Vol.1076 21年8月14日 週刊あんばい一本勝負 No.1068

『小倉昌男 祈りと経営』は「8・5」

8月8日 連日の猛暑で頭の中が沸騰しそうだ。仕事場はもろに西日が当たる部屋なので、朝からクーラー全開でもなかなか部屋は冷えてくれない。特に夕陽が差し込む時間帯は地獄だ。温度設定を23度にしても、ムッとする暖気がこもっているのだからシンドイ。体を動かすのが億劫なのが今年の夏だ。もう1カ月以上、山とも御無沙汰だ。コロナと猛暑のダブルパンチの夏。

8月9日 冒険ノンフィクションの高野秀行と室町を専門とする歴史学者の清水克行が対談した『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読んだ。どんな接点があるの?と疑心暗鬼で読み始めたが、これが実に面白かった。その昔、東北地方で雑穀をつくらなくなったのは大豆ラッシュが起きたため、というのは初めて知った。江戸でしょうゆ文化が花開いて雑穀をやめてみんな大豆を作り出したのがきっかけだったそうだ。ちなみにコメ至上主義に移行するのは信長の頃から。ここから本格的に石高制にシフトし、秀吉の太閤検地に引き継がれていく。異文化交流から生まれた「奇書」である。

8月10日 夜半から雨。冷たいシャワーを浴び、生きかえった大地の心持が、こちらにも伝わってくる。最近は朝食後も即行動には移れず、寝室でボーっとすることが多い。何も考えない、至福の朝の時間ともいえるが、このボーっとした時間がだんだんと長くなっているような気がする。

8月11日 昨夜(今日)は朝4時まで森健著『小倉昌男 祈りと経営』(小学館文庫)を読んだ。ヤマト運輸の元社長の物語だ。大成功した企業経営者の物語なんか読んでもしょうがない、という偏見もあったが、「宅急便の父が闘っていたもの」というサブタイトルと、この本が大宅賞を満場一致で受賞したという興味から読みだした。これがとんでもない面白さだった。今年読んだ本で一番の面白さだ。名経営者はなぜ私財を投じて障害者福祉に晩年を捧げたのか、取材から浮き上がってくる伝説の経営者の知られざる素顔が圧巻の感動を呼ぶ。

8月12日 『小倉昌男 祈りと経営』の衝撃的な感動が、いまも尾を引いている。小倉の生き方もそうだが、なにより考え抜かれた構成と強靭な取材力と淡々とした筆力に打ち負かされてしまった。大成功した歴史に残る名経営者の伝説的な物語に見せかけて、実は全く内容はかけ離れた、精神障害をめぐる家族の物語、というのがこの本に仕掛けられた最大のトリックだ。読んだ本の評価をメモに記しているのだが最高点は10点満点中8点がふだんの最高点だ。8点クラスの本は年間2点か3点あればいい方だが、この本は「8・5」。まだまだ読んでいないこんな感動本が世にはたくさん転がっているんだろうな。

8月13日 猛暑から一転、肌寒い朝夕が2日間続いた。友人の宮城県の農家から、「これはもしかして〈やませ〉かも…」と不安まじりの電話。秋田は奥羽山脈がブロックするので、オホーツクから冷夏をもたらす「やませ」は吹かない。太平洋側はこのやませが農作物を徹底的に痛めつける。宮沢賢治の「寒さの夏は」の世界だ。中学生のころ、「寒さの夏」は「暑さの夏」の間違いだろうと真剣に思っていた。  
(あ)

No.1068

平場の月
(光文社)
朝倉かすみ

 50歳になった中学同級生同士の恋を描いた物語だ。高卒、人工肛門、パート、がん、結婚……日本の底辺に位置する普通の男女の暮らしと恋がテーマなのだが、主人公の青砥(男)と須藤(女)の造型が、切なくなるほどリアリティがあり、知らず知らずに感情移入してしまう。この著者の『田村はまだか』も傑作で感動したのだが、本書も負けずにいい。読後にじんわりとした余韻が残る物語というのは自分的にも珍しく、ほとんどの物語は読んだ端から忘れてしまうのが常だ。18年の暮れに新刊が出たのだが、わずか1年で10刷のベストセラー。もう文庫本も出ている。アマゾンのユーズドで200円になっていた10刷の単行本で読んだのだが、お手軽な文庫本にはない重厚感が単行本という形にはあるようで、単行本で読んでよかった。単行本を買って驚いたのは見返しに黒々と著者の直筆サインと落款が入っていたことだ。著者が誰か知人に寄贈したものだろうが(相手の名前は書いていなかった)、有名な作家から頂いた本を、楽々と古本屋に売っちゃう人間もいることには、ちょっとショックを受けた。読んだ本をずっと手元に置いておく習慣はないが、このサイン入りの本だけは、しばらく手元に置いておくつもり。

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