Vol.1109 22年4月2日 週刊あんばい一本勝負 No.1101

久しぶりの山行に酔う

3月26日 明日は保呂羽山に行く予定だ。1月下旬の大森山スノーハイク以来だから2カ月ぶり。いそいそと明日の山行準備中だ。しかしこの2カ月間というのは大変な月日だった。2月に入ってアイスバーンで転倒、両手を打撲。オミクロン株に脅えて家にこもり、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、落ち込んだ。3回目のワクチン接種はしたが、仕事はただの一度も出版依頼なしのまま。50年史の原稿を書く気にもならず、夜はDVD映画を見まくっていた。ほとんど防空壕で過ごしているような2カ月間だった。

3月27日 天気予報は外れ山中は好天。集合時間を1時間間違えてしまった。今日の保呂羽山は今冬最後のスノーハイクの可能性もある。小中学生が3名参加、いつもとは違う雰囲気での山行になった。山頂付近に雪が多く急峻な雪壁を登るのは子どもたちには無理、とリーダーが判断、引き返してきたのだが、2カ月ぶりの山歩きはやっぱり気持ちがいい。子供たちにかんじきの履き方を教えたり、親御さんの装備の点検をしたり、普段とは違う気の遣い方が要求され、けっこう疲れてしまった。

3月28日 雪害で駐車場の屋根と玄関の手すりが壊れたのだが、工事をする工務店に、着手できるのは1カ月先です、といわれて唖然。小学生の柔道の全国大会が廃止になった。過度な勝利欲で親も指導者も勝利至上主義に狂い、子供たちのスポーツへの情熱や興味、なによりも将来を奪っているからだ。私自身も半世紀以上前、根性スポーツ主義の犠牲者のようなものだ。大好きなのにスポーツの楽しみを味わえないまま大人になってしまったくちだ。子供のころ、もう少しできのいい指導者と出会えていたら、自分の人生も変わったものになっていたかもしれない、とはよく考える。

3月29日 PC画面に突然、赤と黒の毒々しい下品な画像が現れ、「ウイルスに感染。データが危ない。下記のサポートセンターに連絡してほしい」と繰り返し叫び始めた。音量もその切迫感もただ事ではない。画像を消去できないのでサポートセンターに電話するとインド人らしき人物が電話に。たどたどしい日本語で「心配しないで。私の言うとおりにやれば感染は防げます」と言う。やりとりして画像と音声は消えたが、インド人は得意げに「すぐにまた同じ状態になる。7万円払えば永久にウイルスを防げる」と言い出した。「けっこうです」と電話を切ろうとするとインド人は露骨に「チッ」と舌打ち。いやはや間一髪引っかかりそうになった自分がとても恥ずかしい。

3月30日 2年前に出た河野啓『デス・ゾーン』は登山家・栗城史多の裏面を余すことなく描いた面白いノンフィクションだったが、同じ集英社から今度は野口健の「仮面を剥ぐ」ノンフィクション、『さよなら、野口健』が出た。ワクワクして読み始めたが、まったくの期待外れだった。「登山家として3・5流なのか。」「政治家との蜜月の真相とは」「知られざるアルピニストの真実」……と刺激的なオビコピーが並ぶが、衝撃的な暴露も告白も新事実も書かれていない。元マネージャーなる人物が自己宣伝のために書いた本なのだ。読了して逆に感じたのは「野口健って、けっこうちゃんとしている人物」という印象だ。

3月31日 2年以上、東京にも仙台にも行っていない。コロナのせいだが、電車や飛行機、ホテル泊が面倒くさくなっているのも事実だ。私の仕事は外で人と会うのが重要だ。そこからしか生まれてこない仕事でもある。それが億劫になりつつあるのだから問題だ。今日の夜は久しぶりにモモヒキーズの飲み会がある。全員がワクチン3回目接種を終えたお祝いの会だ。人と話せるだけで今から楽しみだ。

4月1日 二階の書庫を半日がかりで整理整頓。これでさっと本を「せどり」できるようになった。まるで本屋さんだ(笑)。本棚の6割を占めていたのは「国史大辞典」や諸橋の「大漢和辞典」といった長大なセット類だ。これら全巻セットを思い切ってすべて処分することにした。買ったときは20万円以上したものが、今ヤフオクで売れば2,3万円。それをわかっての処分だが、落札価格を見て出るのはため息ばかり。でも手元にこうした大仰な全巻セットを飾っていても場所塞ぎになるだけだ。これも終活のひとつと。若い人たちは調べ物があればネットや図書館に行けば用事はすむ。私たち世代のような見栄と虚勢とは無縁のところにいる。
(あ)

No.1101

面白すぎる日記たち
(文春新書)
鴨下信一

 私自身もほぼ欠くことなく毎日「今日の出来事」というブログを何年にもわたって書いている。日誌を書くのは楽しみではあれ、苦痛ではない。朝の歯磨きのような行為である。でも人はなぜ日記を書くのか、というのは解けない謎だ。人には身辺を記録したい、という根源的な衝動が潜んでいるのかもしれない。さらに日記の冒頭に「天候」を記すのはどういう意味があるのだろうか。喜怒哀楽や身辺雑記を表現する前にまずは天候に触れる。このことによって「書く内容の枠組み」が一挙に広がる。さあ、もうどんなことからはじめても大丈夫、という大きなフレームを用意してくれる。書き手の自由な立ち位置を担保してくれるエクスキューズ、と私は思っている。日本人ほど日記をつける民族はないそうだ。その特色も「天候から書き始めること」だそうだ。本書は「日記はいつ書くのか」「天候・気象のこだわり」「厄災の中で」「日記はなぜ隠すのか」「夢日記の魔力」「同日日記の並べ読み」「文語体・候文・口語体」「戦いのさなかで」「日記にあらざる日記」の9章建てだ。どの章も興味深い。紹介されている日記には読んだものも多いが、個人的に圧倒的に印象に残っているのは大塚英子『暗室日記』かな。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1105 3月5日号  ●vol.1106 3月12日号  ●vol.1107 3月19日号  ●vol.1108 3月26日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ