Vol.1292 2025年10月4日 | ![]() |
久しぶりに神保町を歩く | |
9月27日 東京のホテルは高くて泊まれないので、今回は大宮に宿をとった。京浜東北線で45分かけ東京駅まで通ったのだが、新しくなった御茶ノ水駅は初めて。そこから神保町の古本街へ。ショックだったのは山の上ホテルの解体工事にぶつかったこと。正面玄関が削り取られる現場をリアルタイムで見てしまった。ここは40代の10年間、背伸びして、やせがまんで泊まり続けた、思い出のホテルだ。古本街では一棚一店という「シェア型書店」が流行っていた。古本(400円)を一冊買い求めたのだが、「現金はダメ」と言われてしまった。スマホを持たないと本も買えなくなる時代はそこまで来ている。神保町も例外ではなく外国人が多かった。どこの古本屋の軒先にも一枚ものの浮世絵が、箱に入って投げ売りされていた。昔は古本にあまり興味なかったが、この頃は新刊書店よりも古本屋のほうに興味がわく。
9月28日 帰りの新幹線の「旅本」も用意なし、だったので、東京堂書店で井伏鱒二『珍品堂主人』(中公文庫)を購入。当時はベストセラーになり映画にもなった作品だというが、こちらに予備知識はゼロ。井伏鱒二の本を読むこと自体初めてなのだ。評判の芳しくない骨董屋が、いよいよ食えなくなり転身、高級料理屋の経営に関わる。そこもうまくいかず追い出されてしまう、というだけの物語なのだが、骨董屋同士の丁々発止のだましあいが面白い。物語の3分の2は骨董以外の料亭経営の顛末に割かれている。文庫の巻末解説の代わりに白洲正子の「珍品堂主人 秦秀雄」というエッセイが転載されている。これがめっぽう面白い。なるほどそういうことだったのか。この骨董屋珍品堂には実在のモデルがいた。そのモデル・秦秀雄のまわりには文士の小林秀雄や青山二郎がいて、料理屋は北大路魯山人の星ヶ岡茶寮を連想させる。「名人は危うきに遊ぶ」という言葉がある。真物の中の真物は、ときに贋物と見紛うほど危うい魅力がある。正札つきの真物より、贋物かもしれない美のほうが、どれほど人を引き付けるか。「贋物を買えないような人間に、骨董なんかわかるものか」というのが秦の口癖だったそうだ。 9月29日 私にも「推し」がいる。その「推し」こと書家・井上有一の展覧会「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン1970s−1980s」が、東京の渋谷区立松涛美術館で開催中だ。井上の書を初めて見たのは30年程前だが、本当に鳥肌が立った。以来大ファンだ。コロナ禍前、生誕100年を記念する展覧会が金沢市の21世紀美術館で開かれたが、もちろん駆けつけた。井上の書を「素材」にした杉浦康平のブックデザインや、木村勝、田中一光、早川良雄、浅葉克己といった人たちのイラストや写真、ポスターなど、実に素晴らしかった。図録カタログは2500円(チョー安い)、できれば2部ほしかったが、ぐっと我慢。家に帰って、最も感動した杉浦康平ブックデザインの『井上有一全書業』全3巻の値段を(念のため)調べたら古書価88万円だった。これはいくら「推し」でも無理。 9月30日 今年の夏はすっかり「レーメン」の世話になった。インスタントではない。ちゃんとゆでる必要があるのだが、冷凍のつゆと大根キムチが入っている。これに茹で卵とキューリ、シナチクを入れて食べるのだ。追いキムチもちゃんと準備して食べていた。先日の東京出張では3日間留守になるので、冷蔵庫の残り物をタッパに入れ新幹線の車中やホテルで食べていた。ホテルはさいたま副都心駅のメトロポリタンで、その駅に成城石井が入っていた。ここで惣菜を買えば、もう外食の必要はない。ホテルの3階にブラジル料理店が入っていて行きたかったが、手持ちの食材で腹いっぱいになり、行けなかったのが悔やまれる。昼も夜も食事は立ち食いソバ屋で済ませ十分満足。もう東京に行くのはしんどい。 10月1日 我が家の周囲500メートル以内に空き家が3軒ある。ひとつはお隣で、もう家は壊され空き地になっている。100m先の空き家は、私の学生時代、大学職員だったご夫婦が住んでいた。お二人とも施設に入ったようだ。もう一軒は寿司屋さん。ここは売りに出されているが、生存は不明だ。若い頃よく通った寿司屋だが、やはり夫婦とも施設に入っているようだ。同じように散歩途中にある病院も3つ、空き家になっている。内科に眼科、歯科医院だ。高齢のため廃院してしまったのだ。毎日のように散歩で目にすると、ちょっぴり切ないが、これが人生だ。 10月2日 新刊が2冊でき、決算月の9月が終わり、来客も電話も多い10月最初の日がスタート。のだが、こんなバタバタの時に限って想定外の事件が起きる。メールの送受信ができなくなった。原因は全くこちらの不注意で誰も批判できないのだが、メールが元に戻るまで丸1日かかってしまった。メールが使えなくなって痛感した。机に座っていても何もやることがない。どれだけメールに頼って仕事をしているのか、末恐ろしい。こんな時は外に出て、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込むに限るのだが、来客の予定が数件入っていて事務所を離れられない。毎年、10月は「読書の秋」。忙しくなる月まわりではあるのだが、猛暑が長く、秋への備えが、実はまだ気持ち的にできていないのだ。来客も一挙に多くなるし、それに伴った飲み会も増える月だ。体調管理に気を付けなければ。 10月3日 「時そば」というのは古典落語の定番だが、三遊亭白鳥の「トキそば」は創作落語。「時」をカタカナにした意味が最後に分かってくるという、なかなか手の込んだ噺だ。自分の前座名・三遊亭新潟から、徹底的に「新潟=田舎者」を枕に笑いをとり、その流れのまま古典落語を見事に現代に蘇らせる構成が見事だ。前半は古典の「時そば」通り噺は進行する。屋台の蕎麦屋で勘定をだます。後半、だまされる蕎麦屋が新潟・佐渡出身で、しかも環境保護運動家のゴリゴリのエコロジスト、という設定になる。こうなるともう噺はハチャメチャになり、客と蕎麦屋のやり取りが徹底的にかみ合わない。食べ終わって件の通り勘定を数え始め、「今、何時だい?」と訊くと、店主は「は?」。「日本の時で何時かって訊いてんだよ」「ああ、はいはい、今は中国産ばっかりで日本産はゼロです」「そうかい、ヒー、フー、ミー…」。落ちでタイトルの「佐渡のトキ」が登場する仕組みで、これはよくできている。 (あ)
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