Vol.1268 2025年4月19日 | ![]() |
本はやっぱり面白い | |
4月12日 15日に神宮寺岳に登る予定だったが、雨の確率が高く、中止の可能性が濃厚になった。だったら今日しかない。と急きょ男鹿真山へ。登り1時間20分、下山1時間。前岳ほどではないが、ここもけっこうきつい山だ。花はイチリンソウが至る所で顔を見せていた。下山してから男鹿温泉郷・雄山閣で温泉。男鹿駅前に立ち寄って若い人たちのやっているカフェやラーメン屋をはしご。東北で一番大きな店舗面積だという無印良品にもよるつもりだったが、どうにも最近は物欲がとんと薄くなり、これはキャンセル。家に帰ってきた。
4月13日 何十年ぶりかに「枕」を替えた話はしたが、まるで違和感がないのが、なんだか不気味だ。不眠やイライラ、体への影響が数日間続くと覚悟していたので拍子抜け。これはもしかして高齢化のため、体の繊細なセンサーが劣化しているのではないだろうか。何の刺激に対しても身体が何も感じなくなる「老人病の一種」では、とさえ疑ってみたくなる。 4月14日 日曜日は事務所にこもってカレー作り。調味料などに凝りまくり独自のスパイスを考案……ではなく、ひたすら市販のルーの裏箱に書かれたレシピ通りの「フツーのカレー」だ。いつも思うのは「カレールーがしょっぱすぎる」ことだ。誰も文句を言わないところを見ると、これは私だけが感じていることなの。もう一つ、「つゆの素」は、これで料理を作ると、まったく同じベッタリとした、なまずくもうまくもない平板な味になってしまう。たまに「つゆの素」を使わず、砂糖と醤油だけで同じ料理を作ると、料亭の味か、と思うほどメリハリの利いた、素材の旨さが際立つ、味付けになる。塩っ気のきついカレールーと、だるい甘さの強い「つゆの素」は、できれば食卓から追放したい。 4月15日 予想通り雨で神宮寺岳行は中止。いつも通り仕事場にこもっている。幸いにも、やることは山ほどある。積み木将棋のように、少しずつその山が崩れないように切り崩していく、地味な仕事だ。突然予定が消えてしまった時、こんなふうに、やるべき仕事があるというのは幸せなことかもしれない。でも仕事には「責任」もかならず付きまとう。お金をもらうというのはそういうことだ。だから、ここから逃れたいという欲求も、身体の隅っこには、いつも残っている。 4月16日 美達大和著『獄中の思索者』(中央公論新社)。とんでもなく面白い本だ。著者は仮釈放を放棄して獄死を選んだ無期懲役囚だ。その厳格で原理主義的なその生き方に、ついていけない気にもなるのだが、本人は自らの思想を100パーセント生き方で実践しているから、すさまじい。2度の殺人事件を起こしている殺人犯の服役囚なのだが、小さなころから「学業もスポーツも優秀な子供」で、ビブリオマニア(本の虫)で、その生き方に決定的な影響を与えたのは在日韓国人の金融業で成功した父親だった。父親を尊敬し、その信頼や敬愛の度合いは常軌を逸している。現在も「単独処遇」という独居房での一人作業を選び、ほかの囚人との交わりを避け、本を書くことで得た収益は児童養護施設に寄付し続けている。こんな本を読むには、読むほうにもある種の覚悟がいる。 4月17日 久しぶりに青空の見える朝。冬の間、曇天の空に慣れ切った目と身体には、まるで色香が匂う誘引剤のように感じてしまうからやっかいだ。この頃、近所を散歩していて感じるのは、知らないうちにこっそりと店を閉じてしまう飲食系の店舗が増えていること。人口減と少子高齢化に、すさまじい物価高の直撃となれば、仕入れにお金のかかる飲食店の経営は難しい。老舗といわれる寿司屋や人気のある焼き鳥屋も、週のうち半分くらいは店が閉まっている。 4月18日 大正時代、東京で20代の若いエリートサラリーマン(電気技師)の給料は、都内に一軒家を借り、女中の2人を置いても釣りが来て、銀座にあったダンスホールやカフェはいつも満杯、慶応の金持バカ息子たちがプレイボーイ気取っていた……というのは実は谷崎潤一郎『痴人の愛』で描かれている世界。中身は今の女子高生でも読めるポップで軽やか、平易で読みやすい物語なのに驚いてしまった。15歳の女給・ナオミを自分好みの女に育てようとする30代前後の男の物語なのだが、もちろん魔性の女として成長するナオミの存在感が、物語の大きな中核を占めている。このナオミがちっとも古臭くない。いや登場人物の誰一人として(言葉遣いの古さをのぞけば)現代にも通用する人物として描かれている。大正時代の色恋沙汰が、令和の今も、まったく違和感なく、現代の問題として読者に向かってくるのだから、文学の持つ力は侮れない。 (あ)
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