Vol.1275 2025年6月7日 | ![]() |
コメの随意契約と本の入札 | |
5月31日 丸一日、県南地方を放浪。横手で打ち合わせがあり、そのついでに大曲にも足を延ばし六郷の友人とも会ってきた。大仙市のある公共機関を訪ねたのだが、思っていた以上に「高度な技術で運営・管理」されていて、日を改めてじっくりと話を伺いたいと思った。こんなことがあるから外に出ることはあなどれない。帰りは高速に乗る手前のイオンモールで恒例の「店内ウォーキング」をして帰るつもりだったが、てんこ盛りのスケジュールだったので、歩く気力が最後までわいてこず、食事をして帰ってきた。
6月1日 仕事が一段落したので「豪華なディナーで自分にご褒美を」などと似合わないことを考えてしまった。外に出ていたので、お店はいろいろある。高級な店は前日の予約が必要だ。よしッ、こうなればあそこしかない。入ったのはショッピング・モールの中のサイゼリア。車だがお酒は飲まないのでノンアルビールで大丈夫だ。5時前なので店内はガラガラ。数組の女子高生がちらほら。いつものように、ハモン・セラー、モッツアレラチーズ、アロスティチーニ(羊の焼鳥)、ムール貝のガーリック焼き、ほうれん草のソティ、玉ねぎのズッパ、を早口で注文。大満足な夕食だった。ちなみにノンアルビールは2本、お会計は2850円(税込み)だった。サイゼリアがある限り、日本は大丈夫だ。 6月2日 トップページの写真は東京・ほぼ日ビルで開かれていた蓮尾佳由さんの展覧会の会場で撮った一枚。まだ若い絵描きだが、そのポスターを見た途端、「佐野ぬいの再来か!」と驚いた。ためらうことなく会場に入った。もちろんまだ佐野ほどの繊細さはなく、粗削りなのだが、青色の使い方は佐野とよく似ている。佐野ぬいは弘前市の有名な洋菓子店の娘で2023年に亡くなった。青森というところは、ときにこういうぶっ飛んだ前衛的な表現者を輩出する地域性がある。佐野の絵は画集だけで、本物を見たことはない。ずっと展覧会を見たいと思い続けると、こうした若い絵描きに遭遇する。蓮尾さんは佐野のことを知っているのだろうか。会場でお会いした時、そのことを聞くのを忘れてしまった。 6月3日 夜、3度はおしっこに起きる。頻尿というやつだ。痛風の持病があるので、医者から「水分をたくさん摂るよう」言われている。そのため毎日、理やり1・5リットル以上の水分を摂るよう心掛けているからだ。成果は定かではないが、この5年、痛風の発作はおろか、薬も飲んでいない。本当に痛風が治ったのか、発作はないものの、まだ安心はしていない。その代償が「頻尿」だ。頻尿は熟睡という満足感を奪う。とにかく薬を飲まない老後が理想だが、そうはうまくいかないのが人生だ。 6月4日 今日も雨。毎日、体温調整が難しく体調を崩しそうで不安だ。こんな時は、ほっこりする本でも読んで、いやされたい。小川糸『いとしきもの』(文春文庫)は、人生の先行きに悩んだ彼女が八ヶ岳の森と出会い、車の免許を取得し、山小屋を建て、大好きな器やアートに囲まれて、シンプルな暮らしを実践するまでを綴ったフォトエッセイ。文庫オリジナルだ。サブタイトルには「森、山小屋、暮らしの道具」とある。さらりと読んで、さらりと忘れてしまう。こんな本もたまにはいい。 6月5日 コラムを書いている新聞で「綺羅、星のごとく」と書いたら、「今は慣用で〈綺羅星のごとく〉で全然かまいません」と言われた。へぇそうなんだ。まあそういわれれば「五里霧、中」なんて書く人、いないもんね。でも本来はこっちのほうが正しいらしい。「間、髪いれず」ももうダメで、小川哲の『君のクイズ』という本を読んでいたら、それを言うなら「清、少納言」が正しいし、「ヘリコプター」は「ヘリコ・プター」だろう、と書いていた。「言語道断」も語源からいえば「言語道、断」と区切るのが正しいのだそうだ。 6月6日 令和のコメ騒動で「随意契約」という言葉はすっかりメジャーになった。超零細企業なので入札とは無縁の小商いで糊口をしのいできたが、そういえば四半世紀ほど前、「秋田のことば」という方言辞典の原稿の「入札」に参加したことがあった。文化版の官民ジョイントベンチャーとして当時はけっこう県内外で話題になったのだが、この入札方式がかなり変わっていた。秋田県教育委員会が大学教授や研究者らと共同で3年余りかけて調査、執筆、編集した「原稿の入札」で、A5判1000ページ余りの方言辞典の「出版権」を、入札で民間の出版社に譲渡する、という試みだ。地方自治体としては初めての試みとして大きな話題になったのだが、入札の方法も、今回の令和の米騒動の随意契約さながら、かなり意表を突くものだった。県民の税金を使ってソフト(原稿)をつくった県側に、「1600部の完成本をいかに安く納入するか」を競わせる、というものなのだ。落札した出版社は、県から5年間の出版権を譲渡され、部数も定価も出版社が自由に決めることができる。印税は増刷時から3パーセント県に支払う、という条件だ。1600部というのは、県内の学校図書館や関連施設に寄贈するため、県が最低限必要な部数だという。結果は50万円でうちが落札することになったが、実を言えば「1円」でも充分ペイする数字だった。なかには複雑な入札方法の意味が分からず、300万とか600万といった札を入れた業者もいたようだ。定価さえ安くすれ、この方言辞典の内容からすれば1万部以上は売れる。その見立てに自信があっだのだが、「一冊300円ほどで県に本を作らされたのでは」と数字上の計算から、危惧するする人もいた。実際、定価を2800円(税抜き)に設定した本は、予想通り売れに売れた。1000ページの箱入りの方言辞典だから当然といえば当然だ。増刷が決まると県側は早々とマスコミに勝利宣言を出した。著作権という無形の財産がバランスシート上の財産として活用されたからだ。出版社側から言うと「出版権をどれだけ県から高く買えるか」を競う入札だが、実質的には50万円という「安さ」が入札の決め手になった。 (あ)
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