Vol.907 18年5月5日 週刊あんばい一本勝負 No.899


GWは静かに原稿を書いています

4月28日 いよいよGW。何がいよいよなのかわからないが、仕事先が休みに入るから、こちらも何もできなくなってしまう仕組みだ。昨日、さっそくグリーンライト遮断用の眼鏡を買いに走った。検眼しているうち意外な事実が判明した。グリーンライトの問題以前に、うすぼんやり見える原因が左目の視力の衰えにあることがはっきりした。何らかの原因で左目の視力がかなり落ちていて、右目は昔からほとんど何も変わっていない。うすぼんやり現象は左目にあったのだ。これ以上は眼科の仕事なので眼鏡を作るのは断念、眼科に見てもらうことにした。自己判断のいい加減さが露呈してしまったわけだが、なぜ左目の視力がこんなに落ちてしまったのだろう。

4月29日 昨夜はモモヒキーズのお花見。例年通り公園前にカップ酒1本を持って集合。御隅櫓まで上がって四阿で酒を呑みながら夜桜を鑑賞。7時からは駅前居酒屋に移って酒を呑む。お店は書き入れ時なのか「2時間限定」。せかされて酒を呑むのは無粋の極み。最後に食べた横手焼きそばの油が悪かったようで、夜中に気持ちの悪いゲップ。飲み食いが過ぎると夜中の「逆流」がひどい。

4月30日 2日間お風呂にはいらなかったので今日は朝風呂。一昨日はお花見で飲みすぎ、昨日は書き物をしていてはいりそびれた。GW は東成瀬の原稿書きと決めているので、余計なことは考えない。猪突猛進だ。われながら面白くない人生だ。人生もっとおもしろいことがたくさんありそうな気がするが、誰が読むかもわからない原稿をせっせと書いてヒマつぶし。これ以上おもしろそうなヒマつぶしが見つからない。

5月1日 お花見以来、酒も飲んでいない。2日間飲まなかったのはカミさんが東京に行って不在だったから。原稿を書いているので時間はいくらあっても足らない。酒を飲む時間が惜しい。書き終わればアルコールが嫌になるほど飲める。でもそんな渇望もほとんどない。飲まなければ飲まなくても大丈夫になってきた。

5月2日 人類史がブームだ。流行に乗り遅れまいと必死で新刊をチェック。あまり難しいものはボンクラ頭には無理なので、初心者用を選んで勉強。最近では『絶滅の人類史』がよかった。サブタイトルは「なぜ〈私たち〉が生き延びたのか」。著者は東大の先生(博物館)なのでちょっと難しいが「現代的なたとえ話」がうまいので、許してしまう。人類史がブームなのは放射性炭素による年代測定法の精度が格段に向上したこと、DNA解析の進歩とともに重要なテーマが解釈しなおされていること、が要因だ。人類は何種類もいて、そのほとんどが絶滅した。人類とは直立2足歩行し犬歯が小さいものを意味する。彼らが安全な森林を追われ、脳が大きくなり続けたのはいかなる理由なのか。

5月3日 夢を見た。インドに旅行に行き散歩に出るうちホテルに帰れなくなる、いつもの「迷子彷徨もの」(と勝手に名付けている)だ。どうしてこの手の迷子物が夢に多く出てくるのだろう。もう30年近く前のことだが農業ジャーナリスト団の一員として北朝鮮を旅行した。朝一番でホテルを出てひとりジョギングに出て、平壌市内を走っているうち道に迷って帰れなくなった。ホテルの名前は憶えていない。英語はまったく通じない。たまたま通りかかったジョギング中の大学生たちに英語で迷子になった旨を告げ、ホテルまで連れて行ってもらった苦い経験が「もと」になっている。もうフロイトの夢判断はあてにならないらしいが脳の一つの記憶の再現として何かしら重要な意味を持っているのではないだろうか。

5月4日 今週食べたもので印象に残っているのは「おこわ」だ。香草にコシアブラを使った絶妙な塩味で、舌が驚いてわらったほど。おこわなんて赤飯以外に食べることはない。これはSシェフの特製だ。おこわというのは「強飯」が語源だが、もち米が貴重だった時代はお祝い事などの日に特別に食べられたものだ。日本人が日常的にうるち米を食べるようになったのは、もち米は甘みが強く、普段食としてはおいしすぎるため、という説を読んだことがある。確かに「もち米」のうまさというのは「うるち米」の比ではない。事務所には正月用の切り餅が「保存食」として常備してある。小腹がすいたときに焼いて砂糖醤油で食べる。 
(あ)

No.899

アマゾンの料理人
(講談社)
太田哲雄

 ただのグルメ本ではない。「エル・ブジ」などヨーロッパの三つ星レストランでの修行や、うまいものを探して旅を続ける中で行きついたアマゾン(ペルー)の旅行エッセイだ。著者の旅はアマゾンでようやく「生きること食べること」の本質にたどりつく。現在は日本に帰っているのだが、レストランを経営しているわけではない。料理のほかにアマゾンカカオの普及などの活動をしているという。本書で最も驚いたのは、世界の料理界で最高峰といわれる三ツ星レストランなどで修業するという行為が、実は無報酬で、まかないと宿だけが保証される修業システムであることが明かされていることだろう。スペインのエル・ブジで修業したといえば、日本ではもうそれだけで成功を保証されたと同じだが、修行と言えば聞こえはいいが、ただのボランティアです、と本書は訴えてもいる。裏を返せば世界の名店といわれるレストランは、こうした世界中からの「無料ボランティア」のサポートによって店を支えているともいえるのである。こうしたことに疑問を感じ、料理とは程遠いアマゾンという世界で料理人としての原点や役割を見つけた若者の「料理漫遊記」である。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.903 4月7日号  ●vol.904 4月14日号  ●vol.905 4月21日号  ●vol.906 4月28日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ