Vol.1277 2025年6月21日 週刊あんばい一本勝負 No.1269

「休養学」の勉強中

6月14日 1週間の過ぎるのが遅い。1週間の「時間感覚」と、自分の体調や仕事の因果を考えるが、よくわからない。確信できるのは、体調がいいと時間はゆっくり流れ、仕事が忙しいのも同じ。忙しくなればなるほど時間は目に見えるように早く過ぎる。この数週間、ヒマだし、体調も良くなかった。昨日は思い切ってジムのプール会員をやめ気分がすっきりした。会員になって一度も泳がずの退会だ。不用意に筋トレをするのも要注意。すぐに腰にくる。昨日は読む本がなくなったので、久しぶりにブックオフへ。おっ、と思う本はすべて定価の半額以上。そのへんの書店員よりブックオフの店員はレヴェルが高い。「掘り出し物」なんてよほどのことがないと、ない。収穫はカズオ・イシグロの文庫本「わたしを離さないで」一冊のみ。
 
6月15日 TVドラマ「団地のふたり」が面白かったので、原作者・藤野千夜の本を読もうと、自伝的長編小説『編集ども集まれ!」(双葉文庫)を買っておいたのだが寝床脇に置いたまま。神保町での漫画編集者時代を描いた物語だが、あまりにベタな「書名」に読む気が起きなかった。読んで猛省。この書名は尊敬してやまない手塚治虫作品『人間ども集まれ!』へのオマージュから生まれたものだった。笹子(通名)と小笹(本名)を使い分けながら、最後はスカートをはいて出社し解雇されるまでを描いた、漫画に淫した若者の生き方はかっこいい。

6月16日 学生時代、市内駅前に「揚子江」という中華料理屋があった。個人的に店主やその家族と親しく、よく通っていた。ここで食べた天津飯のような、辛くない麻婆豆腐のような、不思議な味のどんぶり飯が大好きだった。中華料理のメニューにはない。たぶん賄い飯だったのかもしれない。先日、TVをみていたら大阪大学の学食で「テンマ」と呼ばれている人気中華メニューがある、という話題をやっていた。天津丼の上に麻婆豆腐をぶっかけたどんぶりで、学生に大人気だという。あ、あ、あッ、これだ、間違いない。学生時代、うまいなあ、と涙を流さんばかりにかっくらったどんぶりは、この「テンマ」だったのだ。そうか天津のマーボーで、テンマか。

6月17日 2か月に一度、かかりつけ医に逆流性食道炎の薬をもらいに行く。朝一番で血圧を測るのだが、160台だ。この2年間、ずっと血圧が高い。その前は130から40台だった。この2年に何があったのか。休養がないからかな、と考えてみる。健康の3大要素は「栄養・運動・休養」だ。栄養と運動に関しては嫌になるほど本が出ているし、学問的な体系化も進んでいる。でも「休養」に関しては、まったく学問として確立していない。「休むこと」=「寝ること」なので、わざわざ学ぶべきことではない、という常識なのだろうか。では何をすれば自分にとって「休養」になるのだろうか。実のところ全くわからない。

6月18日 「休養」の続きである。学問として確立されていない「休養」に、ひとつの形を与えてくれた本が片野秀樹という人が書いた『あなたを疲れから救う 休養学』(東洋経済)だ。この本によれば、疲労回復のために一番重要なのはサーカデイアンリズム(概日リズム)で、これは地球の天体リズム(24時間周期)のこと。自律神経は24時間サイクルで、その時間帯に最適な状態に身体を調節する。朝は興奮や緊張をつかさどる交感神経(正)が有利になり、夕方になると、筋肉は弛緩状態になり、血管も緩み、副交感神経が優位になる。この正副は12時間交代で切り替わる。しっかり休むというのは、この正副のバランスが取れていること。交感神経はアクセルで、副交感神経がブレーキなのだ。疲労の反対語は「活力」だ。疲労は休養だけでは半分ほどしかリカバリーできない。残りは逆に活力という負荷を身体に与えることでフル充電までもっていくことができる。というのが著者の主張だ。なるほど。

6月19日 へこんだり、ぬか喜びしたり、自己嫌悪に陥ったり、まあ毎日いろんなことがある。こういうことがすべて日常からきれいさっぱり消えてしまい、何も考えなくて済む、まっさらな未来がくると信じて、老後に至ったのだが、そうした至福とは無縁の日々だ。もしかして限りなく認知症に近い状態になるのが老後の幸せなのかもしれない、と最近は半ば真剣に考えることもある。かかえているいろんな悩みや半猿な日常から逃げ出す最良の方法は、認知症になるか介護施設に入ること。宴席の与太話として笑い飛ばしたが、案外これは芯を喰った発言だったようにも思えてきた。75歳を「後期高齢者」ときめた人を、何をバカなことを、と鼻で笑っていたのだが、自分がその年齢になると、確かに75歳は「老後のもうひとつの境目」だった。人の言うことはもっと素直に聞いたほうがいい。

6月20日 テレビCMを見ていて、これでよく公取に引っかからないなあ、といつも思うのは、例の司法書士グループの「今すぐお金が戻ってきます」だが、もう一つ、最近目立ってきた「着るだけで腰痛や肩こりが治る」という服のCMだ。いくらなんでもこれは、と勝手に心配していたのだが調べてみると、どうやら医学的根拠に基づいた、ちゃんとした一般医療機器だった。これにはちょっとびっくり。日本が世界で初めて開発したもので「衣服内気候」という空気層をコントロールし、遠赤外線で自分の体の熱を利用する服だったのである。ユニクロなどが販売している「吸湿発熱型ウェア」が有名だが、あの欠点(乾燥する、温まらない)を補って、体温が上がりすぎず、温かさが持続するのだそうだ。よって血行が促進され、疲労回復になる、という理屈だ。タレントが「やばいよ、やばいよ」と連呼するCMだが、意外や意外、医学的には「疲労しているときにはアクティブレストといって血流量の変化が必要」から発想された、正当性のある商品だったのである。
(あ)

No.1269

痴人の愛
(文春文庫)
谷崎潤一郎
 文豪だとか古典だとか、そうした言葉に迷わされて、読み逃してきた本は多いだろうな。その代表的な本が本書かもしれない。タイトルがちょっとおどろおどろしいが(いまなら書名は『ナオミ』だろう)、中身は今の女子高生でも読める、ポップで軽やか、平易で読みやすい、魔性の女の物語だ。これなら二晩もあれば読み通せてしまう。それでも何度か、これが本当に、あの関東大震災のころの物語なのか、とページをくくる手が止まってしまった。難しい言葉遣いなど一言もない。 大正時代、東京で20代の若いエリートサラリーマン(電気技師)の給料は、都内に一軒家を借り、女中の2人を置いても釣りが来て、銀座にあったダンスホールやカフェはいつも満杯で、今も昔も慶応の金持バカ息子たちがプレイボーイ気取りで遊びまくっていた。その電気技師が、15歳の女給・ナオミを自分好みの女に育てようとする物語なのだが、魔性の女として成長するナオミの存在感が、物語のなかで中核を占めていることに変わりはない。このナオミがちっとも古臭くないのがショック。会話の言葉遣いが、それなりに時代を表しているが、それ以外は現代にもそのまま通用する。大正時代の色恋沙汰が、令和の今もまったく違和感なく、現代の問題として読者に向かってくるのだから文学の持つ力は侮れない。

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