Vol.1303 2025年12月20日 週刊あんばい一本勝負 No.1295

「普天を我が手に」3部作完結!

12月13日 「島にて」という映画を観た。山形酒田市にある離島・飛島のドキュメンタリー映画で監督が2人いる。ラーメンを食べるシーンが印象的で、この島の人はよくラーメンを食べる。文化的遺産や民俗学的視点は意識的に避けていたようだが、もう少し暮らしにも掘り下げが欲しかった。この島にも移住を促進し、島に住み込んで住民をサポートする若者たちの会社があった。彼らが「未来」のように描かれているが、秋田の過疎地にもよくある「移住促進」の名を借りた政府の補助金目当ての「過疎ビジネス」との関連はどうなんだろう。税金を使ったイベントは長続きしたためしがない。裏でお金のトラブルや不正が見つかるケースも後を絶たない。1時間半の、静かで穏やかな映画で、ドローンを使うような派手な画像演出がないのが救いだった。

12月14日 コンビニで会計の際、釣銭を落とした。床の隙間に落ちたので、「とっさに」かがんで拾おうとしたのだが、「とっさ」と思ったのはこちらの時間間隔で、その間に店員が回り込んできて小銭を拾ってくれた。落としてから気が付いて腰を落とし拾うまで、かなりゆっくりで、それが店員には「悠久の時」に感じられたのだろう。こちらの「とっさ」が店員には「悠久」に感じられたわけだ。たしかに気持ちはともかく「落とした・腰をかがめる・拾う・立ち上がる」という行為が瞬間的にできた日は遠い。いまは自分の頭の中でも動作が細かく分解され、その一つ一つを確認しながら一連の動作が始まる。これが老人なのか。「俺の〈とっさ〉を邪魔するな」と偏屈な老人は言いたい気分だが、もうやせ我慢はやめよう。

12月15日 毎日、アマゾンプライムで映画を一本観る。昨日は大当たり。『658K、陽子の旅』という22年につくられた日本映画だ。ロードムービーで、しかも主役はあの国際派女優・菊池凛子。就職氷河期で夢破れた在宅フリーターの42歳女性を演じている。所持金もなくサービスエリアに置き去りにされ、ヒッチハイカーとして父の葬儀のために故郷・弘前に向かう。竹原ピストルやオダギリジョー、風吹ジュンといった実力派が脇を固め、初冬の東北縦断の旅がはじめる。しかしこの菊地凛子の持つ「暗さと不可解さ」は、たぶん彼女だけが持ちうる才能なのだろう。この映画は彼女のためにだけ作られたようなものだ。なにも起きないラストシーンもよかった。

12月16日 おとといの雷で、寝室のラジオの電源が入らなくなった。仕事場で調理に使っているガスコンロも今年新しくした。いいものを長く使おうと思ってバミューダというメーカーの黒いゴツイ、高いものを買ったのだが見掛け倒しだった。散歩用の靴も同じ。これはミズノ製なので大丈夫、と思ったが足幅をチェックするのを忘れた。足の甲が痛くなり難渋した。今年は何の節目なのか、身の回りの生活備品を総とっかえした。車から冷蔵庫、パソコンから調理器具まで、ことごとくガタが来て新品に替えるはめに。車やパソコンは問題もなく一安心だが、半分は前のほうがよかったなあ、という残念な感じだった。身の回りのものがちょうどガタが来る年回りだったのだろう。

12月17日 ときどき無性に中華料理が食べたくなる。でも近所に中華料理屋はない。バーミヤンや大阪餃子といったチェーン店でも充分なのだが、実はそれもないのだ。昔から秋田市は「中華」と「そば」の店が少ない。最近は自分で作ることにした。日本ハムの「中華名菜」という冷凍食品を見つけ、そのお世話になっているのだ。なにか野菜一品を加えればすぐに出来上がる。酢豚も八宝菜も回鍋肉もエビチリもマーボー豆腐も、すぐに食べられるからすごい。

12月18日 衆院議員の寺田学氏が「政治と家庭の両立は困難」と政界引退を表明した。政治の世界にはあまり関わりたくないのだが、この「表明」にはかなり驚きショックも受けた。自分の観念的な政治家像ではとても理解できない出来事だったからだ。まだ50前の、バリバリの野党政治家が、「家庭と両立」って、なんだそれ? という感じだ。それが昨日の毎日新聞の一面ぶち抜きインタビューで背景がよく理解できた。同じく参院議員の妻から「育児も介護も全て誰かに丸投げできる人たちで物事を決めているから、こんなに世の中が窮屈なんだ」という夫に投げつけた言葉がキーワードだ。週日は東京で活動し、週末は地元・秋田で支援者回り。こうした議員のルーチンもハードで、子育てなどほぼ不可能だ。「顔を出してなんぼ」という選挙風土も問題で、有権者からすれば地元に帰ってこない議員なぞいてもいなくても同じと手厳しい。そのため、まったく生活感のないお坊ちゃま、お嬢ちゃま議員だけが大手を振って歩く国会ができてしまう。それにしても、この問題を真正面から取り上げたメディアがほとんどないことが、ずっと気にかかっていた。毎日新聞の「静かなスクープ」だと思う。

12月19日 ローマ字表記の国による決まりが約70年ぶりに変わるという。「し」は訓令式を用いて「si」とこれまで定められていたが、これをヘボン式の「shi」を基本に。「つ」は「tsu」で、「しゃ」は「sha」になる。統一されるのは悪いことではないが、ワープロで印字する習慣がついた今では、その表記に従えばいいだけの話だ。撥音の「ん」は「n」で、促音は子音を重ねて表記する。これも今まで通りだ。それでも「でゅ」や「どぅ」「つぁ」など横文字系の言葉が出てくると、よくわからなくなる。パソコンでは「dhu」「dwu」「tsa」と打ち込むのだが、手帳にメモっておいて印字している。よく出てくる言葉が「ピッツァ」で、これは「Pittsa」だ。

12月20日 予約注文していた奥田英朗『第三部 普天を我が手に』が届いた。三部は、7日間しかなかった昭和元年生まれの主人公4人が、それぞれ検事や政治家、ジャーナリストやプロモーターとなって、お互いの運命を交差させながら、激動の戦後を駆け抜ける物語だ。大正天皇崩御からはじまった物語は、この3部の昭和天皇の大喪の礼で幕を閉じる。著者が「一生に一度の10年仕事」という大長編小説だが、合計1700ページの、普通の単行本にすれば7冊分くらいの本を、巻を措く能わず、一気呵成に読んでしまった。今年の本ベストワンだ。奥田ワールドの結晶ともいえる作品だ。9月から刊行がはじまり12月まで、この3冊の本で、読書の楽しさをたっぷり味わわせてもらった。

(あ)

No.1295

荷風さんの昭和
(ちくま文庫)
半藤一利
 日記を読むのが大好きだ。作家たちの名作と言われる日記はたいがい読んでいるのだが、肝心の荷風の『断腸亭日常』は何度か挑戦はしたのだが、そのあまりの格調高い漢文まじりの文章に、最後まで読めずに放り出してしまう。でもいつかはちゃんと読んでみたい。その助走になるのが本書ではないか、と思い読みだした。戦争へ、破滅へと向かう昭和前期の20年間の日記を中心に、自分自身の身に荷風を引き寄せながら、等身大の荷風と、その精神の中に隠された強靭な「反骨」を描き出してくれた。それにしても戦争へ、破滅へと向かう世間を見つめる荷風の視線は、あくまで低く、驚くべき適格さで世界の不穏の風を読み取とっている。著者は荷風の日記を読み解きながら、「日本にありながら日本からの亡命者」であり、徹頭徹尾、自己本位に生きた荷風の日記は、「最高の創作、読み手に感動を与えるように仕立てられている」と書いている。荷風は国家の抱擁を頑としてはねつけ、字義通り孤立無援のなかで1日1日を刻み付けていった。荷風にとって眼前の現代は、常に虚偽であり、憎むべき狂気であった。それらはすべて醜悪である。時代風景の中に文豪の日常を描き出した傑作である。

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