Vol.883 17年11月11日 週刊あんばい一本勝負 No.875


ハタハタ・メルマガ・鳥海山

11月4日 今ひとつヒザの状態がよくない。普通通り生活するのに支障はないが、歩き回ると患部が火照る。山もジムもプールもご無沙汰だ。ストレスはたまる一方で、くわえてここ数日腰も痛い。落ち葉拾いが原因だ。昨夜の風雨で今朝もおびただしいイチョウの葉っぱが近所中に散乱。これを1枚1枚拾い集める。きれいになるまで30分はかかる。腰への負担だけでなく太もももパンパンに張る。いい運動になるが、もうイチョウは嫌。他の木に植え替えたい。

11月5日 いよいよハタハタの季節。今期の漁獲制限量は720トン。3年連続で1000トンを切った。資源量は明らかに減っている。「ブリコ」の語源を調べてみると、ちょっと驚いた。一般的に流布されているのは、その食感というか噛み切る音から連想された、という説だが何だかこれが一番嘘くさい。海藻に固く産み付けられて離れないので「不離子」。これはありだ。藩主が卵採取を禁じたので「鰤(ぶり)の子」と偽ってこっそり獲った、というのもある。個人的には「北陸漁師説」が信用できる。秋田の漁法はほとんど越後や能登の漁師たちによる技術指導で開発されたものだ。彼らにとって雷が鳴ると獲れる魚は今も昔も鰤。彼らは雷のことを「鰤おどし」というほどだ。ここから発生した言葉という説だ。諸説さまざまだが秋田音頭にうたわれる「八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ」もよくよく考えれば意味の通らないヘンな歌詞だ。この謎については次回。

11月6日 秋田音頭は寛永3年(1663)に歌詞ができたといわれている。当初「八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ」の歌詞は「八森ハタハタ 男鹿で押しブリコ」だったそうだ。これはちょっと驚いた。ブリコは別に男鹿の専売特許ではない。男鹿ではメスの腹から卵を絞り40尾前後の卵を木枠に入れ、日干しし、固めたものを藁縄で繋いで、商品として売っていた。これが「押しブリコ」で男鹿の名物だったそうだ。そのため男鹿のハタハタには卵が入っていない。だから魚体の評判は良くなく安価だった。逆に卵がちゃんと入っている八森産は良質で高価だったことから「ハタハタは八森産が最高、男鹿では押しブリコがいい」という意味の歌詞なのだそうだ。これはハタハタ研究の第一人者・渡辺一の『ハタハタ』(1977年刊・無明舎出版)に書かれていた。男鹿ブリコではなく「押しブリコ」だったんですね。これならなんとなく納得。

11月7日 朝早くから酒田で打ち合わせ。昔に比べると酒田も近くなったが、やっぱり車の運転は疲れるから嫌いだ。打ち合わせは、生涯にわたって1000回以上も鳥海山に登った故池田昭二先生の克明な手書き山行記録をそのままスキャンしてCDブックにするためのもの。来年3月まで刊行できそうだ。この他にも奥村清明さんの「太平山5000日」や「バリコの秋田ひとり山歩き」(仮題)も準備中。来年前半は山の本が目白押し。加藤明見さんの「秋田市にはクマがいる。」という写真集も山ジャンルの本だなあ。

11月8日 朝早く新入社員は鳥海山稲倉山荘に本の回収。これで来年5月まで稲倉山荘までは通行禁止になる。この日に合わせて車のタイヤを冬用スタッドレスに替えるのも毎年のお約束だ。うちの車はハイブリッド車。リットル16キロしか走らないが、走行メーターはもう10万キロを超えた。今年は特に東成瀬取材で酷使しているが、13万キロあたりを目安に今度はEV車に買い替える予定だ。

11月9日 ずっと重苦しい天気が続いていたが今日は青空。毎日ルーチン以外に予想外の出来事や来客があり、退屈はしないが緊張は解けない。ひとりっきりでリラックスできる時間は酒を呑むのが昔も今も一番だ。その酒もめっきり弱くなった。調子に乗って飲むと翌日テキメンに二日酔い。身体を冷やしたくないので燗をした日本酒を飲みたいのだが、これはカロリーが心配。無難なところで焼酎のお湯割りになってしまう。一杯きこしめしてから仕事をした時期もあったが、もうダメ。よだれをたらしていぎたなくいびきをかいて寝てしまう。

11月10日 冬のDM通信制作にかかる時期だ。年4回愛読者に出す通信だが入稿するまで2週間ほど時間を食う。さらに印刷や郵送などに50万円以上のお金もかかる。全国の愛読者の方と直接つながる唯一のコミュニケーション・ツールだが新入社員から経費が大幅に削減できるメルマガへの変更を提案された。メルマガなら印刷代と郵送代が「なし」。大幅経費節減になる。魅力的な提案だが愛読者は高齢者が多い。いきなりメルマガはちょっと問題だ。2,3年かけて紙とPCを並行しながら徐々に移行する、という流れで妥協した。多くの方から「PCより紙がいい」というご批判が出るのは百も承知だ。でも同じ情報のコストが数十倍も違うのだから「紙がいい」と単純に決めつけることもできない。紙がいいに決まっているのだが、それを「金持ちの道楽」「偏屈でわがまま」という人もいる時代なのだ。 
(あ)

No.875

部長の大晩年
(新潮文庫)
城山三郎

 部長というのは俳人の永田耕衣のこと。著者と同じ昭和2年生まれの作家、藤沢周平は小林一茶『一茶』を書き、吉村昭は尾崎放哉『海も暮れきる』を書いている。城山の本書と合わせて「3人の偉大な俳人の伝記」なのだそうだ。本書以外の2作は読んだ。永田が一茶や尾崎と並ぶ大俳人というのは知らなかった。永田の名前は知っていたが、どんな句を書く人なのか知らなかった。書名に即して、はじまりは永田の定年退職の日のエピソードから始まる。彼の人生は定年からが本番だ。三菱製紙高砂工場でナンバー3の部長にまでなりながら、「会社勤めはつまらない」と公言し、55歳でリタイアすると、その情熱を俳句や書にたっぷり注いでいく。そんな異端の俳人の人生を、97歳の大往生までたどったノンフィクションだ。先の同年代作家たちの評伝と共に人物評伝の傑作と言われているらしい。正直なところ、私には今一つ永田の人物像がせりあがってこない不満があった。句の良さもわからない。放哉や一茶にはそれなりに本を通じてシンパシーを感じた覚えがあるが、永田はダメだった。句にも人物にも食い込んでいけなかった。これはテーマとこちらの相性か、永田そのものとの相性か、著者の方法論への違和感なのか、よくわからない。

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