Vol.766 15年8月1日 週刊あんばい一本勝負 No.758


大山鳴動鼠一匹

7月25日 ウインドウズの10が出たようだが、こちらは昨日ようやく「8」にヴァージョンアップしたばかり。アップといえば聞こえはいいが前の基本ソフトの調子が悪く、販売店に問い合わせたら「それ以上は有償になります」と冷たくあしらわれた。8にすれば、お金もかからないし、問題もクリアーできそうと判断したためのヴァージョンアップだ。アルバイトのM君がアップしてくれたのだが、これがなかなか動作は難しい。ある程度「サーフェス」で8は経験積みだが、やっぱり7とは何もかもが違う。わからないことが山ほど出てくるが優雅にパソコンと何時間も格闘している時間はない。メールも印刷も原稿も「不安」を抱えながら作業中。仕事や日常からパソコンがなくなれば、かなりの支障が出る。そのことを改めて認識。

7月26日 山に行かない日曜日というのもそれなりに楽しい。山行は定例行事だが、毎週ともなるとプレッシャーや苦行が潜んでくる。そこを意識して見ないようにしてきたが、身体は声にならない悲鳴をあげ、心は「休みたい!」とつぶやき続けていた。3週間、山に登っていないフラストレーションもあるが、それ以上に身体は疲れていた。行かないだけで身体は喜び、勝手にリラックスしている。面白いことに体重が落ちはじめた。暴飲暴食には日常的に気を付けているが、いつも山の日だけは例外で「今日はいいだろう」とフリーの日だ。これがよくなかったのだろう。いくら節制しても体重は減らない。体重は精神の安定ともちゃんとリンクしている。

7月27日 月末に新刊2本ができてくる。1本は自費出版、もう1本は須藤功さんの民俗ルポ『若勢――出羽国の農業を支えた若者たち』。自分でも興味があり、知りたかったテーマで、文字通り「最初の読者」になれたのは編集者冥利(最近、編集者と印字すると「変種者」と変換される)。須藤さんは民俗学のカメラマンだ。日本の名だたる民俗学のヴィジュアル系(古いモノクロ写真など)の本はたいてい須藤さんが関わっている。宮本常一がお師匠さんで、横手の生まれ。その横手の奇習といわれる「若勢市」についての論考はスリリング。なぜ横手には「人のセリ市」が昭和30年代まで残ったのか。若勢についての学術論文や資料は少ない。

7月28日 「大山鳴動して鼠一匹」というたとえ通り、忙しく駆け回っても、ものになりそうな企画は10本に2本あるかないか。打者にすれば2割に満たない打率だからいやになる。それでも2割ならまあまあ、と前に進むしかない。捨ててしまった8割が、いつ何時、あるいは時代が移り変わって別の形で、「おおばけ」する可能性も無きにしも非ず。いや、ほとんど可能性はないのだが、そうでも考えないことにはやってられない。今回ダメになった8割の企画のうち何点かは、姿かたちを違ってもコンセプトは生かされて10年後によみがえるケースはあるかもしれない。いや、あるはずだ。あってほしい。

7月29日 矢部宏治著・須田慎太郎・写真『戦争をしない国』(小学館)を2度読んだ。明仁天皇の折々のメッセージを、矢部が解説し、須田のイメージ写真で構成した写真集のように美しい本だ。前作のベストセラー『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)を読むと、この次回作は何となく予想はできたが、写真集仕立てとは意表を突かれた。さすが編集者。何十年か前のベストセラー『日本国憲法』と似た発想力で、そうか版元も同じだ。どう考えても異様としか思えない時の権力者の暴走に、歯止めをかけるために出版は何ができるのだろうか。そんなことを考えている矢先にタイミングよく登場したこの本は、その一つの答えであり、ベストセラーになってほしい本だ。実は矢部さんは友人だ。前作で一挙に「時の人」になりつつあるが、もう1冊、沖縄の基地問題に関する絵本はどうだろう。誰も書いていない視点からの大人も読める絵本。彼なら書ける。いや、もう手を付けているのかも。

7月30日 学校時代、地理は好きでも嫌いでもなかった。でもここ数年、本の中に「地勢」という言葉が出てくると身を乗りだすようになった。地理ではなく地勢である。ある地域の歴史や文化に興味を持ったら、まずは地勢がどのように関わっているかを最初に確認する。たとえば秋田の歴史や文化を勉強するとき、その地域の山や川、道路の変遷などの地勢学的インフラ知識を持っていると、本流へのアプローチ理解が実にたやすくなる。世界を大転換させた16世紀大航海時代は、なぜヨーロッパの西の端のバルカン半島から始まったのか。この疑問も、西や南(オスマントルコ)、東(モンゴル)といった異教徒からの圧力があり、キリスト教徒にとっての出口は西端のスペイン、ポルトガルのあそこしかなかった、と地勢学的に説得されると、う〜んなるほど、とうなずいてしまう。

7月31日 昨日から隣の我が家の屋根改修工事が始まった。葺き替えではなく全面改修。倉庫改修に続いて今年2回目の工事……いやトイレもリフォームしたから3度目か。毎年、この改修費がバカにならない。利益はすべてリフォーム代に消えている。工事でバタバタする中、女子高生の「職場インタビュー」を受け、近くの大学から突然の出版依頼。猛暑の中「歩いて」いろいろお話ししてきた。帰ってシャワーを浴び、5時にははやばや晩酌。暑いし頭はヒートアップ、もうこれ以上今日は頭も身体も動いてくれない、と判断しての自棄呑み。ここ10日間ほどのダイエットで3キロやせたが、これで半分は元の木阿弥。でもいいや、こんな日は。
(あ)

No.757

消えた蝦夷たちの謎(東北編)
(ポプラ社)
関裕二

 山の帰りに、その土地の遺跡や歴史的遺産を訪ねることが多くなった。最近では横手・南郷岳に登った帰り、横手城と後三年合戦資料館を訪ねた。つい最近まで「後三年の役」と呼びならわしていたはずだが、いつのまにか「役」が「合戦」に代わっている。本書でも指摘しているのだが、「役」は朝廷(権力者)が蛮族(蝦夷)を征伐するときに使う語彙だ。征伐される側がその言葉を当たり前のように使うのはヘン、と気が付いたというか批判があったのだろう。つい先日は酒田市で城輪柵跡をみてきた。古代の政庁跡で出羽柵といわれたもの。「蝦夷征伐」のための政庁はその後北進し、秋田市に秋田城が築かれることになる。そのため建物はほとんど秋田城とうり二つ。国指定遺跡になっている。城輪柵も秋田城も蝦夷征伐のための朝廷の軍事基地といってもいいだろう。本書では、その『蝦夷』とはどのような存在であったのかをわかりやすく解き明かしている。紀行と史実をうまくミックスさせた歴史読本だ。著者は徹底的に蝦夷側に立ち、その視座から古代の歴史をひも解いている。これが本書の特徴で、好感が持てる理由だ。ミステリー風の謎解きも多く、ワクワク、ドキドキしながら読み進めることができる。その面白さをばらしてしまうのはルール違反になるが、蝦夷のイメージである朝廷側の「農業も知らない野蛮人」という蝦夷像がどのように形作られていったのかが、説得力のある論理で説明されている。

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