Vol.1062 21年5月8日 週刊あんばい一本勝負 No.1054

GWは山城取材で県内行脚

5月1日 朝から由利本荘地方へ。中世の「由利12頭」の城館を時間の許す限り見てこよう。最初は岩城にある高城山(170メートル)へ。中世に赤尾津城と呼ばれた遺構だ。天鷺城のレストランでお茶を飲もうとしたらグワングワンと車が揺れた。震度5の宮城沖を震源とする地震だった。そこから本荘公園にある本荘城へ。午後からは前郷にある滝沢城跡を見、て矢島まで足を延ばした。矢島では八幡神社のある根城館へ。何度も道に迷いながらどうにかたどり着いた。町に戻り矢島小学校のなかにある大森城跡をぶらついていると雨足が激しくなり取材は終了。

5月2日 今日は横手方面の山城調査」。横手城から金沢の柵、沼館城から大鳥井遺跡まで、ほぼ1日をかけて駆けまわった。もうヘトヘトで明日は一日寝ていそう。外に出てもランチはチェーン店では食べないと決めている。町村にある普通の食堂でお昼を食べようと決めているのだ。今日は横手なので自動的に「さかな屋日本海」だ。うちで本も出しているマコちゃんの店だが、実質オーナーのひろしさんもいて、打ち立ての蕎麦と山菜テンプラをご馳走してもらった。偶然にしてはタイミングが良すぎるのだが、お代わりまでして、さらに帰りには土産用蕎麦までいただいてしまった。

5月3日 もう20年以上前からパンツや寝巻はアメリカ・LLビーン製のものを愛用。とにかく丈夫で一度買えば10年は持つ。昨日、その着続けた寝巻が破れた。生地もすっかりペラペラで捨てるしかないのだが愛着がある。一計を案じ、寝巻を切り分けて雑巾代わりに使うことにした。登山靴を磨くための雑巾で、これなら毎週のように使う。というわけでさっそく山城ウォーキングで汚れたシューズを寝巻の布切れで磨いた。なんだか気分がいい。

5月4日 取材で動き回ると翌日はさすがに疲れがドンと残る。外に出た翌日はデスクワークと決めている。今日はそのお休みの日。それにしても最近の山城でガックリしたのは、自分の「方向オンチ」のひどさだ。カーナビを使っても一発で目的地にたどり着けたことはない。なにか脳に重大な欠陥があるでは、と疑いたくなるほどだ。

5月5日 GWの最後の日。朝6時に起き、国道285号をひた走り、鹿角と大館の山城取材。合わせて6城くらいをまとめ歩きでヘトヘトになった。せっかく取材してもすぐに「忘れてしまう」ので、家に帰ってすぐに取材メモの整理作業。それにしても鹿角は遠い。遠いうえに山城の主人公たちの名前にほとんどなじみがない。それもそのはず彼の地は「出羽」ではなく「陸奥」なわけで当然だ。秋田ではなじみの武将たちとあまり接点がなく、南部と闘ったり、津軽に逃げたり、出羽と一線を画している感じが面白いと言えば面白い。ところで、大館城は今の大館市役所の場所にあるのだが、市役所そのものが隣の新庁舎への引っ越しの真っただ中。ガラガラの旧庁舎とピカピカの新庁舎を両方写真に撮ってきた。

5月6日 GW中は動き回った。車で県内を南北縦横、すみずみまで走り回った。おかげで例年とは違い退屈せずに済んだが、体力的にはかなり消耗した。訪れた県内城址は15城ほどか。いまその取材のメモ整理をしているところだが、現場写真を見ても「ここ本当に行ったっけ」と、もう記憶もおぼろげなところもあるのが、なんとも情けない。まあ70を超えたジジイのやることなので、こんなものだろう。

5月7日 仕事がヒマなせいもあって(コロナ禍のせいばかりではないのだが)、時間があれば県内の山城のことばかり調べている。もっぱら関連参考資料を読んでいる最中なのだが、けっこう退屈な作業で、でもこれをちゃんとやらないと基礎知識が身につかない。お勉強の合間に軽く読み飛ばせる本を読みたい。と、落合博満『戦士の食卓』(岩波書店)を読み始めたのだが、これがおもしろくでドハマリ。あのプロ野球選手の「食の哲学」というのだから意外性がある。驚くのは発行元があの岩波だというところだが、あのジブリが発行する雑誌『熱風』に連載されていたもので、企画者がプロヂューサーの鈴木敏夫。彼は熱烈な中日ファンとして有名なので、その縁でジブリ、岩波というラインが出てきたのだろう。 
(あ)

No.1054

斗星、北天にあり
(徳間文庫)
鳴神響一

 江戸時代の前、いわゆる織豊時代の秋田に興味がわいてきた。この時代は石高レヴェルでいえば能代檜山と湊土崎を支配した安東愛季(ちかすえ)の時代だ。角館の戸沢、県南の小野寺、由利十二頭といった豪族も群雄割拠していたが、圧倒的に愛季が一頭地を抜いた存在だった。その愛季がおそれたのが東の南部であり、南の庄内を支配する大宝寺だった。南部も大宝寺も由利や比内(大館)を狙っていたからだ。それら出羽の諸豪族たちとの熾烈な戦いにほぼすべて愛季は勝利している。徳川幕府が登場する15年ほど前、愛季は49歳で亡くなった。安東を継いだ息子の実季(さねすえ)は「秋田」姓を名乗り、徳川幕府により常陸国宍戸5万石に転封された。以後も幕府に嫌われ(戦国の気風が激しかったためと言われる)、伊勢国朝熊に蟄居させられ、ここで85歳の生涯を終えている。本書は、文献史料のほとんどない秋田の空白の時代を描いた貴重な物語だ。16世紀の秋田の豪族、武士たちの政争が生き生きと描かれている。安東以外の当時の為政者の動静も詳しく描かれている。戦国時代の秋田を知るうえで重要な指針になる本だ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1058 4月10日号  ●vol.1059 4月17日号  ●vol.1060 4月24日号  ●vol.1061 5月1日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ