Vol.1067 21年6月12日 週刊あんばい一本勝負 No.1059

本は本当に安上がり

6月5日 急きょ明日の山行が決まった。5月9日の東鳥海山以来だから1か月ぶりの山行になる。天気も良さそうなので、それだけで心浮き立つ。山は男鹿三山の縦走で参加人員はSシェフとA長老の3人。Sシャフが男鹿縦走のリーダーをある団体から依頼され、その下見のための山行だ。やはり10日に一度は思いっきり自然の空気を吸いたい。汗をかいて森の中を歩きたい。非日常の空間に身を浸して、身体の中のよどんだ空気を入れ替えたい。そんなわけで明日の準備がメインの1日となった。

6月6日 山行なので早起き。道路を隔てた隣の町内会の「どぶ掃除」が行われていた。重いコンクリートの側溝をはぎ取り、手桶のようなもので溜まったヘドロを掻き出し、布袋に入れる。私は町内会で最も若く体力もあったから重い側溝を持ち上げる役割だった。わが町内は高齢化が進みどぶ掃除は専門業者に委託。この「頼りにされている」充実感のあった仕事はなくなった。それにしても、あまりのなつかしさにパチパチと失礼も顧みず写真を撮ってしまった。

6月7日 昨日は6時間歩きっぱなしのハードな山歩きだった。いつものメンバーなので、軽口をたたき合いながらの「ロング散歩」といった感じか。風が強く曇天だが山歩きにはいい日よりだ。真山神社から登り始め五社堂に降りてくるコースで車は2台必要になる。五社堂側駐車場は「山登りの車は観光客に迷惑なので駐車禁止」の黒枠の注意標示版。寺社サイトの注意文言がちょっと高飛車で引っかかる。6時間の山歩きは問題なく終了。下りが長く大腿四頭筋にかかる負担がはんぱない。

6月8日 2本ほど印刷所に新刊原稿が入っている。その組版がなかなかできてこない。通常なら3、4日もあれば十分なはずだし、こんなご時世だから忙しいはずがない。それが3週間近くかかってもまだ組版ができてこないのだ。「いったい、どうしたんですか?」と印刷所を詰問すると、「すみません。雇用調整資金の関係で…」と頭を下げられた。そうかコロナ禍で仕事が減少し、労災をもらう必要から従業員を「休ませている」のが印刷所の現状なのだ。小さな企業は国からの休業補償がなければ成り立たない。この現実は重いなあ。

6月9日 ワクチン予約をネットで終了。場所は医学部体育館で、歩いてすぐそば。時期は7月になってからで、そんなに時間がかかるの、というのが正直な印象だ。昨日の難読カレンダーは「和布蕪」。カブの名前だろうが、正解は「めかぶ」だった。男鹿水族館のホッキョクグマの赤ちゃんの名前が「フブキ」に決まったそうだ。父が豪太で母がユキだから「豪雪」、ここからフブキだ。この健康的でシンプルな思考は好感が持てる。なにかといえば「こまち」だの、訳のわからないアニメの主人公のようなキラキラネームを付けたがる軽薄な時代。久々に「いい名前」と感心した。

6月10日 先日突然の男鹿三山縦走には訳があった。Sシェフがある団体の男鹿縦走ガイドを頼まれたための「下見登山」だった。昨日その縦走があった。問題は参加者に87歳の方がいたこと。そのことがSシェフには気がかりだった。その高齢の方は植木職人で足腰には自信があったようだが、あの6時間の長丁場だ。案じたとおり五社堂あたりでフラフラになり「要介護」状態になったそうだ。どうにかみんなで協力して無事に下山したが、本人は「男鹿を舐めていた」と反省しきりだったそうだ。山は舐めてはいけない。

6月11日 ふだんから雑誌は読まない。興味がない。雑誌との相性が悪いのだろう。でも必要があり、久しぶりに「本の雑誌社」が出している「おすすめ文庫王国2021」を読む。これが実に面白かった。で、気になった文庫20冊ほどをマーキングし、先ほどアマゾンで注文。ユーズドもかなりあったので総額は1万円弱だった。心の底から「本は安い!」と雄たけびを上げたくなる。これで数か月は読む本の心配をしなくて済む。それが1万円……本は本当に安い。
(あ)

No.1059

中世の秋田
(秋田魁新報社)
塩谷順耳編

 秋田の中世史は史料が少なく、なじみも薄い。時代物といえば佐竹氏、江戸時代と相場は決まっている。秋田のように中世の大名がそのまま近世大名として居座らなかったところでは特にその感が強い。本書はそのあたりの「盲点」を実に詳しく正確に解読しているので、大いに勉強になる。中世秋田の起点は「奥州合戦」だ。28・4万という未曽有の大群を動員して行われた頼朝の平泉攻撃は、いっけん陸奥の国内問題に見えるが、平泉四代目の泰衡は当時、陸奥出羽の押領使(おうりょうし)の地位にあり、出羽国内にも軍事権・警察権を及ぼしていた。こうした関係で出羽側の武士の中には平泉藤原氏と種々関係を結んでいたもの多い。この戦いで泰衡側についたのは、田河行文(たがわゆきぶみ)・由利八郎・秋田致文(むねぶみ)らで、出羽南端部で敗北する。大河兼任の弟忠季らは緒戦で頼朝に服属し戦後、御家人に列せられている。頼朝は文治五年(1189)奥州合戦の論功行賞で、側近の橘公業(きんなり)を秋田郡の地頭に任命する。その他、陸奥国鹿角郡は成田助綱、同比内郡(北秋田・大館)は浅利友成、出羽国山本郡(仙北・大曲市)北半分は中原親能(ちかよし)、南半分は二階堂行政。平賀郡(平鹿・横手市)は松葉資宗(尾張国御家人)で雄勝郡(雄勝・湯沢市)は小野寺通綱が地頭として所領を安堵された。

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