Vol.350 07年5月26日 週刊あんばい一本勝負 No.346


眠気覚ましの新散歩コースです

 4月、5月と一度も東京に行っていない。6月も今のところ予定は入っていない。忙しいわけではない。県内の山に登ったり、近所のスポーツクラブ通いに夢中になっているだけ。新聞に週一回のエッセイを3本同時に連載するという怠け者には厳しいスケジュールもいちおうなんとかこなしているものの、あっという間の2カ月間だったような気もするし、毎週イベント(アウトドアや連載締め切り)で区切られているためか、それがアクセントになって、やけに長い2カ月間だったようにも感じる。
 6月からはDM、新刊、広告と、またいつもの年4回の販促月間がはじまるので忙しくなる予定だが、そんな谷間にできたとある一日、いつもの散歩コースからちょっと外れた下北出地区(大学病院の裏手でいいのかな)を歩いてきた。何の意味もない散歩のスナップだが、最近このへんをよく歩いている。事務所から歩いて5分もかからない場所にあるのだが、小さな森が残り、なんだか辺鄙な村に迷い込んだような錯覚に陥るほど、市郊外とはイメージが違う集落があり、好きな場所だ。小高い森の中に、たぶん集落全員のものだろうお墓があり、その入り口には障害者施設や介護施設の建物が何棟も建っている。田んぼの中に中学校があり、横にはバブルのときに建てられて廃墟となった高級テニスクラブ跡が無残なまま残っている。鎮守様がいて、旭川がゆったり流れ、のんびりとした田植え風景も見られる。路上で会う人はほとんど老人だけである。
 最近はひんぱんに身体を動かしているせいか、午後2時頃になると無性に眠くなってくる。そんなときはひょいとここまで出かける。川を眺めたり、子どもたちの体育の授業を見学したり、神社の境内でボーっとしているだけだが、お気に入りの眠気覚ましコースである。
(あ)
後方に小さな集落がある
森全体がお墓
ま、あまり意味はない
ねぎぼうず

No.346

旅行用心集(八坂書房)
八隅蘆菴(桜井正信訳)

 この本が出されたのは文化7年(1810)、江戸時代末期である。このころになると女性はかなり遠出をするようになり、伊勢参りもピークに達している。春から初夏にかけて伊勢参宮客は300万人を超えていたという。旅の達人といわれた十辺舎十九が「東海道五十三次」を出版したのが享和2年(1802)、大衆旅行時代を迎えていたのである。この本はその現代語訳の、さらなる復刻版だが、山形・天童にある安藤広重美術館の売店で買い求めたもの。書店で買うのは無理だし、少し高かったが(2000円)お土産のつもりで買い求めたが、なかなか面白くて役に立つ知識が満載だ。前に金森敦子「江戸庶民の旅」(平凡社新書)を読んで、がぜん江戸期女性の旅のかたちに興味を引かれたのが伏線としてある。金森さんの本によると、江戸末期になると女性の一人旅なんていうものまで出てきて、道中の安全はかなり確保されていたようだ。旅の途中で手紙を出したり、重い荷物や土産を荷造りして郷里に送ったり、旅費を旅の途中で受け取ることもできたそうだ。民間の飛脚屋が宅急便業を請け負っていたのである。平坦な道で成人男子は9里から10里、毎日歩いたし、女性でも6里から8里は歩いたというから健脚振りには驚く。伝染病よけに女も男同様「タバコ」を吸っていた、なんていう記述もあって、いやはや勉強になる。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.346 4月28日号  ●vol.347 5月5日号  ●vol.348 5月12日号  ●vol.349 5月19日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ