Vol.104 02年8月24日号 週刊あんばい一本勝負 No.101


お盆休めず、決算あたふた

 今年、お盆休みはとうとう取れませんでした。舎員の誰か彼かは出舎していたので、隣に住んでいると気が気でなく、結局出舎してしまいました。これが職住近接の最大の欠点です。それにしてもまあ毎日雨続きで、太平川は氾濫するわ、外出や散歩は出来ないわで、絶好の仕事日和の日々ではありました。仕事というのはいくらやっても次から次へと湧き出てくるウジ虫(これゃ言いすぎか)で、「や〜めた」といっても大して状況は変わらないのですが、ひたすら長い時間をかけて作ってきた自分の仕事や生活のリズムを壊したくないため交通整理を必至でやっているようなものです。お盆休みも終わって正常な職場に戻ったと思ったら、今度は8月決算の数字が予想よりも良くて(今年は出版点数を抑えたので減益は必至だと信じていた)、税金対策にあたふたするハメに陥ってしまいました。節税といっても事務備品類を買ったり、退職保険に入ったりすることぐらいだが、まあ何もしないよりはいい、といった程度のことで、こうした予想はずれは喜んで良いのか悲しいのかよくわかりません。どうせ長くは続かないでしょうから今のうち自慢したほうがいいのかもしれませんね。
(あ)

この電動マッサージ器は
はたして経費で落ちるのか?

ギリヤ―ク尼崎と会う

 市立図書館でばったり大道芸人のギリヤ―ク尼崎さんに会った。数日前、地元新聞に能代市で公演したことが報じられていたので、それほど驚きはしなかったが秋田市でも公演を予定しているとのことだ。彼との付き合いは古い。もう20年以上になろうか。何度も東京で会っているし、サンパウロやアマゾンでの公演のお手伝いもしたことがある。独身で最近まで最愛の母親と一緒に暮らしていたが、母親もなくなり一人暮らしで71歳になる。もう老人と呼ばれてもおかしくない年齢だが20年前と身体つきも雰囲気もまったく変わっていない。極限まで肉体を使って節制しているせいだろう。考え方も相変わらずぶっ飛んでいて、「やろう」と決めるとどんなところにでも飛んで実現させてしまう。今年の9月11日はニューヨークでテロの追悼公演をするそうだ。彼にはスポンサーもいなければプロデューサーもいない。公演はすべて自腹を切り、投げ銭だけが収入なのだ。「自分でも40年近く、投げ銭だけでよく生きてきたなあと思いますよ」といっていたが、この事実だけでも文化勲章ものである。
(あ)
ギリヤークの踊りと2人で

この戦争童話集がおすすめ

 この時期になると決まって「戦争もの」の出版が手を変え品を変え勢揃いする。「8月は戦争ものが定番」といった雰囲気はこと出版に間しては好きになれない慣習だが、この戦争童話集だけは別格である。
 原作は野坂昭如、絵が黒田征太郎、全4巻の絵本になっている。黒田の絵がとにかく素晴らしい。この作品はきのうきょう出来たシロモノではない。数年前、NHKのテレビ番組として企画、放映され、さらにその映像がビデオ発売され、そして今度の単行本の出版という長い時間的な流れがある作品の集大成なのである。何度も何度も開きたくなるような絵の詰まった本は、風化させてはならない戦争を後世に語り伝えるために強力な武器になるだろう。この本は多くの人に読んでほしい。
(あ)

『戦争童話集 忘れてはイケナイ物語り』
全4冊 NHK出版刊 定価6800円+税

今週の花

 今週の花はモカラレッド、黄色いガーベラ、ワックスフラワー、スモークグラス。モカラレッドは茎まで真っ赤な蘭です。あまり見たことがない花なので、造花かと思いました。ワックスフラワーは葉っぱが松に似ていて、1pくらいの白い花がたくさんついてます。花びらがロウを塗ったように見えるからこの名前がついたようです。
 今回のように珍しい花が揃っていた時は、メモに書いてある名前と花を一致させるのがクイズのようです。その後、本やインターネットで名前の由来を調べるのが、最近の私の楽しみになっています。
(富)

No.101

エリック・ホッファー自伝(作品社)
中本義彦訳

 エリック・ホッファーの名前をはじめて聞いたのは確か津野海太郎の本によってだった。だからホッファーの名前を聞くとどうしても津野さんの歩きながら本を読んでいる姿を想像してしまう。本書の帯には「ホッファーのように生きつづけたい」という中上健次の言葉が使われているが、働きながら読書と思索を続け、独学で独自の思想を構築した「野の哲学者」のイメージから言えばやはり津野海太郎のほうが近い存在のような気がする。この自伝で考えさせられたのは結婚するかもしれなかった女性へレンとの出会いと別れである。あそこで幸せな結婚を選べば、たぶんどこにでもいる哲学者がアメリカで一人誕生した、という小さな歴史が生まれただけで終わっていたにちがいない。結婚を選ばなかったことがホッファーのその後の人生と後世の評価を決めた。7歳のときに失明、15歳で突然視力が回復するという経験も、その生き方に決定的な影響をあたえた。なぜ社会の最底辺に身をおき、思索を続けたのか、それがよく理解できる随想である。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.100 7月27日号  ●vol.101 8月3日号  ●vol.102 8月10日号  ●vol.103 8月17日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ