Vol.1269 2025年4月26日 週刊あんばい一本勝負 No.1261

かかりつけ医が見つかった!

4月19日 5月GWは事務所を留守にして、ずっと旅に出ていたい、と思っている。3月4月とバタバタしていたが、ほぼGW前に仕事がひと段落する。各地の景勝地を巡ったり、温泉宿に泊まったり、その土地のグルメを堪能したり……といったことしか思い浮かばないのだが、いずれも突き詰めていくと、いまひとつやりたいことではない。結局は「家の近くの山でも登るか」となってしまうのがオチだ。夜は本を読むか映画を見るか原稿を書いていれば、時間は飛ぶように過ぎていく。でも酒を飲んでしまうと、時間は無駄にダラダラ感じられ、飽きがきて、酔うと何もしたくなくなる。

4月20日 青空に誘われて、いつもの駅前コースではなく、逆の医学部裏からノースアジア大学経由の、田んぼ道コースを散策。途中にある石動、白山の両神社もじっくり隅々まで入り込み「拝んで」きた。なぜ広面に、北陸の山や地名を冠した神様を祀っているのか、それも互いに100メートルも離れていない川一本を挟んだ場所に、仲良く両神が鎮座しているのか。ここに来るたび不思議に思うのだが、明快な答えを示してくれる人がいない。ノースアジアのグラウンドでは高校野球の試合が行われていた。そこからいつも行く広面近隣公園を横切って帰ってきたのだが、公園の横を流れる太平川沿いの桜が、ちょうどいいくらいの咲き具合だった。

4月21日 あいにくの雨だが、Fさんと湯沢までドライブ。帰りは下道を通って、いろんなところを寄り道しながら、帰ってきた。国道13号線を走りながらいろんなことを考えてしまった。高速道ができるまで、毎月のようにこの13号線を走っていた。ほぼ30年前と同じ光景が残っていた。当時のいろんな出来事も思い出され、人も風景もそんなに簡単に変れない。国道沿いにあるニトリに立ち寄り、夏物の寝具類をまとめ買い。ずっと気になっていた夏用スリッパ類も買う。

4月22日 椅子だけは高価なものを買う癖がついている。この年になっても腰痛と無縁なのは、たぶん家でも仕事場でもいい椅子に座っているからだ、と勝手に思っている。先日、湯沢市の秋田木工の定期バザー(特売会)を冷やかしてきた。会場入り口に目玉商品の、その日一番の高価なロッキングチェアーが展示されていた。33万円のものが10万円引きの23万円。わが寝室で愛用しているロッキングチェアーと同じものだ。私が手に入れたのは20年ほど前。秋田市のデパートで秋田木工のバーゲンセール品として確か6万円で買った記憶がある。店員さんに尋ねると、「それはうちが倒産した時の投げ売りですね。もうこのモデルはありません。いい買い物しましたね」と言われた。30万以上のものが当時たまたま5分の一の値段で買えた、のである。

4月23日 ようやくかかりつけ医を見つけた。同じ町内にある近代的で明るく大きな個人病院だ。何のアポもなしに飛びこみ、前の病院の紹介状を差し出したら、「はい、いいですよ」とすんなり受理された。さっそく今年1月の人間ドックの健診票をチェックしてもらい、そこではじめて「尿酸値」が高いことを指摘された。痛風の症状に悩まされていたのはもう昔で、いまは症状もなく、すっかり改善されたものと安心していた。血圧も、いつもなら140前後なのに170まで上がっていて、看護師さんから「少し高いですねえ」と言われてしまった。

4月24日 生まれて初めてハローワークを訪ねた。パートをしてくれる求人のチェックのために訪ねたのだが、結局、いまはパソコンですべて家にいて手続き可能なのだそうだ。ネットにはこの手の職業あっせん業があふれかえっている。ハローワークそのものは、もう役割を終えたのかもしれない。

4月25日 録画していたNHK教育テレビ「緒形拳のアマゾン紀行」を見た。92年の制作だから、もう30年以上前の番組だ。俳優の緒方が、リオのファベーラ(貧民窟)を訪ね、そこからアマゾンへ飛び、セレンゲイロ(ゴム採集人)といわれる人々を取材する。リオのファベーラと、アマゾンのセレンゲイトをつなぐ共通点は、住民がノルデシチ北東部の出身なこと。セリンゲイロの英雄といわれるのがシコ・メンデスという人物で、彼はゴムの採れる森を守るため、開発業者たちとの戦いに命を懸け、のちに暗殺される。その彼の面影を緒方が追う旅の記録だ。この寡黙なドキュメンタリーは、多くのことを見るものに語りかけてくる。勉強になった。緒形の寡黙さは、すごみさえある。
(あ)

No.1261

雨滴は続く
(文春文庫)
西村賢太
 「私小説」に興味はあるが、あまり本は読んだことがない。古くは阿部昭が好きだった時期もあり、頭の中では彼が私小説の代表作家だった。最近、亡くなったばかりの西村賢太の遺作である本作は、巻末に「特別原稿」なるものが付記されている。この「付記」ももしかして作品の一部なのか、読んでひっくり返りそうになった。物語は、無職の自称文学研究者・北町貫多が、いつものように女性への懸想のままならぬ行方に煩悶しつつ、他者を罵倒、屈辱しながら、鬱屈の日々を綴ったもの。ヒロインの地方新聞紙記者である葛山久子へは思いかなわぬまま、悪態の限りを尽くして、言葉で罵倒、凌辱を繰り返す。そのヒロイン本人が、なんと文庫本の巻末に登場し、「親愛なる西村さんへ」という解説原稿を書いているのだ。もちろん本物の(フィクションでない)ヒロインそのものの人物、である。作品の中身とは真逆に、彼女は、作家と知り合って17年間、手紙のやり取りを通じて互いに信頼しあう友人であったことを吐露している。遺作なのでできた「種明かし」なのだろうが、読む側にとっては、ショックに言葉を失ってしまう。「作家はウソつき」という事実にひれ伏すしかない。些細な日常をエッセイのように淡々と描いているのに、実はほとんどが作家の作り話なのだ。私小説、恐るべし。

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