Vol.1063 21年5月15日 週刊あんばい一本勝負 No.1055

まだまだ続く城館巡り

5月8日 散歩コースを変更して千秋公園を一周。山城取材の一環だが近世の城跡はちょっと別格だ。中世の城跡というのは石垣もなければ天守もない。土塁で築いた土の要害だ。でも久保田城はもうはっきりと違う近代的遺構だ。城址を一回りして市立図書館に降りた。二階の郷土資料室で秋田県文化財保護協会が昭和56年に作成した『秋田県の中世城館』を閲覧。帰りも公園を通り家に帰ってきた。歩行距離は1万5千歩ほど。

5月9日 朝から腰痛。理由ははっきりしている。GW 以来ずっと山城に登り続けてきた疲労だ。で、痛みを圧して東鳥海山へ。湯沢市須川にある雄物川と皆瀬川に挟まれた奥羽山脈の先端部にある山だ。標高は777メートル。なだらかで穏やかな登りの続く好きな山だ。時折雨がぱらついたが登り1時間40分、下り1時間10分。この山も名前が気になるところだ。中世の横手城主小野寺遠江守が天正元年に登り、南西に見える鳥海山から「東の鳥海山だ」と名付けたことによるものだそうだ。山頂直下の神社に真澄の句が記されている。その句の中の「をしこぼね」という言葉の意味が分からない。調べてみたら本来はこの山を地元の人々は「雄子骨山」(おしこぼねやま)と呼んでいたようだ。

5月10日 日めくり難読漢字カレンダーは相変わらず5割程度の読解度だ。そんななか7日のカレンダー漢字は、「多脳」だ。正解は「ドナウ」。あのヨーロッパ中心部から黒海にそそぐ大河である。昨日の東鳥海山は歩いていて実に気持ちのいい山だった。でもその名称はいまだに気になっている。平凡社の『秋田県の地名』でほぼ命名の由来は判ったが、地元の人たちは権現様と呼びならわしていた。世間的には雄子骨山(おしこほねやま)と呼んでいた、といったあたりが正解に近いのだろうか。

5月11日 朝ごはんが終わってから約30分ほど、書斎で本を読むようになった。頭に入れておきたい本は朝の脳がフレッシュな状態に読むのがいい。ところで、またあの東鳥海山についてだが、菅江真澄全集5巻の『雪の出羽路』に「雄鬼骨山(おしこほねやま)といひし地」とった。「子」でなく「鬼」が正解のようだ。「(山頂付近に)塚あり。みな白骨、二つの塚におさむ。何の骨なる事をしらす。うべも雄鬼骨山の名そしられたる。」と由来もある。山頂神社にあった真澄の句は「木々はみな冬枯はてて水鳥のをしこほね山神のさひにけり」で、それも全集には記されていた。なるほど、こういうのはちゃんと原典に当たらないとダメですね。

5月12日 何の予定もない日なのでにかほ市まで遠征。にかほ市院内にある平安時代の仁賀保氏の居館跡「山根館」を見てきた。この山根館は城であり居住もしていた城址というのがちょっと珍しい。男鹿の脇本城の存在が知られる前までは県内で一番大きな山城と言われていたところだ。その城址を復元したジオラマがにかほ市勤労青少年ホーム内歴史展示室にあり、それも見てきた。この展示室の二人の職員の方に丁寧に案内、解説していただいた。時間があったので、欲張って象潟にある「塩越城」も。こちらはもうまるで住宅の中に溶け込んでしまって、文字通り見る影もない。それでも関係のありそうな家を訪ねて、庭を通らせていただく許可を得て、裏山の本丸跡を歩いてきた。

5月13日 仕事はヒマだが身辺は何かとあわただしい。もう70を超えたのだからリタイアする年だが、その発想が100パーセントない。やり残したことが多く、リタイアすることで背負ってしまう負い目のようなものが怖い。まあリタイアしてもやることがないから、今やっているようなことをダラダラ、ヘラヘラ、チョボチョボ、死ぬまでやり続けていくしかない。その覚悟はできているが、日々こころは揺れ動く。

5月14日 好天に恵まれ午後からSシェフに「秋田城」を案内してもらった。Sシェフは秋田城ガイドのボランティアをしているのだが今はコロナ禍でガイド禁止令が出ている。そこで個人的に案内してもらったわけだが、秋田城はもう何度も来ている。でもちゃんとガイド付きで回ったのは初めて。料理と体力だけと思っていたSシェフのガイド能力の高さにまずはビックリ。今回特に見たかったのは城外である西の小丘陵にある「勅使館」だ。ここは昔、「中世の秋田城」のあった場所ではないかと言われていたのだが、最近は平安後期の豪族・清原氏の「柵」との共通性が指摘され、新たな興味深い展開を見せている場所だ。でも調査や整備が行われていないので、城址に至る道は荒れ放題、ヤブでとても人が通れる状態ではなかった。それでも山登りのプロでもあるSシェフのおかげで、そのヤブをかき分け、土塁や空堀跡のわかる場所まで行くことができた。築地塀や材木塀で囲まれているのが古代城柵だが、なぜかここだけは土塁・空堀の廓跡というのが不思議なのだ。いったい、この城館は誰がいつ頃、築いたものなのだろうか。まるでジャングルのように草木に覆われた場所で、しばしタイムスリップ。
(あ)

No.1055

本とみかんと子育てと
(みずのわ出版)
柳原一徳

 ミカン農家とひとり出版社を兼務する著者の、2017年から2020年6月までの生活記録だ。A5判2段組み680ページの大著で、本文には250葉余りの、本人の撮った写真も掲載されている。「本業は写真屋」というだけあって、その半数がひとり息子を撮った愛おしさと躍動感あふれる見ごたえのあるスナップだ。 神戸生まれの著者は写真専門学校を卒業後、奈良新聞に中途入社し、奈良テレビの放送記者を経て、阪神淡路大震災の直後に神戸で「みずのわ出版」を創業する。2011年、東北大震災の半年後に引き払い、山口県周防大島に移住する。ここには母方の実家があり移住というよりも「大島に帰った」。創業20年目のころ、ミカン農家に専念する宣言をして話題になったが、紙の本を後世に残し、この国の将来に禍根を残さないため宣言を撤回、可能な限り自給自足を目指しながら納得のいく本を出版する暮らしを、いまも続けている。 周防大島と言えば民俗学者・宮本常一の生まれ故郷だ。著者の出版社が出した「宮本常一離島論集」(全5巻・別巻1)は「みずのわ出版」の名を世に知らしめた。本書はミカン栽培の技術書であり、写真による息子の成長記録であり、出版を通して不条理と浮つく世相を斬る警世の書でもある。

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