Vol.1293 2025年10月11日 週刊あんばい一本勝負 No.1285

神保町・タクシー・白井晟一

10月4日 今月中旬あたりから地元新聞で連載が始まるので、何本かダミー原稿を書いている。あれも書きたい、これも書いておこう、とアイデアが膨らむ一方で収拾がつかない。思いついたテーマを書きだしたら、その数は50を軽く超えてしまった。食事中もトイレや寝床でも、そのことを考えていると、けっきょく興奮して寝られなくなってしまった。入れ込んで、視野狭窄症に陥り、周りが見えなくなっている。これはまずい。冷静にというかクールダウンが必要で、まずは深呼吸。書くことがいっぱいあってうらやましい、と言われそうだが、そうではなくひたすら妄想が肥大して、身体の芯が熱くなっていく感じで、これはちょっと危ないなあ。

10月5日 HP写真は「奈良美智」の作品。写真でみると、逆にその迫力と芸術性がよくわかりますね。実は昨日までのHPトップ写真の説明を忘れていました。やはり青森県立美術館で開催されていた「佐野ぬい」の作品展示でした。新聞のラテ欄をみていたら今日のNHK「日曜美術館」は佐野ぬいの特集のようです。昨日までの私のHP写真と同じ風景がテレビ画面でも見られるはずです。1日ずれてしまいましたが。たぶん今のHP写真の後も、青森県立美術館所蔵のシャガールの巨大壁画になるはずなので、これもお見逃しなく。巨大壁画といいましたが正確にはシャガールがバレエ「アレコ」のために描いた舞台の背景画です。そのあまりの大きさに息をのむこと請け合いです。よくこんな絵を購入できたなあ、と驚きますが、米のフィラデルフィア美術館から長期借用しているのだそうです。

10月6日 なんとなくこの頃、読書傾向が変わった。大正生まれの「私小説作家」と言われる人たちの本を意識して読んでいる。木山捷平、小沼丹、庄野潤三、尾崎一雄、川崎長太郎、昭和生まれでは佐伯一麦といった人たちだ。庶民的な視点から、飄逸でユーモアがあり、滋味あふれる独自な文学世界を創造している作家が多い。日常のさりげない風景の中に詩情を見出し、人間味のある温かい世界を現出させ、読んでこちらの心もあたたまってくる。事件らしい事件は何も起きない。つつましやかな日々の移ろいの中に普遍性がある。しみじみとした燈明な優しさが、うれしい。もう中身の激しい、過激な内容の本にはついていけない。

10月7日 今年になって近所に駐車プールがあったAタクシーが倒産、タクシーを呼べなくなってしまった。先日も外で飲んで、帰りはタクシーがつかまらず、どしゃ降りのなか歩いて帰ってきた。駅なら客待ちがいるので100パーセント大丈夫と思ったら、その駅に一台もタクシーがいなかったこともある。もう気軽に夜、外にのみに出かけることもできない。私個人は歩くのが好きなので問題ないのだが、外から来たお客さんはそうはいかない。元タクシー運転手の友人のFさんにこの不便さを相談したら、近所の大学病院のタクシープールの権利をKタクシーが取ったので、そこに連絡するよう教えてくれた。そうか大学病院があったか。

10月8日 1か月ほど前、ブラジル・ベレンに住む友人から、「秋田の知事がアマゾンまで来るそうですが、どんな方ですか?」とメールが来た。知り合いの新聞記者にあわてて知事の訪伯予定を聞くと、そんな発表はないという。今日の新聞で「知事がブラジル訪問」の記事が出ていた。かなり唐突な印象だ。アマゾン地域秋田県人会の創立65周年記念に出席するのだそうだ。アマゾンへの日本人移民は1929年に始まっている。3,4年後には移民100周年になる。もうその式典の用意は始まっていて、関係者は忙しく動き回っている。私も微力ながら日本側の応援団のような形で発起人に名前を出させてもらっている。知事らが、アマゾンの移民100周年に関わっている秋田県民がいると知ったら、けっこうも驚くかも。いや、それほどのこともないか。

10月9日 昨日の満月は迫力あったなあ。中天にあった雲の中の月もゴッホの絵に出てくるようでよかったが、散歩の終盤は雲を抜け高い場所で、威風堂々輝いていた。「どうだすごいだろ」と言わんばかりの存在感で圧倒された。月に夢中になっていたこともあるが2度ほど横断歩道で車に轢かれそうになった。ウォーキングライトを手首に巻いてピカピカ歩いているのだが、もしかすると歩いているこちらの「時間帯」が問題なのかもしれない。夕食が早いので6時には家を出る。7時前までは、帰宅を急ぐ勤め人たちが運転者のほとんどだ。彼らは仕事を終え一刻も早く家に帰りたがって、気が焦っている。歩行者に気が付いてブレーキを踏んでから、申し訳なさそうな顔で、謝ってくるのだが、まるで無視して去っていくのもいる。心はここにあらずの感じだ。

10月10日 白井晟一は昭和を代表する建築家の一人だ。住宅建築に積極的に「和」を取り入れたことでも知られているが、戦争中、友人のいる秋田県湯沢に「本を疎開」させた縁などから、湯沢周辺に手掛けた建築物が今もいくつか残っている。そういえば先日上京のときに訪れた渋谷区立松涛美術館も彼の手になるものだ。世田谷の住宅地のど真ん中に、いきなり翼を広げて飛び立とうとしている鳥のような美術館が現れて、かなりショックを受けた。昨日はその白井の作品を観るため湯沢へ出かけてきた。もう取り壊されたのだが有名な雄勝町役場や湯沢酒造会館は若いころに観ている。今回は市内東側にある「顧空庵」を初めて見て感動した。これは昭和28年に白井が東京世田谷に新築した切妻造の木造平屋建てで、小規模でも豊かな住環境を実現した小さな家だ。平成19年にこの地に移築されたものだが、今見てもそのおしゃれで、住み心地のよさそうなたたずまいは、まったく古びることはない。老後はこんな住宅に住んでみたい、と思わせる「試作小住宅」だ。この建物を見ただけで湯沢まで来た価値はあった。あらためて白井と湯沢市の深い関係に思いを強くしたのだが、湯沢市にはこの白井の建造物の保存に尽力している建築家・清水川隆さんがいる。清水さんとも電話でお話しすることができた。これも収穫だ。

(あ)

No.1285


(新潮文庫)
色川武大
 生まれてからずっと「賭け事」とは無縁だ。パチンコもマージャンも興味がないまま、後期高齢者になってしまった。そのことに後悔はないが、本書のような無頼派と言われ、「麻雀放浪記」のような本を読むこともなかった。いまもマージャンのルールがわからないし、賭け事に胸高鳴ることもない。なのに本書に食指が動いたのは、親子関係を描いた小説集だからだ。「百」というのは何のことはない、父親の年齢の数だ。元海軍の軍人で早期退官した父は、100歳を前に老耄が始まる。面倒を見ている弟夫婦からも頻繁に兄の「無頼派作家」にSOSがはいる。厳格で頑固、明治人特有の価値の中に行き、そこを絶対に譲ろうとしない父と、それとは正反対な無頼な生き方を選んできた子の著者は、なぜか強く父へのシンパシーがある。「劣等」「畸形」の世界を守ろうとする自分と、「優等」「正義」の世界こそ善と信じる父の価値は、どこかでねじれあい、そのもつれあいのはてに通底する。「父親が死んだら、まちがいの集積であった私の過去がその色で決定してしまうような気がする」と著者は言う。本書には表題作のほか3つの作品が収められている。共通しているのは、作者及び作者の肉親の生活を素材にしていることだ。これなら「凄みのある純文学」として堪能できる。

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