Vol.922 18年8月18日 週刊あんばい一本勝負 No.914


半ズボンで本を読む

8月11日 上原隆著『こころが傷んでたえがたき日に』(幻冬舎)が出たので読む。あの『友がみなわれよりえらく見える日は』のコラム・ノンフィクション・シリーズ最新作。残念ながらコラムの質は年々落ちていく一方だ。初期のクオリティを維持するというのは作家として至難の業なのだろう。市井のどこにでもある物語を掬い上げ、見事な涙と感動の小品に仕上げるのが著者の持ち味だが、本書ではどの物語も手垢にまみれ陳腐で紋切り型。取材対象者の選び方に問題があるのかもしれない。最近では黙っていてもメールで「書いてほしい」という依頼があり、ほとんどそこからテーマを選んでいる。というのが問題なのだろう。ファンだったので残念だ。

8月12日 お盆休みに入ると電話もメールも郵便もぴたりと止まる。吹けば飛ぶような零細出版社ですら、大きな事件や社会的行事があると、てきめんに影響を受ける。日々の暮らしの中で私たちのつくる本は「あってもなくても困らないもの」。大きな事件や出来事があると、関心はそちらに向かい、すぐアウトになる。毎年この季節になると、気持が沈んでしまう。

8月13日 週末には半ズボンで過ごすことが多いせいか生足にキズが絶えない。靴ずれやカ、ダニ痕で、今も4カ所ほど絆創膏を貼っている。気になるのは治りが遅いこと。若いころはものの数日できれいに傷跡は消えたが今は1か月近く傷跡が残ってしまう。山に行くときはどんなに猛暑でも長袖長ズボンが基本だ。肌を露出していると虫に食われ、小枝ですりむき、転ぶと大けがをする。この暑さで長袖はちょっと無理だから耐えるしかない。

8月14日 静かで何もすることのがない。若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ』(集英社文庫。上下巻)を読む。昨夜ようやく上巻576ページを終了。主人公の4人の少年使節がまだ出てこない。十六世紀の大航海時代のキリスト教布教の日本を舞台にした背景が事細かに語られるばかりだ。西欧の宣教師がなぜ特異な日本文化の中で布教できたのか、これが上巻の主題。織田信長が布教にどのような影響を与えたのか。信長はキリスト教好きというより大の仏教嫌い。九州のキリシタン大名の多くはお金(貿易)目当てで喜んで改宗した。当時、日本からヨーロッパのイエズス会本部に送られた報告書や手紙を克明に読みこんだドキュメントなので説得力がある。でも、はたして私はこのお盆期間中に下巻まで読破できるだろうか。

8月15日 わずか30分ほどだが毎日のストレッチと筋トレを続けている。どうしても鳥海山の山頂に立ちたい。毎日の散歩程度の体力維持運動では100パーセント途中でバテテしまうのが鳥海山だ。毎日「今日はやりたくない」という自分と戦っている。続けていると身体のどこかに異常がでる。これ幸いとばかりにその日はトレーニングを中止する。特にスクワットは危険で、てきめんに腰やひざに影響が出る。スクワットは麻薬のようなもの。やっていると何回でもできるようになるから自制が重要だ。

8月16日 山口県で古書店を経営し、歴史書の復刻出版で有名なマツノ書店の松村久さんが亡くなった。85歳。いろんな場所でご一緒していろんなことを教えていただいた。07年には菊池寛賞を受賞、市川團十郎など有名人との同時受賞だったが、その時のスピーチは圧倒的に無名の松村さんが一番面白かった。松村さんが亡くなった日、25年近く前に亡くなった山際淳司さんの新刊(!?)『衣笠祥雄最後のシーズン』(角川新書)が手元に届いた。プロ野球短編の傑作選で、ご子息の犬塚星司さんが編集したもののようだ。さっそく読んでいるが実に面白い。活字には死者を蘇らせる力がある。

8月17日 今朝は寒いほど。夏は終わった、と実感。お盆が過ぎればもう秋、というのは雪国の常識。長袖にしようか迷ったが、もう2,3度は真夏日があるから、衣類をひっくり返すのはやめた。まだお盆休暇中で、金足農高が甲子園で勝ち続けているから来客も電話もない静かな一日になりそうだ。今週末(明日)は生まれて初めて西馬音内の盆踊りを見て、来週末は大曲の花火に行く予定だ。事務所に閉じこもっていても、何もいいことはない。
(あ)

No.914

ノモレ
(新潮社)
国分拓

 読みだしたら止まらなくなり一晩で読了した。あの『ヤノマミ』の作者だから、当然といえば当然だが著者の本業はNHKディレクター。アマゾン源流域の深い森で暮らす文明未接触先住民〈イゾラド〉との交流の物語だ。フィクションなのかノンフィクションなのか、よくわからない構成(詩や独白を多用している)が本書のミソだが、もちろん全部ノンフィクションである。ロメウという実在の主人公がいて、彼の目でみたイゾラドの姿が描かれている。文体も手法も構成も新しくて実験的なのだが、描かれているのは21世紀に突然地球の片隅に現れた「原人」のお話。実はこの感動の本を読んだ後に、NHK「大アマゾン――最後のイゾラド」を観た。本を読んだ後に原作の映像を見たわけだが映像の迫力というのはすごい。本で読む以上にイゾラドの異様な迫力に圧倒された。本が映像に負けていたのを認めざるを得ないのは活字人間として実に悔しい。角幡氏の『極夜行』のように圧倒的に活字のほうがいい場合もある。でもあれは真っ暗闇の世界だから映像に迫力がないのは当然か。

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