Vol.1114 22年5月7日 週刊あんばい一本勝負 No.1106

けっきょくグダグダ「華のGW」

4月29日 今日からGW。毎年のことですがウチはカレンダー通りに休みます。ということは普通通り仕事をしています。とは言いながらも、今年のGWこそは有意義な休日にしたいなあ、とひそかにいろんな計画も練っています。確か去年は、この時期に一挙に県内の主要な「中世の城館」を訪ね歩いています。今年も県内の「気になる歴史の場所」を訪ねてみたいのですが、宿泊(日帰りは無理なので)のことを考えると途端に億劫になってしまいます。カミさんのアッシーとかシャチョー室宴会とか原稿書きとか、もう半分は埋まっているが、あとの半分のスケジュールは空白。誘ってくださればどこへでも出かけます。

4月30日 GW2日目。昨日はきちんと原稿書きに専念。夜はちょっとずつ読み進めていた谷崎潤一郎『鍵』を読了。今日は連休では唯一好天予想の日。どこか出かけようかと思ったが、やっぱり事務所に引きこもってウジウジ、チマチマ、コツコツと世の中の役に立たない作業をするのが性に合っている。

5月1日 山行のない日曜日の朝の楽しみはNHKFMの「現代の音楽」。今日はピアニストの高橋アキ。高瀬アキと間違う人もいるが、こちらはジャズのピアニストで高橋は現代音楽のピアニストだ。どちらの「アキ」も好きなのでややこしいが、高橋アキはあの現代音楽作曲家・高橋悠治の妹。普段は現代音楽を耳にする機会はめったにない。この日曜日の朝のひと時が至福の時だ。聴くたびに日本の現代音楽のパイオニアである武満徹の偉大さに驚いてしまう。

5月2日 地政学という言葉をよく聞く。「地勢学」のほうが正しいと思い込んでいたが、英語で「ジオポリテクス」だから戦争などのために使われていた言葉だった。耳新しく感じていたのは、第2次世界大戦でGHQは日本人がこの学問を研究することを禁じたから、とわかってビックリ。「国家は生命力を維持するために必要な生存権(領土)を確保しようと膨張するもの」というのが20世紀の世界の国々の常識だった。領土拡大(他国侵略)は第2次世界大戦までは戦争の正当化に堂々と使われてきた。昔のヨーロッパがすさまじい植民地主義を続けることに躊躇がなかった理由でもある。

5月3日 ヤフオクで古書を買い代金を支払った。品物も届いて、これですべて終わったとばかり思っていた。こんなことを数度繰り返してたら、先日、新入社員からこっぴどく叱られてしまった。ヤフオクの場合、支払いが終わっても「商品を受け取った」とか、「いい本だった」とか「品質に問題なし」といった評価チェック連絡をこまめにしなければならない仕組みなのだ。これを怠ると、出品者側から「態度が悪い」と評価を受け、アドレスに要注意人物のコメントが付く。さらにこれが5回続くと出品も購買もできなくなってしまうのだそうだ。買う方はアマゾンで我慢すればいいが、うちは出品もしている。早速大反省、最低限のルールは守らなくちゃあね。

5月4日 「村」が好きだ。「村」という言葉が付くとそれだけで親近感がわく。現在の村落社会の母体となった自治的な形を持つ「村」は、鎌倉後期から戦国時代の、いわゆる中世と言われる時代に登場したものだ。当時は荘園や郷を単位としたゆるやかな村落結合が一般的だったが、時間とともに村は寄合(よりあい)の会議の決定にしたがって、村の指導者によって運営されるようになっていく。時代劇などでは村や村人たちを、領主たちの戦さの、みじめな被害者というステロタイプな歴史観で描くのが定番だが、不法をはたらく代官や荘官を免職し、自然災害による年貢の減免を求めて、しばしば一揆をおこしている。要求が認められないときには耕作放棄して他領や山林に逃げ込む「逃散(ちょうさん)」という実力行使もいとわない。かなりしたたかな存在でもあった。

5月5日 戦争中だった昭和20年に新聞各紙は「立春の時は卵が立つ」という話を大真面目に大きな紙面を割いて報道している。これは中国のニューヨーク総領事が古書(中国の)から発見した大発見で、その実験が上海、ニューヨーク、東京と、いたるところで成功を収めたという。立春というのは24節気のひとつ、アメリカの卵は中国の、いや地球の軌道の数値を知っていたのだろうか(笑)。この科学では説明できない現象を世界中のメディアが大真面目で報道したことを、当時の物理学者・中谷宇吉郎は昭和22年にエッセイに面白おかしく書いている(「雪と人生」収載)。科学的には立春でなくとも「卵は立つ」のだが、この当時は「卵は立たない」と考える人が主流だったのだ。慎重に時間をかければ誰にでも卵は立つ。

5月6日 俳優の渡辺裕之さんが縊死した。「縊死」ということは首つり自殺ということだが、これはネットニュースが報じているだけでメディアは「死去」で統一している。首つり自殺というのはショッキングなのでメディアは自己規制をしているのだろう。白洲正子は死を予感して自分で電話して救急車を呼び、待ってる間に好きなものを食べた。入院して間もなく昏睡状態になり、旬日を経ず他界したという。お葬式も戒名もなかった。あの「知の巨人」立花隆も同じで葬式も戒名もなし。遺骸はゴミとして出してほしいといい、その通り実践、今は大きな大木の下に眠っている。自殺もひとつの自己表現だ。自殺を公表しないことの意味は何なのだろうか。なんだか死が身近になって、死について考えることが多くなった。
(あ)

No.1106

猫に教わる
(文藝春秋)
南木佳士

 オビ文の惹句は「ごくふつうの生活を、大切に生きる。」だ。いつもの変わり映えのない日常を描いた新聞連載コラムを1冊に編んだ新刊だ。ものの3時間もあれば読了してしまえるが、この至福の3時間をあっという間に「消費」するのが、もったいない。といいながら3時間ほどで読了し、ふ〜っと大きなため息をついている。毎回同じことなのに、言い回しはいつも微妙に違う。その微妙な言い回しの違いにやはり感動してしまう。良い物語には心身を深く沈静させる作用がある。狷介、臆病、狭量な「わたし」を表出する私小説や、信州の田舎町の勤務医として暮らす身辺雑事のエッセイばかりを書いてきた作家が、「もう書かなくてもゆっくり下っていけばなんとか下山できるみたい。ころんだらそれはそれでしかたないし。」という心境に達して、書き綴った最新エッセイ集である。「生の終わりが視野に入ってきた。顔のしみが増え、尿の切れが悪くなり、眉毛が長く、白くなって、睡眠が浅く、短くなった。遅かれ早かれ死ぬのだな、との想いが、若いころのような観念ではなく、からだの変容として文字通り身にしみてきた」という著者の文章は、あいも変わらず一言一言重く深く力強い。

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