Vol.1071 21年7月10日 週刊あんばい一本勝負 No.1063

ようやく1回目のワクチン接種

7月3日 今日がワクチン接種1回目。午後からの時間帯だが接種会場はすぐそばの医学部体育館だ。もう何年も構内に入っていないので実は昨日、会場の下見をしてきた。テニスコート横の小さな体育館で、昔のままだったが、その行きかえり、いろんな人に頭を下げられ、会場の場所を訊かれた。あれ、もしかして医療関係者と思われているのかな。服装はサンダル履きで濃紺のマオカラーシャツ。なるほど、手術終わりの医者にみえなくない、のかも。急いで家まで帰ってきた。

7月4日 夜中に一度、上腕部が痛くて目を覚ました。ワクチン注射の痕だ。アッサリ、1,2秒で終わった印象なのだが、そうか後からけっこう痛みが来るんだ。昨日、注射を受けるとき、医者は「チクッとしますよ」とお決まりのセリフ。これはこれで問題ないのだが、注射器を腕に差す瞬間、本当に自分で「チクっ!」と言葉を発したのには笑ってしまった。接種を受けてるのが全員ジジババ。彼のような若い医者から見たら赤子と似たようなものなのかもしれない。

7月5日 「虚空蔵大台滝(こくぞうおおだいたき)」という地名に魅かれ昨日、その場所を訪ねてきた。番地の「1−1」は秋田市河辺豊成地区の巨大なごみ処理場「秋田総合環境センター」だ。ここから岩見川沿いにある丘陵地に立つ星辻神社の場所に、虚空蔵大台滝遺跡はあった。ここにバイパスを通した時の遺跡発掘調査で平安期の清原氏のもとと思われる城館跡が見つかった。もう埋め立てられ遺跡は跡形もないのだが、登ってみると、確かに山頂にある神社のあるあたりは曲輪跡のような台地が広がっていた。山が削られ、遺構の横に無機質な道路が入り込み、走行車の轟音がうるさかった。このごく近い場所には中世の山城で県指定遺跡の豊島館がある。虚空蔵の2,3百年あとの城館だ。ちなみに虚空蔵とは仏教用語で「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」のことだそうだ。

7月6日 夏を代表する食べ物で真っ先に思い浮かべるのは「ショウガ」だ。冷ややっこでも心太でもソーメンでも、これがないと食べる気がしない。昼にソーメンを食べる機会が増えたのだが、それに生姜さえあれば副菜は何もなくても我慢できる。少しぜいたくしたいときは近所のさぬきうどんチェーン店で「野菜天」だけをテイクアウトして、自分の茹でたソーメンを食べる。チェーン店のうどんはまずいが、なぜかテンプラだけは結構うまいから不思議だ。あと夏に欠かせないのは「ナスガッコ」。これは小さなころから好物だった。実家ではよくキンキンの氷水に入ったナスガッコで朝ご飯を食べた記憶がある。

7月7日 何気なく見ていたテレビに中学生が教科書の読み止しに大きなクリップを挟み込んでいたシーンがあった。本のページ止めにしおりではなくクリップを使っているのだ。このブック・クリップは、もともと音楽演奏のための楽譜をはさむクリップとして売り出されたもののようだ。さっそくネットで検索、四個ほど購入した。1個200円ほどだ。使ってみたのだが断然「しおり」のほうが使い勝手がいい。参考書など分厚い本を何度も開いたり閉じたりする際にのみ有効のようだ。

7月8日 来週2本の新刊ができてくる。現在、2本の新しい本も進行中だ。それはいいのだが印刷所が忙しそうで作業が遅々として進まない。小さなまだ若い印刷屋さんだが営業力があるのだろう。若い社長が昼夜、得意先を飛び回っている会社だ。秋田大学が主な得意客というのもなかなか着眼点がいい。本は相変わらず売れないが、本を出したいという人は、そんなに減少しているとは思えない。高齢になり最後の自分の墓碑銘を紙の形で残したい、という方はむしろ増えているような気がする。葬式やお墓に金をかけるぐらいなら「自分本」に、という人たちである。そういう人たちのお手伝いをするのも私たちのいまは大切な仕事だ。

7月9日 先日、同じ日に同じ新聞が2回配達されていた。販売店に連絡を入れたほうが親切かなとも思ったが、今朝、問題の犯人が判明した。早朝、カミさんが外に出ると自転車を引いた高齢女性が家の前をウロチョロ。不審に思い呼び止めると、「おたくに新聞、配達したでしょうか?」と逆に訊かれたそうな。彼女は週に3回ほど近所の新聞配達をしているそうだ。毎日同じところを回っていると、「あれ、あそこに配ったっけ」と不安になる気持ちはよくわかる。日常生活で私たちもこの手の「ものわすれ」はしょっちゅうだ。でも備忘録のようなものは工夫が必要かもね、いちおうプロなのだから。
(あ)

No.1063

文字と楽園
(本の雑誌社)
正木香子

 うちは来年、創業50年を迎える。その半世紀の編集者生活で心残りがひとつある。精興社活字を使って本を作ることがかなわなかったことだ。師匠の津軽書房は活版印刷一筋の人で精興社活字で本を作っていた。そのため精興社の人も紹介していただいたのだが、やはりどうにも私には敷居が高かった(値段も高かった)。本書はその印刷会社「精興社」の活字についての本だ。こんな本があること自体驚きだが、当然ながら本文は精興社活字で組まれている。目次構成もユニークだ。14人の作家たちの、精興社活字で組まれた本を取り上げ、その物語の背景と、文字と言葉が重なり合って生み出される独特の鼓動について語る。精興社活字は確かに書体がひとつの出版社を想起させるほどの存在感を持っている。私たちが手にする岩波の文学全集はほぼ間違いなく精興社活字で組まれている。画数の多い漢字も黒く見えず(線が細いためだろう)、仮名文字のやさしい柔らかさは類をみない。すぐに精興社だ、と誰にもわかる活字群だ。面白いエピソードがあった。村上春樹のベストセラー『ノルウエイの森』は精興社活字だが、『村上ラヂオ』という本では、「高雅に過ぎるから」という理由で村上自身が精興社活字を使うことを拒否したのだそうだ。

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