Vol.982 19年10月26日 週刊あんばい一本勝負 No.974


信号・断捨離・ウイスキー

10月19日 外食をする機会が増えた。おいしいものを食べるのは一番のストレス発散だが、いつもうまいものに当たるとは限らない。勘定をカウンター越しに素手で受け取るすし屋や、客の間を走り回って埃を舞い上げるウエイトレスのいるイタリアンまで、味以前に、「もうこの店はけっこう」と思える店に当たることもある。お店で注文するものも、できるだけ癖がなく無難なもの、奇をてらったものは極力避けるようになったのは年のせいだろう。これまでの人生で苦手と思い込んで絶対に注文しなかったものを逆に積極的にオーダーするようになったのも最近の傾向だ。

10月20日 外で飲むときはもっぱらウイスキーだ。銘柄は何でもよくハイボールで濃さを調節してグビグビやる。和食も中華もイタリアンもウイスキーさえあればOKで何の問題もない。それでも秋になると燗をした日本酒を飲みたくなる。銘柄はもっぱら「天の戸」だ。杜氏の森谷君が突然亡くなって来年からはもう飲めないと思うと、どんなところに行ってもまずは「天の戸ください」と開口一番言ってしまう。

10月21日 今週からはまた退屈で変哲のない生活が始まる。忙しくもないがヒマでもない。新しいことにチャレンジするのが難しい年に入った。これは日々感じている。「もう急く必要はないんだよ」という心の声も聞こえるが、なんだか立ち止まると死んでしまいそうな強迫観念も残っている。「よしやるぞ」と気持ちを奮い立たせて前を向くのだが、気持ちだけで足はなかなか前に出ない。

10月22日 今日が休日(旗日)なことを知らなかった人もいるのではないだろうか。カレンダーに記載されていない休日だ。休みだと思っていた印刷所はちゃんと普通通り営業していたのは意外だ。うちは印刷所が動いているせいで仕事が中断せずにすむから助かった。休日は土日の後にくっつけられて3連休にするのが常態になっている。週日の旗日というのはなんだか新鮮に思えてしまう。

10月23日 ヘンな本を読んだ。漫画家の中崎タツヤが書いた『もたない男』(新潮文庫)という本で、自分の断捨離ぶりを語ったエッセイ集だ。その断捨離ぶりはいま流行のミニマリストなぞ足元にも及ばない「狂気」をはらんでいる。命と金と妻以外は何でも捨ててやる、というのだから笑ってしまう。そのくせ人一倍物欲もあり買い物大好きなのだ。毎日毎日、何か捨てるものがないかを考え続け、最後はボールペンのインクが減ってきたのでその軸を削ってしまう。ソファーは燃やし、印刷済みの生原稿はシュレッダーにかけ、自分の本すら持っていない、この人の代表作は『じみへん』という漫画のようなので、早速読んでみよう。

10月24日 2日間、剪定の職人さんが事務所と家の作業に入っている。年に一回、木々がきれいにお化粧できる時期で、木々も心なしか気持ちよさそうだ。女性の植木職人も混じっている。そういえば最近は町のいたるところに、この若い女性職人を見かけるようになった。とび職や大工、植木職人に電気工事など、彼女らは風景にちゃんと溶け込んでいる。社会の先端はもう週休三日態勢に入っている。長く働くことは美徳でも何でもない。効率と段取りと短時間が「労働」の大きな基準になりつつあるから、若い女性の肉体労働への進出も活発になるのは間違いない。

10月25日 オカルト現象や超能力は信じていない。のだが毎日の散歩で説明のつかない現実に直面し戸惑っている。行きの散歩で通る大きな道路の信号機が、私を待っていたかのように渡る直前に赤から青に替わるのだ。最初、通行人を察知して替わるタイプの信号機なのかなとも思ったが、そうではなかった。帰りに通るときは信号は赤のまま、逆にいつも引っかかっている。行きだけスムースなのだ。このことに気が付いてからもう半年近くたつ。依然として信号は行きのときだけスムースに青に替わる。こううなると逆に結果が怖い。この道を避けたくなる。科学的にみればこんなことは確率的にあるはずがない。正直なんだか気持ち悪い。

(あ)

No.974

八郎潟―ある大干拓の記録
(講談社)
千葉治平

 これは刺激的な本だ。いわゆる「モデル農村についての本」ではない。開拓着手までの村の「前史」が克明に描かれているルポである。それも資料を読み込んで書かれたノンフィクションではなく、著者自身が何度も足を運んで、漁民や農民たちと会話を重ね、事実を少しずつ積み重ねていった探訪記である。著者は秋田出身の直木賞作家。でも直木賞を受賞した人気作家というわけではない。どちらかというと秋田や農村の問題を『家の光』や同人誌などにコツコツと書いて発表してきた地味で玄人好みの作家といったほうがいいだろう。その作家に講談社から「湖を干拓してできる村のルポ」の依頼が届くところから本書は始まる。八郎潟の恵みで先祖代々暮らしてきた漁民たちの戸惑い、秋田県の微妙な立場から背後に見え隠れする国の思惑と本音。「八郎潟干拓は吉田首相のオランダへの戦後賠償問題として画策された政治的な決断だった」ことを著者は重要視する。そう八郎潟干拓は日本の戦後史と深く通底する「農業問題ではなく政治課題」だったのだ。この事実は多くの公的な干拓報告書にもはっきりと記述されている。当時としては珍しい「20世紀の世界的な規模の自然破壊」という視点も入っている。大潟村誕前夜までの政治的な攻防やその舞台裏を知りたい人には絶好の資料になるのは間違いない。

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