Vol.1078 21年8月28日 週刊あんばい一本勝負 No.1070

枕を替えて、筋トレ再開

8月21日 秋田駒リタイアは一晩熟睡しても「痛恨事」として身体に刻印されたまま。日常的にストレッチや筋トレの必要性を痛感。同行2人がともに年上で何の問題もなく駆け上がっていったのがショックだ。でもこの2人はもの忘れのチャンピオン・クラス。長老は登っている途中で「おにぎりを忘れた」と言いだすし、F女史にいたっては「アレ、帽子を忘れたみたい」と当たり前のようにつぶやいた。噴き出す汗と闘いながら、この先輩2人のように「見事な体力を得れば、信じがたい忘れ物をする」……はてさてどちらを選ぶのが得策か、などと詮無いことを考えていた。体力を維持しながら忘れものもしない人間に私はなりたい。

8月22日 家の中に埋もれていたストレッチ用具を掘りだし身体を動かし始めた。小さなボールを使って両ひざに挟み内転筋を鍛える運動や、タオルを使った上半身のストレッチ。散歩も漫然と歩くのではなく上半身のストレッチをしながら歩いた。内転筋と腹筋と大腿四頭筋あたりを集中して鍛えながら秋の鳥海山に登るのが目標だ。

8月23日 ワインのつまみには生ハムに勝るものはない。でもそのへんの店で食べても鰹節の削りカス程度で、お前ナニサマなのという値段をとる高級品だ。それなら自分で作ろうと思いネットで作り方の勉強をはじめた。はじめたとたん「ピッチシート」という調理用具が出てきた。浸透圧脱水シートのことで、これで肉の臭みを抑え、塩を使わず、うまみを凝縮するのだそうだ。食品用半透膜のなかに水あめ成分と昆布成分を入れ込み、水分や臭みを分子の小さいほうに吸わせ、分子の多きい旨味は透過させない、という仕組みだ。燻製をつくるときにも活躍するという。散歩の途中にでも買ってみるか。

8月24日 枕の高さが気になって枕の高さを変えてみた。何十年も同じ高さの枕だったのだが、最近はときどき後頭部から気管が圧迫されているような違和感があったが枕を低くしたら収まった。よく考えれば枕を高くして寝るというのは身体的に無理がある。枕は低い方が身体にやさしい。なにはともあれ熟睡できればそれに越したことはない。

8月25日 「興味の湧かない本」をあえて読んでみよう、と思い、「日本には神をも支配した男がいた」というキャッチフレーズの長編小説を読みだした。日本の古代(7世紀)、「日本書紀」はどうして出来上がったのか、万世一系、天孫降臨といった「神話」はなぜ生まれたのか、聖徳太子は実在したのか……といったテーマを一人の男を主人公にして解き明かした馳星周『比ぶ者なき』(中央公論新社)だ。主人公の名前は藤原不比等(ひらふ)、この男が1300年にわたり日本の歴史を支配する「根幹」を作り上げたフィクサーだ。天皇を神に祀り上げ、日本書紀という神話を創り上げ、自らも神となることで藤原家の永遠の繁栄を築こうとした男の壮大な物語だ。あの馳星周が歴史小説を書いていることにも驚いたが、その内容も十分ショッキング。

8月26日 シャチョー室のクーラーが突然止まった。この夏、獅子奮迅の働きだったので、そろそろバテテしまったのだろうか。午後から何とか動いてくれたが、クーラーがないと西日のあたる温室で仕事は無理だ。修理の電気屋さんは2カ月待ちだというし、年一回の植木剪定も3カ月待ち。昨夜は月一回の家族食事会だったが、和食みなみはすべての席が埋まっていた。早くから予約していたのでカウンター席が取れたが、コロナ禍でもちゃんとした腕を持つ職人さんのいるところは、こんなふうに「いつも通り」だ。コロナ禍だからヒマだろう、というのは自分を基準にしたあさはかな考えだ。

8月27日 出版関連の本を読んでいたら「韋編(いへん)」という専門用語に出くわした。読み方も意味もまったく見当がつかない。辞書をひいたらちゃんと載っていて「本のとじ紐」のことだった。「韋」はなめし皮のこと。編集や出版の専門教育を受けたわけでなく、すべて独学で自己流のツケがこんな時に出てしまう。そういえば最近天気予報などでアナウンスされる「処暑」という言葉の意味も知らなかった。「図利(とり)」も読めなかった。賭博犯罪図利というのは賭博によって「利益を図った」ということ。いまちょっと意味が分からず丁寧に解説を読んでいるのが大阪・堂島のコメ先物取引の廃止問題。農協との関係でうまく機能しなかったのはわかるが、生産者の収入補填には税金が投入されている。先物取引はこのリスクを投機家が引き受けるという制度だ。江戸時代以来300年の歴史を持つコメ先物がなくなる意味が、今ひとつわからない。
(あ)

No.1070

世界の辺境とハードボイルド室町時代
(集英社文庫)
高野秀行×清水克行

 冒険もののノンフィクション作家と日本中世史の歴史家の対談だ。「どこに接点があるの?」と不思議に思うったが実にスムースな対話が成り立っている。もともとは現代アフリカのソマリア人と室町時代の日本人がそっくり、という発見から企画された対談だが、高野側の真摯な勉強もあり、見事に室町をキーワードにした爆笑本に仕上がっている。中世は何もないところから社会を組み立てていく過程を試験管の中を覗くように見られる、と清水は言う。中世史の古文書は適量で、トータルな時代のイメージを作り上げるのに向いている。驚くべきエピソードが満載だが、そのなかでも「コメをめぐる話」が面白かった。室町後期から中国では銭経済から銀経済に切り替わる。平安末期以降は中国の貨幣に頼っていたが、少額取引は銭、高額取引は金と銀だった。その経済がコメ至上主義になったのは信長の頃だ。ここから石高制にシフトする。室町時代の税はコメだけでなく他のものでもよかったのに、江戸に入ってコメに一元化されコメの商品価値が高くなる。東北で雑穀をつくらなくなったのは、大豆ラッシュが起きたため、というのも初めて聞いた。江戸にしょうゆ文化が花開いて、大豆は作れば売れたため、雑穀をやめてみんな大豆を作り出したせいだそうだ。異文化交流から生まれた現代の奇書である。

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