Vol.921 18年8月11日 週刊あんばい一本勝負 No.913


暑い夏は続いている

8月4日 毎年、同じ敷地にある家と事務所の剪定を若い植木屋さんにお願いしている。若いのに実に几帳面で職人気質の職人さんで、仕事は丁寧だ。そういえば長年通っている理容室の主人も若いのに全く同じタイプだ。弟子のやった仕事はかならず自分の目でチェックし、「やり直し」をする。腕のいい職人の仕事というのは見ているだけでも楽しい。動作のひとつひとつが理にかなっていて、所作が美しい。黙々と2人のチームで幽霊屋敷を瀟洒な邸宅風の庭に変貌させてくれた。イケメンの庭師なのでカミさんの機嫌もいい。

8月5日 鳥海山新山登山の日。朝4時起き。あいにく天候は最悪の雨の予報で、それでもとりあえずは現地に行ってみて、天候を確認し次の行動を決めようということになった。6時には鉾立登山口に到着。風が強いし午後からは確実に豪雨の予想。酒田鶴岡観光ツアーに切り替えることにした。古代の城輪(きのわ)城跡を見学し、庄内藩士たちの養蚕事業・松が岡開墾場をブラブラ、時代劇の映画ロケにつかわれる映画村オープンセットを歩いて、帰りには山居倉庫、モンベル酒田店を経めぐり夕方秋田市に帰ってきた。途中、酒田市内ですさまじい豪雨と遭遇、秋田に抜けた途端、嘘のように雨は収まった。家に帰ってシャワーを浴びて、ビールを飲んで、8時にはもう眠くなってしまった。

8月6日 昨日、鉾立登山口で「中止」を決めた時、15,6名の男性グループが登り始めた。たぶん県外からの登山客だろう。この日を逃せばもうこの山には登れない、という必死な気持ちが背中に漂っていた。午後からは豪雨の予想はわかっていたはずだが、「なんとかなるだろう」となめている気配も感じられた。当方は、いち早く登山をあきらめて、のほほんと酒田・鶴岡観光に切り替えたのだが、秋田に帰ると「宮城の登山客13名が鳥海山で遭難」のニュース。あの連中だ。無事下山したようで一安心だが、あの天候で出発したのだから、無謀、バカ、ド素人、変態とののしられてもしょうがないだろう。リーダーの資質というのは重要だ。あそこでやめる勇気は……むずかしいのかなあ。

8月7日 古い田舎人間なのでサッカーより野球が好き。でも高校野球には全く興味がない。酷使を美化する姿勢が容認できない。酷暑のオリンピックやスポーツ組織の封建制や暴力体質が話題になっているが、その基底には高校野球の勘違い精神論が根強く居座っている。今年の大会で熱中病の死者が出たりすれば見直し論が再燃するのだろうが、とにかく暑っ苦しい高校野球には近づきたくない。プロ野球のスター選手生む土壌といわれるが、非科学的なトレーニングや勝利至上主義のおかげで身体を壊し、その後の人生を狂わせた少年たちも少なくないはずだ。早く甲子園神話などなくなってほしい。

8月8日 暑い夏のせいもあって「水」のことを考えるようになった。でも「世界が水不足」といわれてもピンとこない。これは「バーチャル・ウォーター」といわれる概念のようだ。例えばコメ1キロを生産するには4千リットルの水が必要になる。牛肉を輸入する場合は穀物をエサにするので、それを育てるために必要な水の消費量を計算する。私たちは輸入食料を口にするたびにすさまじい水資源を消費しているわけである。地球上の水の量は一定だが淡水は2・5パーセントしかない。限られた淡水資源を世界中で取り合っている。それが「20世紀は石油の時代。21世紀は水をめぐる戦いの時代」といわれるゆえんだ。

8月9日 近所のリフォーム屋さんから電話。ジーンズのスソ直しが半年以上そのままになっている。はやく取りに来てほしいという催促だ。忘れていた。昨夜は外で仲間と暑気払いの飲み会。夜は風呂にはいらず朝シャワー。気持ちいい。読みかけの「天正少年使節」の大作『クアトロ・ラガッツィ』は上巻半分300ページまで読み進んだが主役の少年使節がまだ出てこない。大航海時代のキリスト教の世界的役割は克明に描かれていて勉強になるが、早く主役が出てこないと、いやになって本を放りだしてしまう。文庫で上下巻1000ページを超す本は一筋縄ではいかない。

8月10日 猛暑の中、車で県南部を回ってきた。湯沢市では両親の墓参りも済ませてきた。お墓に酒をかけるのはあまりよくない慣習とのことなので、三途の川でのどが渇かないよう水をたっぷりそそいできた。湯沢には稲庭吉左エ門の「いなにわうどん」を売っている店が1軒のみある。そこでうどんを買って県外客のお土産にする予定だったが、店の人にもう入手は困難と言われ大ショック。本物の一子相伝、家族だけで作っている創業家のものだ。その店以外ではめったに手に入らない高価なもの。どうやら家族に健康上の問題が発生し、それでなくとも少ない生産量ががた減り、今後も入手は極めて困難とのこと。いつまでもあると思うな、なんとやら、である。
(あ)

No.913

0から学ぶ「日本史」講義
(文藝春秋)
出口治明

 西暦663年に起きた「白村江(はくすきのえ)の戦い」は日本軍が中国・唐と朝鮮の新羅の連合軍に敗れた戦争だ。白村江とは朝鮮半島の百済にある地名だ。ここから日本は鉄を輸入していたのだが、中国に唐が誕生し朝鮮3国への干渉が激しくなり、孤立しそうになった百済を救うために出兵した戦争である。本書では日本の立場からだけでなく東アジア的の地勢的な意味や、背後にある中国や朝鮮の歴史事情にまで踏み込んで解説する。この戦争の17年前に起きた「大化の改新」(いまは「乙巳(いっし)の変」という)の設立背景まで「寄り道」して遡ると、白村江の草の意味がより鮮明になる。本書には、知りたいと思っていたが歴史の本にはなかなか答えが書いていないことがいっぱいだ。歴史本ではお目にかかれないエピソードばかりといっていい。あまり面白いので著者の既刊本である『全世界史』上下巻の文庫本まで購入してしまった。歴史ものは歴史家以外の人が書いたものに限る。専門家たちはうかつなことを書くと学者生命が断たれるリスクがある。めったなことでは新説をひらけかしたり珍説を自慢できない。批判が怖いからだ。でも著者や池上彰さんらは「素人」を武器に人さまの業績を「わかりやすく解説」してくれる。リスクがないから何でも書ける。歴史に興味を持つのは小説が一番だし、専門家以外の人の書いたものを読むのがいい。

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