遺症も忍び込み憎いはずだ。

3月14日 スノーハイクを予定していたが大事をとってキャンセル。これが正解だった。朝起きたら腰痛がひどく、風邪で寝込む前のようなダルさが全身を覆って、空気の抜けた風船のような状態だ。熱があるわけでもない、頭痛や悪寒があるわけではない。でも全身から力が抜けて「気力」という元気の源が抜かれてしまった感じだ。厚着をして、部屋を温めて、じっとして過ごした。一晩明け、起きると、そうした負の空気が一掃され、いつもの状態に戻っていた。でもまだ注射をした左腕の痛みは生々しく残っている。

3月15日 近所に、自転車にまたがって疾走する大柄なロシア系中年女性がいる。すっかり秋田になじんでいて、オバチャンっぽいそのファッションに好感が持てる。最近彼女を見かけないと思っていたら、今日の朝日新聞(秋田版)に、ウクライナ支援活動をしている彼女の写真が載っていた。やはりロシアの人だった。同じ今日の朝日の紙面には「剛腕・小沢一郎の近況」の全国版の大きな記事も。署名記事で「横山翼」の名前があった。彼は国際教養大学時代によくうちに出入りしていた若者だ。山も何度か一緒に登っている。そういえば横山君はリトアニア留学の経験がありロシア語がペラペラ。思わずロシアつながりの記事2本を切り抜く。

3月16日 読むべきか、読まざるべきか……1冊の本を前に昨夜から煩悶している。南木佳士の新刊『猫に教わる』(文春)だ。変わらない日常を描いた新聞連載コラムを1冊に編んだものだ。でも、読み出せない。もったいないからだ。読めば必ず感動する。涙さえ流す可能性大だ。ものの3時間もあれば読了してしまえる。しかし、と逡巡する。この至福の3時間をあっという間に「消費」するのが、もったいない。

3月17日 今日の地元紙は一面トップに「宮城、福島震度6強」の見出し。さすがに地元紙で、このスピード感には驚いた。まだ地震発生から半日もたっていない。2日ほど前、大手新聞社の県版記者と話す機会があった。もう秋田県内版という単独の地域紙面を構成するのは経済的に無理で、盛岡に総局を置いた「北東北版」という整理統合された紙面が進行中だという。そんななかでの今回の地元紙のすばやい震災報道はうれしい。地元紙は奮戦しているのだ。

3月18日 昔は事務所前に広大な田んぼが広がっていた。雪が解け田んぼに水が張られるとカエルの大合唱に悩まされたが、それが春を感じる行事でもあった。いま田んぼは住宅(アパート)にかわりウソのように静かだ。かわって春を感じさせてくれるのが北帰行の白鳥だ。カエルほどの風情がない「がさつさ」な鳴き方だが、この鳴き声で田んぼが消えたことを思い出し、春の予感に心ときめくようになった。あの飛行隊は、うるさい鳴き声を残して3千キロ以上離れたホームへと帰っていく。ここは冬の出稼ぎの場所にしか過ぎないのだ。
(あ)

No.1099

冬を待つ城
(新潮文庫)
安部龍太郎

 本能寺の変で織田信長が歴史の表舞台から退場した後、明智光秀を葬った豊臣秀吉が天下統一への道を突き進む。その権力掌握の最終的な仕上げが東国(小田原)や奥州仕置きだ。秀吉は腹心の石田三成を使い、天正18年(1590)の7月から8月にかけ、奥州仕置きによって念願の天下統一を成し遂げる。しかし、その豊臣政権による強引な仕置きに不満を持つものも多く奥州各地では大規模な一揆が頻発した。秀吉は再度、奥州仕置き軍再編の必要に迫られ、この状況下で勃発したのが奥州北部(南部地方)で起きた騒乱「九戸政実の乱」だ。北部奥州7郡の知行を認められた南部信直に対して不満を抱いた九戸政実が起こした反乱だが、この事件そのものが大きく歴史の舞台で語られることは少ない。政実が家臣とともに籠城した九戸城はあっというまに落城して、あっけなく決着を観る。なにせ九戸側のわずか三千五百の兵力に対し、城を包囲した奥州仕置き軍の兵力は6万(仕置き軍全体では15万)なのだから問題外だ。秀吉はなぜそれほどの大規模な戦力を、わざわざ辺境の奥羽まで躍起になって投入する必要があったのか。背後には秀吉の野望であった朝鮮出兵のための人狩り(兵力確保)と爆薬のための火薬原料確保の目的があった……というのが物語の骨子だ。阿倍比羅夫、坂上田村麻呂、源頼朝の前九年・後三年合戦……東北の大地は長く屈辱を強いられ、滅ばされ、蹂躙され続けてきたのだ。

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