Vol.917 18年7月14日 週刊あんばい一本勝負 No.909


雨の日は本を読む

7月7日 橘玲著『80's』(エイティーズ)は面白い本だった。出版業界ものというジャンル分けになるのだろうが、この元「宝島30」編集長の回顧録は一味違う。バブルの足あとからその絶頂、そして崩壊まで、1982年から1995年までの長い青春を描いた自叙伝だ。95年までの記述があるのは「オウム真理教」とのかかわりが著者の青春の締めくくりになるから。この当時、「宝島」は唯一といっていいほどオウムと接触を持つ「サティアン出入り自由」の出版社だった。祖霊供養や戒名授与、墓所管理や水子供養といった本来の仏教とは何の関係もない既存仏教の欺瞞を痛烈に批判したオウムは「若いインテリ層」の人気を獲得したのは当然で、昨今のIS(イスラム国)とそっくりだ、という。振り返れば、バカな頃が一番面白い。でも人はいつまでもバカではいられない。

7月8日 便所本(「置き本」というのは池内紀さんの造語)が半年以上替わっていない。便所に置いて読む本はしょっちゅう変わるのだが、「江戸」の雑学ものと永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)の2冊がずっとレギュラーだ。江戸雑学ものはどうってことのない本だが、問題は「現代秀歌」のほう。今後100年読み続けてほしい秀歌100首が、自らも歌人であり京大の細胞生物学者でもある著者の見事な解説で綺羅星のごとく並んでいる。作品ももちろんいいが、なにせ著者の解説がすばらしい。毎日、便所に入り、適当に開いたページを読んでいるだけだが、いつも新鮮で感動がある。この本だけはまったく飽きない発見がある。便所本の不動の4番バッターのようなものだ。

7月9日 出口治明著『0から学ぶ「日本史」講義』を読んでいる。知りたいと思っていたことが書いてある。あまり面白いので既刊の『全世界子』上下巻の文庫本まで購入してしまった。歴史ものは歴史家以外の人が書いたものに限る。専門家たちはうかつなことを書くと学者生命が断たれるリスクがある。批判が怖いからだ。でも出口さんや池上彰さんのような人は「オリジナル」を作る人でない。人さまの業績を「わかりやすく解説」してくれる人。リスクがないから何でも書ける。歴史に興味を持つのは小説が一番だし、専門家以外の人の書いたものを読むのがいい。

7月10日 痛風の原因はどう考えても一種の脱水症状が誘発したものだ、と勝手に結論付けてずっと毎日水分補給に努めている。そのかいあって便通がよくなった。体重が増えなくなった。身体が軽くなり散歩しても疲れが軽い……ような気がする。昨夜の夕食は一人。散歩がてら外で摂ろうと出かけたが、飲食チェーン店に入るきがしない。家に帰ってソーメンをゆでて食べた。近頃、外で飲食する気がどんどん失せていく。

7月11日 読んだ本について感想を書き記すのが「書評」だが、基本的には「悪口は書かない」という暗黙のルールがある。批判があるならその本を取り上げないほうがいい。でも、ときたま「この本の書評をお願いします」と本が指定されてくる。喜んで引き受けるのだが、読んでみると真っ青になるほど「ひどい本」。たぶん依頼してきた編集者も書名や版元だけで「大丈夫だろう」と依頼してくるだけで中身はまったく読んでいない。今回、ある業界紙から依頼された書評はその「とんでも本」の類。貶すこともバカにすることもできない。おざなりな紹介文を書いてお茶を濁したのだが実に後味が悪い。

7月12日 昨日、私用があって仙台日帰り。駅前にある丸善のビルに入ったら、入り口に「ミサイル避難」の看板。どこに避難するかを指示したもの。宮城よりはすっと北朝鮮の標的に近いわが秋田ではこの手の警告は見たことがない。これは政治や経済の力の違いなのだろうか。昭和40年代、秋田市と仙台はそんなに格差のない地方都市だったが、今はもう政令都市と過疎の町、というぐらいの差ができてしまった。行くたびにその差に愕然として、ため息をつく。

7月13日 朝ごはんの時、NHK・BSで「こころ旅」という火野正平の番組をやっている。いつもその奇抜なファッションに驚かされるのだが、今日は黒のオーソドックスなレインコート。裾の長いコートで自転車に乗れるのか心配だが、よく見るとこれはモンベルのアウトドア用レインコート。ゴアテックスで超軽量。私も同じものを持っていて雨の日の散歩に重宝している。値段は確か3万円弱で、自分としては久しぶりのヒット作の買い物だった。そうか、やっぱり愛好者はいるんだ。そういえば一昨日、仙台でモンベルに寄り、またいつもの777円の財布(赤)を買ってしまった。今日からその赤い財布を使うつもりだが、自分の生涯で「赤い財布」を使うようになろうとは思わなかった。来週からは新入社員が早い夏休みをとるので休みで、私一人だ。緊張するなあ。
(あ)

No.909

大君の通貨
(文春文庫)
佐藤雅美

 明治維新150周年という言い方を東北ではあまりしない。ほとんどが戊辰戦争150周年のほうが使われる。あの革命は薩長のテロだ、と苦々しく思っている人が多いからだ。わが秋田は奥羽列藩同盟の裏切り者で薩長側なのだが、それでも周りに気を使い威風堂々と「明治維新」とは言わない(言えない)後ろめたさもあるようだ。本書は、徳川幕府の崩壊は薩長の武力だけでなく、幕府の経済的無知に付け込まれた「通貨の流出」にあった、とする経済的視点から明治維新をとらえた野心作だ。サブタイトルは「幕末「円ドル」戦争」だ。視点がユニークなだけでなく、関連資料を丁寧に読み解いているのに感心させられる。米外交官ハリスの守銭奴ぶるが、これでもかと描かれていて驚くが、英国人のオールコックもなかなかしたたかだ。なにせ金銀比価が国内は1対5、外国では1対16だから、日本の小判を外国に持ちだせば億万長者間違いなし。こんな時代背景すら知らなかった幕府というのは、やはり滅びるよりなかったのかもしれないが、当時の日本に駐留した外交官というのが、本国ではほとんどやっかいものの煮ても焼いても食えないような奴らが、幕府と偉そうにやりあっていた、という事実を知っただけでも本書の価値はある。

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