Vol.1106 22年3月12日 週刊あんばい一本勝負 No.1098

ようやく春の陽気が……

3月5日 この欄で「最後の晩餐」のことは何度か書いている。私個人は「卵かけご飯」だ。それにできれば「ジャガイモの味噌汁」をつけて。江戸風俗研究家で漫画家の故杉浦日向子さんは「白い飯」でいいのだそうだ。それも炊き立てではなく室温に冷えた残りめし、おかずはなし。ひと口は甘くなるまでよく噛んで飲みこみ、茶碗のひと口には水をかけて噛まずにさっとすすり込む水漬けにする。冷やご飯に塩をパラっと振った「塩ごはん」でもいい。米や炊き方、塩は頼む人に任せてブランド志向は一切ないのが清々しい。深い木椀にしっかりした木の箸でもくもくと食べ、白湯の冷ましがあれば重畳、という。江戸っ子ですねぇ。

3月6日 春めいた陽気が数日続いて家の前の道路の雪もすっかり消えた。と思ったら一昨日からものすごい風が吹きまくっている。一晩中吠えまくって家を揺らし、朝になってもまだ収まりがつかない。屋根から雪は消えたが冷たい風が窓を揺らし続けている。コロナで冷え切った世間をこれ以上震え上がらせてどうするつもりなのか。

3月7日 オミクロン株が猛威をふるい始めてから、来客も電話もメールもカクンと少なくなった。本の注文も激減したし出版依頼もパタリと途絶えた。ヨタヨタの老人には諦観という逃げの武器があるが、若者には未来にあるはずの「希望」が閉ざされかけている。若者が未来に希望を持てることが「良い時代」の証明だ。希望のない社会は深刻な病を患っている。

3月8日 散歩の途中、老女に呼び止められた。「トーサンがいねぐなった。どうすればいい……」というので「そばに城東交番所があるので、そこに電話してみて」とアドヴァイス。電話は苦手なので自分で交番まで歩いて行くという。「交番では毎日必ずこのへんのパトロールをして不審者や徘徊者がいると保護している。まずは電話で確認してから行ったほうがいい」といっても、歩いて交番に行くときかない。しかし何度説明しても交番の位置を理解できない。私自身はケータイを持っていないから、交番に連絡を入れることができないのが申し訳ない気分だ。たぶん「トーサン」には痴呆があるのだろう。老女もちょっとその気があるが、無事に見つかってくれるといいのだが。

3月9日 「二刀流」といえば大リーガーの大谷翔平だが、ひねくれものにとって二刀流といえば、すぐに名前が浮かぶのは永田和宏だ。日本を代表する歌人にしてノーベル賞候補の細胞生物学者だ。亡くなったが奥さんの河野裕子も日本を代表する歌人だった。先日、NHKで放映された「ほんたうに俺でよかったのか」という番組は感動だった。河野と永田の青春時代の日記や手紙をひも解きながら、夫婦の葛藤を「今」から読み解こうとする、優れたドキュメンタリーだった。感動的な番組に仕上がっているのは、ひとえに永田の静か語りと謙虚さ、カメラを回し続けた、個人的にも永田と親しいというディレクターとのほどのいい距離感だ。一人黙々と東海道を徒歩で旅をつづけながら、途中で立寄る友人がノーベル物理学賞受賞者だったりするさりげなさが、かっこいい。

3月10日 「信トレ」というのは私の造語だ。「信号待ちをしながらトレーニング」を縮めたもの。外の空気を吸う散歩は大好きだが、事務所で黙々とやる筋トレは大嫌い。何度トライしても長続きしない。でも山歩きのためには散歩だけでは圧倒的に体力不足になる。筋トレは必要不可欠なのだが続かないのが悩みだ。そこで考えついたのが、散歩の信号待ちでの筋トレだ。スクワットや片足立ち、ストレッチまで信号待ちの時間にやってしまう。これならまさに一石二鳥、昨日さっそく実践してみた。スクワットも外の景色の中でドライバーや通行人の嘲笑を感じながらやると、新鮮で疲れ知らず。信号待ち時間が短く感じるほど。しばらく続けてみるつもりだ。

3月11日 10代に見た、今もあらすじまではっきり覚えている映画がある。60年近く前に観た映画を、その細部までを覚えているのだ。最近この映画をもう一度観てみたいと思うようになった。自分の記憶がどこまで正しいか確認したいのだ。1960年アメリカで制作されたミュージカル・コメディ映画『ペペ』だ。愛馬をハリウッドに売られ、馬を取り戻すためにハリウッドに乗り込んだペペが、監督や主演女優らとスッタモンダ、メキシコまで出かけてドタバタを繰り広げる喜劇映画だ。主役のペペはカンティンフラスという役者。脇役にキム・ノヴァクやシナトラ、ビングクロスビーといった大スターが登場するオールスター総天然色。風光明媚なロケ地や衣装と女優のド派手な美しさに度肝を抜かれた。何とかもう一度観たい。でもDVDでは発売されていない。さてどうしたものか。

(あ)

No.1098

ルポ 路上生活
(KADOKAWA)
國友公司

 東京で2か月間、ホームレス体験をした記録だ。類書は多くあるが、これは面白そうだと直感。長く本を読んでいると雰囲気(造本・版元・書名なぞど)でわかる。都市のホームレスは乞食ではなく「家のない人」だと著者は言う。彼らは「過剰支援」と言いたくなるほどのサポートを受け、飯と住(寝と衣)にまったく不自由ない。縄張り争いのようなこともないのが意外だ。驚いたのは定期的に炊き出しをする宗教団体の存在だ。韓国キリスト教団体や新興宗教団体は定期的に食事提供するだけでなく「現金」まで配ってくれる。ホームレスに施すことが「絶好の宣伝」になり、逆に多額の寄付集めを可能にするのだそうだ。あまりに炊き出しや差し入れが多いため、ホームレスの間では弁当の取捨選択も日常で、金を稼ごうと思えばいつでも稼ぐことが可能だ。炊き出しに並ぶ多くは年金受給者や生活保護受給者だという。都内の炊き出し地区をリストアップし、1日中そこを順くりに回るホームレスは、別に飢えているわけでなく、逆に「お腹をすかせるため」に歩いているという指摘には笑ってしまった。東京オリンピック真っ只中の都心のホームレスの実態を、彼らと同じ路上から見つめた本書には暗さはなくユーモラスな会話が満ちている。

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