Vol.1291 2025年9月27日 週刊あんばい一本勝負 No.12823

『過疎ビジネス』って怖いなあ

9月20日 「グラビア印刷」というのは、どんな仕組みの印刷なの? と訊かれた。印刷のもとになる「版」がゴムやアルミではなく「金属」なのだ。印刷には凹と凸の両方がある。グラビアは、へこんだほうを使う凹版印刷に属する。細かい文字は凸が得意だが、絵や写真は凹のほうが圧倒的に再現性が高い。だから食品用フィルムやビニールへの印刷にも使われる。経費も高くインクも濃いので乾きが遅い。そのため溶剤としてシンナーが使われた。昔の印刷所はシンナーの匂いがしたのはグラビア印刷のせいだ。このシンナー使用が多くなると、必然的に火災の可能性が高くなる。そこで印刷所の鉄骨にはアスベストが大量に塗布されることになる。アスベストは熱に強く、燃えにくい。アスベストはもう禁止された危険な物質だが、それが私たちの業界の隆盛とも密接に関連を持っていた、というのは知らなかった。古い印刷所の建物には、天井裏にまだびっしりアスベストが残っている可能性がある。

9月21日 あのニューヨークの9.11で倒壊したワールドトレードセンタービルは建築中にアスベスト使用が禁止された。そのため建物の40階近くまで工事中だった耐火被覆材のアスベストを全部取り除き、新材料にやりなおしたため、倒壊した、という話があるのだそうだ。映画俳優ステーブ・マックイーンの死因がアスベスト曝露によるもの、というのは噂では聞いていたが、12年に亡くなった作家の藤本義一氏の死因も中皮腫で、これは阪神・淡路大震災の復興支援で大量に吸い込んだアスベスト曝露が原因ではないか、というのは初めて知った。これらのことについて、自身で電気工時代の曝露体験を語り、被害の最前線をルポした佐伯一麦『石の肺』に詳しい。驚くことばかりだが、このアスベスト禍、過去の出来事ではなく今も進行中の災害であるのというのが怖い。

9月22日 体調があまりよくない。熱が出て寝込んだりするほどではないが、なんとなく頭がボーっとして活力がわかない。昨日からは奥歯の歯茎が腫れ、鈍痛が続いている。歯の痛みをとってからでないと何もはじまらない。今日は外に出る用事があるのだが、まずは歯医者の予約を入れ、その時間を最優先にして計画を練り直すしかない。歯が痛いまま人に会っても、どこか上の空で、礼を失する。これはまあ持病みたいなもんだ。

9月23日 NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」は好きな番組だ。蝶の羽ばたきのような一人一人のささやかな営みが、いかに「連鎖」して世界を動かすか、がテーマなのだが、これは「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」ことと同意だと思っていた。でも違った。「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が多きる」というのは、60年代に気象学者ローレンツが、天候の変化を支配する方程式がカオスである、と発見したことに由来する。天気を予想するという科学の問題が極めて難しいことを証明したカオス理論だ。初期値の小さなずれに対して、その後の運動が鋭敏なふるまいをすることをカオス系と科学者たちは呼ぶ。ビルの上からボールを落とすのには方程式が作れるが、紙一枚をひらひら落とす場合、その未来を予測するのは難しい。くしゃみと風邪が「連鎖」するわけではなかった。

9月24日 トランプ大統領というのは、どう考えても独裁者だ。アメリカ国民はこんな人物をよく許しているものだ。そのトランプから江戸時代の徳川5代将軍綱吉の「生類憐みの令」を連想してしまった。戌年生まれの綱吉は犬を愛するあまり、犬殺しの「密告者」に30両の報償を出した。蚊の大量発生と伝染病の流行に悩まされた時代だが、蚊を殺したかどで遠島になったものまでいたという。こうした綱吉政権への強い不満の蓄積が、あの赤穂浪士の仇討ち行動を待望させ、熱狂させる下地を作った、という人もいた。

9月25日 討ち入り赤穂浪士47人の話だ。赤穂家というのは何人の家臣がいて、そのうちの何割が討ち入りに参加したのか。赤穂藩は5万3千石。家臣の数は308人。「義挙」に参加したのはそのうちの47人だが詳しく見れば、現役だった家臣は36名。隠居や足軽、元家臣や部屋住みの若者が8名もいたから、現役家臣は40人もいなかったことになる。50歳以上の義士が10人で、最高齢は77歳だ。ということは、世間は討ち入り英雄論に組みしたものの、浅野家中の多数は実は討ち入りの「少数派」で、批判の的になった人たちということになる。どう考えても「義士」として討ち入りするほうが、「不義士」として生き続けることより、易きにつくことではなかったのか。そこを疑い『不忠臣蔵』(集英社文庫)という物語を書いたのが井上ひさしだ。彼らはなぜ義挙に参加しなかったのか、という一点から、厳密な歴史考証と想像力で「忠臣蔵」を問い直した物語で、これは面白かった。この死角からの視点が表現者には必要不可欠だ。

9月26日 東京2泊3日の旅。行きの新幹線で読む本が見つからない。どうにかギリギリ出発当日に届いた横山勲『過疎ビジネス』(集英社新書)をひっつかんで車中のひとに。河北新報の記者が書いた本なのに個人名で著しているのは、文章責任は個人で追うという強い信念からか。福島県国見町で起きた、匿名企業からの4億3千万の企業版ふるさと納税を巡る、何とも「怪しい地方創生事業」の中身を追ったルポだ。寄付額の9割は法人税などから税額控除され、同じ企業がその寄付金を使った事業を受注すれば、そっくり利益を囲い込める。中に入ったコンサルは仙台でこれも怪しい東日本大震災の防災ベンチャー企業。ここと寄付企業はもともとグルなのだ。ほとんど課税逃れのマネーロンダリングというか、寄付金還流で儲ける事業スキームである。秋田県でも似たような事案がある。若手IT経営者が過疎の村に乗り込んで「村の雇用を100倍にする」などとほらを吹く。内実は国の補助金をがっぽり懐にしているだけだ。過疎にあえぐ自治体に近寄り、公金を食い物にする、地方創生のもとに行われる「不都合な真実」だ。もしかすれば福島の次は秋田かも……。

(あ)

No.1283

私の好きな孤独
(潮文庫)
長田弘
 身辺のいろんなところに「置き本」してある。「置き本」というのは池内紀の造語で便所で読むための本のことだ。私の場合、寝床用、外出用、便所用と車用に4か所、「置き本」の場所がある。みんな2,3冊ずつ、読みかけの本が、それぞれの場所に置いてある。その4か所に共通の作家の本がある。詩人・長田弘のエッセイ本たちだ。「自分の時間へ」「読書からはじまる」「すべて君にあてた手紙」、「私の好きな孤独」である。長田さんとは生前、新宿の飲み屋さんで一度だけお会いしたことがある。津野海太郎さんが紹介してくれたのだ。置き本は、すべて詩集ではなくエッセイ集だが、どの1冊も読了まで至らず、7,8割のところで、そのままになっている。音楽、コーヒー、旅、酒、読書……といった定番のテーマを、この詩人でなければ出てこない新鮮な言葉で紡いでいるエッセイだが、過去に新刊で出た時に、いずれも読んでいる本たちでもある。だから結末(最終ページ)までなんとなく予測できるのだが、文庫になったら手元に「置いておきたい本」なのである。私より10歳上の長田さんが亡くなったのが10年前。今の私と同じ年の時に亡くなっている。お会いした時、ほとんど会話らしきものができなかったが、同時代を生きた哲学者で、その奥行きのある深い言葉は、いつまでも忘れたくない箴言が多い。「いつまでも読了できない文庫本」というのも長田さんの好きそうな言葉だ。

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