Vol.1066 21年6月5日 週刊あんばい一本勝負 No.1058

盛岡・縄文・雨模様

5月29日 昨日から「山城」の原稿を書き始めた。その山城関連の資料として長部日出雄『源義経』(学研)を読んだ。さすがに小説家の書く伝記は歴史家のものとは違って無類に面白い。文章はきれいだし、心理描写は鮮やか。歴史解釈も深くて人物造型が複雑だ。長部さんとは生前面識があったのだが、こんな歴史小説を書いているのは知らなかった。平泉や義経に関心が深かったのだろう。頼朝と義経をプロ野球の川上と長嶋に例えている巻末の講演記録がメチャクチャ面白い。

5月30日 雨模様の天気が続いている。週末の山行はなし。9日の東鳥海山以来、汗をかいていない。身体がさびていく気分だ。面白いことに体重はジリジリ減り始めている。ランチのリンゴが切れてしまいチンしたおにぎりに味噌をつけて食べている。これがよかったのだろうか。スルスルと体重が落ちた。もう2カ月以上、暴飲暴食を諫め摂生してきたから当然か。朝、体重計に乗るのが楽しい、なんて久しぶりだ。

5月31日 今週のHP写真も解説が必要だろう。私が卒業した湯沢高校正門(?)入口だ。先日、湯沢城址を歩いてゴール地点がこの湯沢高校だった。ここをまっすぐ進むと校舎横に柔道部の部室と道場があった。通学のたびに「あああ、今日もここで練習かぁ…」と毎日暗い気持ちになったことを思い出した。そのいや〜な気持ちを込めた1枚なのだが、伝わりましたでしょうか(笑)。それにしても高校時代にいい思い出はほとんどない。

6月1日 盛岡へ。新幹線に乗るのは久しぶり。車内に置いてある「トランヴェール」今月号の沢木耕太郎さんのコラムは、なんとうちの本。『嘉永五年東北』という吉田松陰についての本だが、その著者の思い出を書いている。車中では藤木久志『戦国の村をゆく』(朝日選書)を読む。これが実に面白かった。盛岡市内では、仕事を済ませ盛岡城址横にある古書店で「自舎本」を物色。3冊見つけるが、帰ってきて棚を見ると2重買いだった。盛岡は明らかに秋田市よりも華やかで大きな都市という感じだ。

6月2日 盛岡出張で頭を悩ましたのは「食事」をどうするか。なにを食べても、少しぐらいゼイタクしても何の問題もない。で結果は昼夜とも駅ナカにある普通の蕎麦屋で済ませた。昼は蕎麦とかつ丼セット、夜はおろしそばとお酒1合。同じ店に半日で二回も顔を出したから店側の人は笑っていた。外に出たら名物よりもまずは蕎麦屋を探す。普通の店でいい。その日の体調に合わせて冷温を選び、天ぷらを付けたりつけなかったり。酒もひとり酒は面倒くさくなってきた。ワイワイガヤガヤ、気のおけぬ人と飲む酒は好きだが、ひとり酒はすぐ飽きがくる。年をとるってこういうこと、か。

6月3日 北海道・北東北の縄文遺跡が世界文化遺産に登録されるという。この吉報の前、鷹巣の伊勢堂岱と大湯環状列石に出かける機会があった。偶然である。山城の取材のついでだ。伊勢堂岱の史料センターはもう何度も行っているが、裏山にある遺跡群をじっくり見て回ったのは初めて。大湯環状列石のほうも何度も行っているが、遺跡を分断して県道が走っているのが前から気になっていた。今回はその県道を自分の車で走ってみようと思った。先日、大島直之『月と蛇と縄文人』(角川シフィア文庫)という本を買い求めた。縄文が気になっていたせいだ。ネットではなく盛岡の書店で買ったのだが、このカバー写真にはさすがに驚き、レジで店員さんの顔を盗み見たほど。若い妊婦が陰部のヘアー丸出しの衝撃的ヌード写真なのである。考古学の真面目な本で版元も大手だ。もともとは友人の札幌の出版社・寿郎社が出したものだ。その本はカバー写真の衝撃が強すぎて、まだ読み出せないでいる。

6月4日 雨の日は何となくネガティブな気持ちになる。なんとなく雨だといろんな行動の可能性や多様性が「狭められ」たような気分になってしまうからだろうか。いつもよりスピーカーの音量を大きくして音楽を聴いている。雨の音を打ち消すためだ。最近、ますます意固地になってFMのパーソナリティの好き嫌いも激しくなった。TVの好きな番組もゲスト出演者のタレントが嫌いだと見なくなってしまった。商業的な理由でどんな番組にもジャニーズ系の髪を染めた若者が出てくる裏事情もわからぬではない。でも業界のお付き合いをする理由は何もない。不快なら見ざる聞かざるがノーマルな対応だろう。雨はやっぱり感情が湿っぽくなる。
(あ)

No.1058

身分帳
(講談社文庫)
佐木隆三

 邦画「すばらしき世界」(西川美和監督)の評判が高いので、原作となった本書をとりあえず読むことにした。これは面白い。映画はたぶんもっとおもしろいに違いない。原作には「刑務所」に関する膨大な法律や規律、約束事がデータ資料として挿入されている。その事務的な文章を読むのは一苦労だったが、たぶん映画にそれはない(はずだ)。そして昨日、読了の翌日に駅ナカ映画館で映画を観てきた。客は3,4名しかいなかったが、映画は予想通り面白かった。これはたぶん原作を読んだせいだ。小説と映画は全く別物だ。小説では回りくどく、すっ飛ばしたくなる場面が多かったが、映画は緊張感に満ちたシーンの連続で、一瞬たりとも飽きさせない。その代わり大切な物語の小道具となる「小さな枝葉」はすべて刈り取られていた。映画は飛躍や省略を役者の表情でカバーしながら進行する。「なぜ、急に逃げ出すの?」といった不可解さを観る人に抱かせる危険とも隣り合わせだ。もし原作を読んでいなければ意味の分からない主人公の行動を、たぶん監督の不見識として批判していたかもしれない。映画表現者たちのプロ意識の高さに感心した。

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