Vol.1068 21年6月19日 週刊あんばい一本勝負 No.1060

秋田駒・塩分過多・ユーチューブ

6月12日 ユーチューブは落語を聴くとき観るぐらいだが昨日はたまたますごいやつを観てしまった。ヴァイオリンの貴公子と言われるジョシュア・ベルが野球帽を目深にかぶりストリート・ミュージシャンに変装し、ワシントンの地下鉄構内で路上演奏をする、という映像だ。現代の最高の演奏家が最高の楽器でバッハをあり得ない場所で弾く、といういわばドッキリだ。ベルはひたすら通り過ぎる人たちを相手に1時間近く演奏するのだが、けっきょくベルだと気が付いた人はたったひとり。その女性は「こんなことが起こるなんて…」と茫然自失状態でベルに話しかける。隠しカメラを回したのはワシントン・ポストの記者。この社会実験はもちろん同紙の記事になりピューリッツア賞お受賞。美を美たらしめるものとは何か、まじめに考えてしまう。

6月13日 今日は秋田駒。天気は薄曇り、暑くなく、風のある絶好の山行日和。八合目小屋から1時間10分で阿弥陀池到着。ここから男岳に登り、馬の背を渡って横岳へ。その尾根を縦走し焼森でランチ。日曜で天気も悪くないのに登山客が少ない。まさかコロナ禍で登山自粛ということはないだろう。

6月14日 今回のトップ写真も説明が必要だ。ここは古代の朝廷の出先機関であった秋田城址南数百メートル横にある「勅使館」跡入口で撮ったもの。秋田城との関連は薄く、謎の中世の山城といわれている。Sシェフと2人で捜索にはいったのだが、ヤブに覆われ道はなく、ほぼジャングル状態だった。堀の跡と思われる一部は確認できたが、それ以上は先に進めなかった。本格的に調査を再開すれば、どんな宝物が出てくるかわからないすごい場所だ。

6月15日 体調がいい。男鹿3山縦走も秋田駒縦走も後日の筋肉痛はなし、というのがそれを物語っている。若干心配なのが塩分の摂りすぎだ。頭痛があり、唇を舐めると塩辛い。最近の食生活を反省してみると、犯人は「たくあん」の塩分のようだ。1回の食事でけっこうたくさん食べ続けている。三日前からも「禁たくあん」を実行しているが、まだ唇の周りは塩っ辛い。この塩分過多問題がちょっと懸念材料だ。

6月16日 昨夜は久しぶりに映画鑑賞。アマゾンプライムで『ノマドランド』を観た。暗い映像と物語性のない静謐なドラマは大好きだが、これはちょっと良くも悪くも期待していたものとは違った。良い映画なのは確かだが、琴線に触れてこないのだ。もしかすると受け手であるこちらの感性が劣化し、くたびれている証拠なのかもしれない。

6月17日 秋田駒ケ岳は消え残った雪が馬の形をしているので「駒」という名前が付いたというのは定説だ。ところが池内紀さんの本で「アイヌ語のコマケヌプリ(塊の山)が語源」という説を紹介していた。秋田の駒ケ岳には山頂はない。山塊を総称しての名称だ。もうひとつアイヌ語研究者の論文だが、角館を流れる「檜木内川」もアイヌ語だそうだ。アイヌ語で小石を意味する「ピ」から派生した言葉だそうだ。基本的に秋田などに広がる比内や檜木内はアイヌ語が語源という。古墳時代、東北地方にはたくさんのアイヌが住んでいた。北海道の狩猟民族(アイヌ)の人たちは、本州で大流行している「鉄製品」を求めて南下してきたのだ。というわけで瀬川拓郎『アイヌ学入門』などを読みだし、お勉強中です。知らないことを知ると無性に人に教えたくなる悪い癖があるのは困ったものです。

6月18日 夕食はきっかり5時、というと驚く人が多い。夫婦とも夕食後に仕事をすることが多く、食後の時間をたっぷりとりたい、ということからの時間だ。だから当然晩酌も少なめになる。酔うと仕事にならないからだ。夏場は食後に散歩に出る。日がまだ高いが、少し風が出てくるころを狙って出る。事務所に戻って仕事(というか原稿書きか調べ物)を2〜3時間、家に帰って風呂に入り、寝室で1時間ぐらい本を読んだりTVをみて就眠だ。このルーチンが崩れると、てき面に体調に変化が生じる。イライラするのだ。イライラは身体に悪い。老後はいかにイライラしないかが勝負だ、と本気で思っている。
(あ)

No.1060

ツボちゃんの話―夫・坪内祐三
(新潮社)
佐久間文子

 死亡報道を聞いた時は驚いた。一度も面識はなかったし、坪内のいい読者でもなかったが、博覧強記の同時代史の書き手であることは認めていた。彼の著作ではあまり知られていないが、『総理大臣になりたい』という本がある。このなかで「農林大臣は塩野米松がいい」と書いていて、塩野さんと親しい身としては「よく細かく作家を見ている(読んで)人だなあ」と感心した覚えがある。坪内の顔を初めてみたのは前妻の写真家・神藏美子の『たまもの』によってだ。この写真集に前夫として登場しているのだが、本書によれば「この写真掲載を承諾したのを後悔している」と書いていた。怒りっぽくけんかっ早い性格だったのはまちがいないようで、新宿でヤクザに大けがを負わされた事件は驚いたし記憶に新しい。酒場で初対面の自動車会社重役からコースターに住所と名前を書いて「書いた本をここに送ってほしい」と差し出され、「おれの住所も言うから車を送って来い」と怒るくだりは実に啖呵がきいている。著者である妻・佐久間文子は朝日新聞文化部時代からその名前は知っていた。文化部の辣腕記者が身内の人物をどのような距離感でに描くのかも興味深かった。

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