Vol.763 15年7月11日 週刊あんばい一本勝負 No.755


7月はメチャ忙しそうで、大丈夫かジブン

7月4日 デスクワーク生活が長いのに腰痛とは無縁だったが、このところ寝床から起き上がるときに腰にかなりの痛み。疲労からくるもののようだ。この1週間がひどい。栄養剤を飲んだり、整骨院で養生してもらうことも考えたが、どちらも一過性の効果しかない。昨夜は散歩も中止して早々と8時半には床に就いた。睡眠が疲労には一番だ。で朝は7時まで熟睡。11時間寝たことになる。気分的にはずいぶんすっきりしたが、本当に疲労度が軽減したかはまだわからない。今日は横手出張。ランチを兼ねた打ち合わせがひとつ。新入社員は月山に夏スキー。明日は駒ヶ岳登山。国見温泉から登る景色のいい岩手側コースだ。晴れてくれないかなあ。

7月5日 秋田駒(国見温泉コース)は「自習」だった。リーダーのSシェフがお休みなので、先生の授業はないが各々自習をしていなさい、というわけである。小生が先頭でスタート。秋田駒は今が花の最盛期、すさまじい人出だった。秋田側からはバスで8合目まで登れるが、国見側は温泉横からは自力で登る。そのぶん、すばらし眺望が楽しめる。今日は分岐から金十郎長根に向かわず花の多い男岳へ向かった。そこから阿弥陀池に下り、横岳に登って大焼砂から国見温泉に下りた。お天気まで祝福してくれ、人の多さを除けば言うことなしの充実した1日。自習態度も立派で、これで先生にちゃんと報告ができそうだ。

7月6日 身辺がバタバタ。ルーチンである日曜登山も来週からは「見直す」必要が出てきた。週末もいろんな用事で埋まってしまうからだ。いつまでも「日曜は山だからフリー」と言い続けるのが難しくなった。でも、これはずっと続くわけではない。日曜登山はいずれまた復活させるが、今夏に限って「山はしばらくお預け」。週日に仕事を処理してしまえれば週末は休めるのでは、というのは理屈だが、仕事が「遅く」なっている。以前なら3時間でできたものが今は2日間かかる。人手を増やせば問題は解決するが、雇用した人の面倒をずっと見る体力はない。人を使うと有益なことより厄介なことのほうが多い。今の人員で我慢してやっていくしかないだろうな。

7月7日 これまでも「変な仕事」はけっこうしてきた。結婚式のスピーチ原稿を書いて数十万もらったこともあるし、突然訪ねてきたお婆さんから「遺書を書いてほしい」と頼まれて3万円もらったこともある。町内文集のゴーストライターや親子喧嘩の手紙代筆なんていう仕事もあった。期限を区切られ、情報量が極端に少ない中で文章を編み出すのは、けっこう得意だ。いや得意というか嫌いではない。逆に「自由にたっぷり時間を取って、お金もかけまくり」なんていう条件があると、まったく筆は前に進まない。これは私だけでなく多くの人に当てはまる「法則」のようだ。もう何十年も取材を続けているブラジル移民の本を、いまだに1冊も書けないでいるのはその最たる証拠。何度挑戦してもだめ。締め切がないというのが一番のネック。でも締め切りがあると仕事そのものを断ってしまうかもしれないな。困ったものだ。

7月8日 一仕事を終え、焼酎一杯の夕食を済ませ、一時間ちょっとの散歩から部屋に戻ると、モーレツな眠気が襲ってくる。TVでプロ野球の半分は観ているのに覚えていない。かといって寝るには早すぎる。そうこうしているうち徐々に目はさえてくる。で結局はいつものように就眠は12時を回る。毎日が初めて経験する「老いの発見」と向き合いながら、光陰矢のごとしの日々を生きている、という感じかな。それにしても不思議でしょうがないのは、仕事量は減っているのに、いっこうにヒマにならないことだ。それほど能力が衰えているとは思わないし、やる気はある。なのに仕事は遅くなる一方。良いほうに考えれば「仕事が丁寧」になった。昔のように荒っぽいやり方はすっかり影を潜めている。荒っぽい仕事をしてもいいのだが、それはそれなりに強靭な精神力と体力がいる。そのタフネスさが年とともに消えていきつつあるのだろうか。

7月9日 本を読んでいて「不意を突かれた」個所があった。昔の雪国の人たちは除雪もしないので冬はヒマ、と書いていたのだ。漠然と「雪も多いし昔は雪かきも大変だったろうな」と思いこんでいた。そうか、昔(昭和30年代ころまで)は「除雪」という概念そのものがなかったんだ、と気が付いた。せいぜい子供の通学路を踏み固めるぐらいで、屋根から下した雪はそのまんま、積もれば2階から出入りして平気だった。屋根から雪を下しても、その雪をどこかに捨てに行くなんてことはなかった。その雪でカマクラをつくって無邪気に遊んでいた。除雪が必要になったのは車が交通の中核となったためだ。自動車の通行や駐車のために除雪が必要不可欠となり、一家に一台の車社会になると、除雪は家々の「義務」になった。私たちの親の世代には「除雪」という概念がほとんどなかった、と知ったのは新鮮な驚き。それにしても連日、雨が降らないですねえ。

7月10日 今日は能代行。なんだか横手と能代を交代で行き来している。来客も多い。本の販売や人生相談のようなものまで、「忙しいから後で」とはとても言えないような要件が多い。こうした要件は誰にも相談せず自分で決め決裁してきた。でもこれからは権限を新入社員に譲ることにした。若い人に判断を任せることにした。重要なことであればあるほど実は瞬時に白黒を決めているのだが、それではいつまでたっても若い人は育たない。もう下駄を預けてもいい時期だ。
(あ)

No.755

ぼくらの民主主義なんだぜ
(朝日新書)
高橋源一郎

 朝日新聞「論壇時評」に月1回連載している文章を集成したもの。新聞ではその都度読んで、切抜きまでしていた。だから9割以上の文章は既読だ。改めて読んでも新しい発見に満ちた言説が満載だ。著者の小説のいい読者ではないが、書名はナット・ヘントフ『ぼくらの国なんだぜ』という小説からとったもの。書名の通り民主主義について多くのページが割かれている。これは全体をまとめて読んで初めて気が付いたことだ。「経済がすべてに優先する、今の暮らしをかえよう」と何度も著者は繰り返す。「大きい声よりも小さな声に耳を澄ませる」ことも、その軽快なフットワークの根底にある思想だ。民主主義はどんなに嫌がっても主権者から降りられない。意見が通らなかった少数が、それでも「ありがとう」ということのできるシステムが民主主義だ、と著者は言う。たくさんの異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、ひとつの場所で一緒にやっていく。そのためいつも困難で、いつも危険と隣り合わせ。誰でも使える、誰でもわかる民主主義なんてものはないのだ。体罰やイジメに関しても慧眼が随所にちりばめられている。体罰やイジメが怖いのは暴力そのものではなく対話がないこと。叱っている彼から、叱られているぼくらへの一本の道が通っているばかりで、叱られる側から彼への路は、全く閉ざされている。考えさせられるなあ。

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