Vol.1280 2025年7月12日 週刊あんばい一本勝負 No.1272

「声」というのも歴史なのだ

7月5日 県立美術館に伊藤康夫さんの個展。伊藤さんは93歳、現役の洋画家だ。品性のあるヨーロッパの宗教画のような静謐さをたたえた半具象の絵を描く。展示作品の多くはこの20年ほどに描かれた作品だが、若いころは暗い色を多用したアブストラクトな作品も少なくなかったことを思い出した。会場に入る前、10メートル間隔で屈強な警察官が美術館のまわりを警護していた。アートとはそぐわない、心ざわつかせる光景で、「小泉農相が横の広場で選挙応援演説をするため」だそうだ。個展では伊藤さんご本人ともお話しすることができた。そのちょっと前、先客の白髪の老紳士と、光や色に関して専門的な激論を口角泡飛ばしてかわしていた。これもまた伊藤さんらしい。いまだ、矍鑠たる93歳である。

7月6日 今日はひとりでいつもの前岳に登る予定だったが、夜半かなり激しい雨。その雨音で目覚めた。朝起きると雨はやんでいたが、道路は黒くぬれ、水たまりができていた。無念だがベチャベタャの泥の中を歩くのは厄介だ。中止することにした。昨日は、湯沢市で中学時代の同窓会があったのだが(欠席の返事を出していた)、それをすっかり忘れて、たまたま中学時代の親しい友人に電話をした。「今、同窓会の乾杯が終わったところだ」と言われて、同窓会の日だったことに気が付いた。会場に出席していた何人かの同級生に電話を替わってもらい、声だけで欠席をわびた。その時に感じたのだが、半世紀以上会っていなくとも、その声や話し方、方言のきつさなどで、彼の生きてきた半生が容易に想像できたこと。声というのも歴史なのだ。

7月7日 文具類を買いに駅前にあるロフトへ。商品が細分化され高級になって、結局は探しているボールペンの替えインクや小さな透明ファイル、作業済みのしるしに使うシールなど、見つからなかった。似たような高級品はあるのだが、こちらの欲しいシンプルな商品ではなく、みんな何かしらゴテゴテと付加価値をくっつけた高級品だ。近くの無印良品もまわったが、ここも同じような状況だった。結局は100円ショップでそれらをみんな見つけたのだが、ずいぶんと無駄な時間を費やしてしまった。それにしても100円ショップの威力には脱帽だ。物価高で100円ショップが消えたら暴動が起きるかもしれない。その商品構成の見事さは、文字通り痒いところに手が届くアイデアで満ち溢れていて、これは間違いなく「日本の宝」といっても過言ではない。

7月8日 今日も暑い日になりそうだ。朝早くから自宅の温水器をエコ・キュートに変える作業が始まった。もう15年以上、風呂のお湯を沸かしてくれた温水器だから、かなりガタが来ている。ちょうどいいタイミングなのかもしれない。午後からは湯沢まで取材へ。この暑さの中、寺や八幡様の小高い山や麓の神社など、くまなく歩く予定で気分はほぼ山歩き。遠くへ出かけるときは、ご当地の美味しいものを食べる楽しみがあるが、最近は外食よりシャチョー室で自分で作るランチのほうが好きになってしまった。この頃はレイメンに凝っている。インスタントでもかなりレヴェルの高い、麺とスープが市販されている。あとはうまいキムチさえあれば、その辺のお店よりンより美味しいものが出来る。四半世紀前、農業ジャーナリストの一員として訪朝したとき、本場のピョンヤン・レイメンを食べた。軽いのに深い味で、食後にデザートのように小さな皿で出てきたのに驚いた。あのうまさが忘れられない。

7月9日 このところ毎週のように横手や湯沢といった地域に出かけている。仕事が終わるのがだいたい4時ころで、大曲のイオンに立ち寄るのが習慣のようになってしまった。ここで夕食タイムをとって、近くの高速道にのって帰ってくる。夕食は「サイゼリア」だ。ノンアルビール2本に、ちょっとおつまみをとり、最後はパスタで締める。2千円前後のお会計だ。ときには誰もいない店内でノンアルビールを飲みながら、巨大なイオンタウンを独り占めしているような気分になることもある。いずれにしても「ノンアル」という選択肢が増え、自分の行動半径が一挙に広くなった。夕食はお酒の飲めるところでなければ、とか、お酒を飲んでしまえば車で帰れない、といった「しばり」から解放された。これは大きいなあ。

7月10日 寝床に入る前や朝起きた後、ベッド横のロッキング・チェアで2,30分、ボーっとしていることが多くなった。1時間もたてば何を考えていたかさえ忘却のかなただ。大切な仕事の段取りはかならずメモをして記録を残す習慣がある。だから仕事のことを考えているわけではない。何かを考えているのだが、考えたはしから、何を考えていたのか、忘れてしまうのだから世話はない。よく老人ホームで椅子に座って一日を過ごす老人の姿を見るが、あ、そうか、あれと同じか。何かを考えているのだが、その考えたことをすぐ忘れ、また同じことを頭の中で繰り返す。延々としりとりゲームをやっているようなものだが、退屈ではない。でも時間はあっという間に過ぎていく。そうか、近い将来、自分が老人ホームにはいったときの、予行練習をしているのか、と今朝は妙に納得して、考えるのをやめた。

7月11日 沢木耕太郎の新刊『歴のしずく』(朝日新聞出版)をようやく読了した。日本の芸能史の中でただ一人、死刑(宝暦8年・1758)に処せられた実在の人物・馬場文耕の物語だ。史料は本人の書いた著作物だけで、沢木の想像力と端正な文章力で編まれた時代小説だ。かつて将来を嘱望され、文武両道に秀でた武士だったが、その身分を捨て、貧乏長屋に住み、軍記物を講釈する、生涯が謎に包まれた男が主人公だ。文中に物語の重要な局面で秋田藩佐竹家の「秋田騒動」が登場する。馬場の弟子がわざわざ秋田まで「取材」に行くほどの大事件だ。それにしても主人公・文耕のキャラクターが、秋田出身の時代小説家・花家圭太郎「口入れ屋人道楽帖」シリーズの主人公、永井新兵衛に驚くほど似ている。永井はある複雑な理由で秋田藩を脱藩し、江戸で剣の腕を買われて用心棒家業の日々。その心の温かさと剣の腕で、人々の悩みに寄り添い、問題の解決に力を貸し、悪とは捨て身で戦う正義漢だ。これが馬場文耕そっくりで、だから沢木の本を読みながら花家の本を読んでいるような錯覚に何度か陥ったほど。花家には「竹光半兵衛」シリーズというのもあって、これもまた主人公は秋田藩を脱藩、江戸で香具師として暮らす羽州浪人だ。香具師をしながら、故郷からの仇討ちがくるのを待つ、という設定がユニークで、この竹光半兵衛こと小寺半兵衛も、やはり文耕と似たキャラクターだ。
(あ)

No.1272

バッタを倒しにアフリカへ
(光文社新書)
前野ウルド浩太郎
 5年ぶりに東京出張することになり、何の本を持っていくか迷ったのだが、たまたまカミさんの本棚にあったのが、本書だった。コロナ前の2017年ごろにベストセラーになった本だ。著者が秋田中央高校から弘前大学に進んだ「昆虫少年」で、そのせいもあって全国的なべストセラーにもかかわらず、秋田ローカルでもいろんな場所に登場していた。その時は読み逃したのだが、みんな忘れた頃に読むのも面白そう、と手に取った。思った以上に文中に「秋田」が多く登場しているのに驚いた。その登場のさせ方に不自然さがなく、笑いをとるときの定番が「秋田ネタ」だったので、大笑いしながら読了した。気持ちのいい本だ。本書の骨格になっているのが、「自分のように頭が足りなくても、大勢の人に助けてもらいながら努力を続け、運が良ければ〈バッタの研究をして給料をもらう〉という無茶な夢すらかなうのだ」と書いているように、相も変らぬ学問世界の学閥や、研究機関の給料の安さ、過酷な学問環境である。いろんなハンディをものともせず東大や京大と身体を張って戦いを挑む、無手勝流の若者の心意気が読者の心を打つのかもしれない。彼を支える秋田の両親にも拍手を送りたい。

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