Vol.947 19年2月9日 週刊あんばい一本勝負 No.939


痛みの後遺症は続く

2月2日 風が強くて夜になって寒さが一段と厳しくなった。道路はアイスバーン状態。怖くて散歩をやめる。散歩ではコンビニに寄りカフェラテ。セブンイレブンがうまい。ローソンは量が少なく味もイマイチで嫌い。コンビニが販売をやめたという成人誌コーナーをのぞく。売り上げ不振が「販売中止」の理由なのだが、それを逆手に高感度に転換させるあたりはさすが。成人誌の空いたスペースには驚くべき商品があった。「デイパック」だ。値段は1980円。本コーナーに文具扱いでリュックが売られている。気を付けてみなければこういう微細な売り場の変化ってわからない。

2月3日 国際教養大学の後ろにある中央公園をスノーハイク。飛行場のある場所でクマもいる森だ。午後からはSシェフによる「カモ鍋・料理教室」の予定。場所はシャチョー室なので一応「料理教室」というエキスキューズを入れているが、要するに飲み会。カモ鍋はネギを煙突のように立て、真ん中にカモ肉を置いて食べるスタイル。本当にカモとネギしか使わない。

2月4日 「噂の真相」の編集長だった岡留安則さんが亡くなった。71歳という年齢がなんだかリアル(生々しい)で、複雑な気分だ。ある出版パーティでお会いして、想像より背が低く小柄だったのが意外だったのを覚えている。その後、秋田の地元新聞社の内紛騒動があり、その顛末を書いてください、と原稿依頼を頂いた。確か10枚(400字)くらいの原稿だったが原稿料が3万円で、その安さにも驚いた。でも、あの「噂の真相」に原稿を書かせてもらったのは一生の思い出だ。そういえばもう一つのサブカルチャーの雄「話の特集」から原稿依頼があった時もうれしかった。勢い込んで原稿を書き、無事掲載されたのだが、編集者からすぐに電話があり、「この号で廃刊が決まり、よって原稿料は出ません」と言われた。まあ没にならなかっただけでも良しとしよう。岡留さんの死因は「肺がん」。タバコをずっとやめなかったのだろうか。

2月5日 江戸の廻船問屋の若旦那が東海道五十三次をフラフラ旅する時代小説にはまっている。書いたのは金子成人。倉本聰に師事し「鬼平」や「水戸黄門」「太陽にほえろ!」などを手掛けている脚本家で、その世界では有名な人なのだろうが、知らなかった。「若旦那道中双六」と副題にある本シリーズはいま4冊目の文庫(書下ろし)が出ている。書名がいい。「てやんでぇ!」「すっとこどっこい!」「べらぼうめ!」「なんてこったい!」と続く。主人公の若旦那はお調子者で愛嬌があって、強くもなければ思想信条もない。優柔不断で家業には目もくれず、遊興三昧でノーテンギ、というのだから、ほとんど落語の与太郎の世界だ。既刊の4冊とも読んでしまった。早く新刊が出ないか待ち遠しい。

2月6日 仕事中に近所の温泉に行ってきた。例の転倒事故以来、両手が少々不自由なので風呂は入れるものの頭や身体をちゃんと洗っていない。そのあたりの不快感が溜まっていた。日曜日の中央公園のスノーハイクの時、Sシェフは無慈悲にも「今回は温泉なし」と宣言。リーダーの言うことは絶対だ。入浴後の冷えで風邪をひかないよう、いつもより長く熱い湯に浸かり入念に身体を洗った。入浴後はこまごまとした用事を済ませ帰ってきた。

2月7日 天気予報を見ていると秋田はこれから先、お天気マークはひとつもない。今週も来週もその先もずっと「曇りor雪」マークのようだ。冬は青空が顔を出す日は数えるくらいしかない。この時期、仙台や東京などに出かけると「青空」だけでほとんど充足した気分になる。雨音や吹雪のうなり声を聴きながら鬱勃とした気持ちで本を読んでいると、このまま朽ち果てて、カビがはえていく自分を想像して、ますます落ち込んでしまう。

2月8日 アイスバーンで転倒して両腕に負傷(コンクリートに思いっきり受け身を取ってしまったため)してから2週間。まだ若干、両手に痛みは残っている。さらにここ1週間ずっと頭痛に悩まされた。もしかすると転倒の時、強く頭を打っている可能性もあり不安だったが、その頭痛もゆるやかにだが消えつつある。本当にもう何があるか一瞬先は闇。落とし穴はいたるところで口を開けている。しかしいつまでもオドオドと怖がっていては前に進めない。そろそろアグレッシブに動き始めなければ、と強く思っているのだが、身体は気持ちほどにはスムースに反応してくれない。
(あ)

No.939

みんな彗星を見ていた
(文春文庫)
星野博美

 去年読んだ若桑みどり「クワトロ・ラガッツイ」の影響がくすぶり続けている。本書もその流れの中で出会った本だ。「転がる香港に苔は生えない」で大宅賞を取ったノンフィクションライターによる異文化漂流物語である。著者と「キリシタンの時代」との出会いはリュートという楽器だ。その楽器を媒体に、時代ははるかに遡り、その楽器を日本で最初に奏でた天正遣欧使節の少年たちへと思いをはせる。そして自分の足で日本国内はおろか少年たちの足跡を追ってスペインまで旅立っていく。いやはやすごい行動力だ。
2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界遺産に登録された。日本におけるキリシタン殉教者は3700人から4000人とされているが詳しい資料は残っていない。最盛期には30万から40万の、西日本を中心にキリシタン人口がいたのだが、その大多数は棄教した。殉教者が多いのはキリスト教と武士道と親和性があったから、という説の根強くある。主君に忠誠を尽くす武士と、神に絶対服従するキリスト教徒は似ているという。どちらも生き延びるよりも名誉ある死を選んだ。労作である。

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