Vol.1081 21年9月18日 週刊あんばい一本勝負 No.1073

ウオノメ・カラケー・指削り

9月11日 キュウリをスライサーで切っていたら指まで切ってしまった。かなりの出血で2度目だ。指のケガ程度で何もかも絶望してしまう。ほとんどの作業が指を使う仕事だ。その焦燥感(イライラ)たるや想像以上だ。指を切っただけで人はここまで深く傷ついてしまうのか。弱ったねどうも。

9月12日 朝4時半起きで鳥海山。祓川小屋から七ツ釜小屋、康新道から八合目の途中まで行こうという計画だ。雨の予想なので臨機応変に下山できる心構えで登り始めた。筋トレの効果も徐々に出ているようで、登りはほぼ何の問題もなくスムースに八合目まで。が、問題は下山だった。岩場でバランスを崩してしまう。いきおいへっぴり腰で岩に尻をつきながら恐る恐る降りてくることになる。行きはよいよい帰りは恐い、である。でも今日の調子だと、なんとか山頂までは行けそうな雰囲気だった。そこは収穫だ。

9月13日 月曜日は朝定例の会議。ちょっとユーウツだ。相変わらず本は売れないし、出版依頼の数も減っている。出版依頼があっても、いろんな条件がクリアーできてゴーサインが出るのはそのうちの3分の一だ。時代がもう活字の本を必要としていないのではないのか。でも時たま行く図書館には人があふれ、ブックオフの駐車場もいつも満杯だ。本は必要なのだが必需品ではない。なくても誰も困らない。

9月14日 今年の夏はずっとポロシャツ一点張り。買ったはいいがまるで着ないポロシャツが何着かあり、じゃ着てみるか、となった。半そでで襟が付いていて頭からすっぽりかぶれる。カジュアルで軽便なのに、だらしなくならないところがいい。言葉の由来は「ポロ」が起源ではなく、外国ではもともとテニスシャツと呼ばれていたらしい。襟付きのいわゆる半そでYシャツとは無縁の夏だったが、いまは半そでTシャツに長そで襟なしシャツを合わせている。これも初秋のファッションとしては初挑戦だ。自分の中で何かが変わり始めているのかもしれない。それが何なのかはわからない。でもファッションは心境の変化に正直だ。

9月15日 いまはガラケーという呼び方はないようだ。先日きれいさっぱりスマホをやめた。超シンプルな電話(とSMS)のみのケータイ電話に鞍替えした。スマホは煩わしいクソ情報だけが暴風雨のように襲ってくる。これは害毒だと感じていたし、ネット機能は使わない。でもスマホの解約はひと騒動。ソフトバンクやNTTといった電話会社は、ただではやめさせてくれない。難しい専門用語を使い、気が付くといろんなオプションをかぶせて、ムダな機能を上乗せしようとやっきだ。ほとんど詐欺商法すれすれという印象なのだ。毎月の電話使用料は千円台で十分だ。パソコンと固定電話があれば何の不便もない。こころ穏やかな世界がもどってきた。

9月16日 ずっと疑問に思っているのに人に訊けない「こと」ってある。後白河天皇とか後醍醐天皇とか、天皇名に「後」を冠する天皇はたくさんいるが、この「後」って何? もともと天皇名は「加後号」といって亡くなった後につけられるのが決まりだ。そして、たいがいは住んでいる皇居名などからその名が付けられるが、2代続くと同じ名前になってしまう。そこで「後」を付けて安易に解決したというのがそもそもなのだそうだ。中世の天皇はみな武士との戦いの中で生きてきた。そのため個性が強く、生前に自分の理想とする天皇名に「後」を付けて、さっさと自ら名乗るものも出始める。それが中世の歴史に主役として大胆に参入してくる後白河や後醍醐といった天皇だ。普段は「御門」と呼ばれているのだが、理想の天皇を俺が継ぐ、という強い意志の表れが「後」には込められている。なるほどそうだったのか。

9月17日 近所の皮膚科へ。左足裏にマメができて痛い。先日の鳥海山登山では下山時にそのマメの部分が岩場にあたり痛み出した。皮膚科に行くと「ウオノメだね」といわれた。治療は30秒で終了。マメを削り取ってもらったら痛みは消えた。原因は新しい散歩靴が足に合わなかったせいのようだ。ちょっとしたケガで医者に行くべきだ、というのはSシェフの教えだ。今回も彼の言うことを聞いて受診したのは正解だった。
(あ)

No.1073

比ぶ者なき
(中央公論新社)
馳星周

 いつもの自分の読書パターンから大きく外れたい。「興味の湧かない本」をあえて読んでみたい、と思うことがある。「日本には神をも支配した男がいた」というキャッチフレーズに魅かれ本書を手に取ってみた。日本の古代(7世紀)の物語だ。歴史上も最も興味のない時代だ。「日本書紀」はどうして出来上がったのか、万世一系、天孫降臨といった「神話」はなぜ生まれたのか、聖徳太子は実在したのか……というテーマを一人の実在の男を主人公に解き明かした物語だ。主人公の名前は藤原不比等(ひらふ)。書名の「比ぶ」は「ならぶ」と読ませる。この男が1300年にわたり日本の歴史を支配する「根幹」を作り上げたフィクサーだった。天皇を神に祀り上げ、日本書紀という神話を創り上げ、自らも神となることで藤原家の永遠の繁栄を築こうとした男の壮大な物語だ。あの馳星周が歴史小説を書いていることにも驚いたが、その内容も十分ショッキングだ。先の大王から疎まれ、不遇の時を過ごした不比等の胸には恐ろしい野望が秘められている。無能であろうが女系であろうが「天皇を神に祀り上げること」に命をかけ、自らも神になろうとした己の闇をも抉り出したものだ。歴史を知るには小説が一番手っ取り早い。今回もそのことを立証してくれた。小説家ってすごい。

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