Vol.897 18年2月24日 週刊あんばい一本勝負 No.890


「上を向いてアルコール」

2月25日 もう2月も終わり。春のDM通信の編集時期にも入った。新刊3点の入稿も最終局面。自分の原稿も書かなければならない。こんなときは積極的に息抜きの「遊び」を取り込んで心身のバランスをとる。バタバタしているときほど外に飲みに出かけ、山に行き、人に会う。

2月26日 県北にある七座山は「魔の山」だ。夏道が消えていて冬はまともに頂上にたどりつけない。今回もダメだったが、夏道では見ることのできない「ハニーカム」と呼ばれるハチの巣状の巨大な凝灰岩を見ることができた。5人の山行メンバー中2人が偶然にも「養蜂」に興味以上のものを持っていて、登山よりもハチの話で盛り上がった。下山後ひとり200キロを移動し浅舞の酒蔵で飲み会に参加。そこで作家のSさんから紹介されたのが、なんと日本でも有名な養蜂家Fさん。あの銀座のビルでハチを飼っている人で日本在来種ミツバチの会長さん。朝から晩までミツバチだらけ。

2月27日 2月は本当に短い。もう月末だ。先週はあたふたバタバタの1週間だった。床屋に行き、歯医者にかかった。図書館で調べ物もしたし、東成瀬の雪の取材も。町内会の最引継ぎ作業もあったし、七座山にも登った。天の戸の新酒をいただいて、なぜか酒ではなくミツバチにやたらと詳しくなったし、編集上のトラブルも2つ。接客用のいい居酒屋も見つけたし、2本の新刊の入稿も終わった。

2月28日 夜の散歩の時間を削って「ジャージャー麺」の味噌づくり。ひき肉を炒め、そこにニンニク、ショウガ、ネギ、赤唐辛子のみじん切り。味噌は甜面醤にガラスープと紹興酒。これを合わせて炊き上げれば完成。ほぼ1時間、台所で集中して料理する。味噌は冷蔵庫にストック、1週間に2回はジャージャー麺を食べる。

3月1日 朝一番で酒田へ。天候が荒れる日に限って外に出る用事がある。デザイン事務所で午前中いっぱい打ち合わせ。昼はうちの著者とホテル・バイキング。今回は洋食中心で地場野菜が充実のメニュー。秋田にもこんなレストランがあれば繁盛するだろうに「タニタ食堂」だもんな。帰りは遊佐の道の駅で、焼き魚、ホタテ、げそ焼を買う。夜のおかずだ。今日の1日くたびれた。今は夜の8時。風呂にはいって寝よう。

3月2日 「大腿骨頭壊死」という病名は美空ひばりの死因として知っていた。昨日読んでいた本で「ようするに大腿骨頭壊死ってアル中の別名です」と書いてあった。そうか美空ひばりの死因はアル中だったのか。切れ味抜群のコラムニスト・小田嶋隆の『上を向いてアルコール』(ミシマ社)は自らの「元アル中」体験を語った実に面白い本だ。さすが小田嶋、普通の体験談でお茶は濁さない。美空ひばりもびっくりだが、この書名がすばらしい。近年の本の題名では私的に3本の指に入る書名だ。
(あ)

No.890

ミュージカルへのまわり道
(農文協)
石塚克彦

 「ふるさときゃらばん」(以下「ふるきゃら」と略)は1983年、石塚克彦が46歳のとき、「日本のオリジナルミュージカルを創る!」ことを目的に旗揚げされた。石塚が亡くなる2015年までの32年間で4870ステージ、のべ観客動員456万4千人を動員した人気劇団だ。ミュージカルとは無縁だった農村地域やサラリーマンたちから圧倒的な支持を受け、精力的な上演活動を続けた。本書はその石塚が劇団季刊誌『ふるさときゃらばん』に15年近く連載した文章を編んだものである。「ふるきゃら」のテーマは徹底的に農村やサラリーマンたちの「現在」だ。そのへんは秋田にある先行劇団である「わらび座」とは真逆の路線だ。わらび座のテーマは常に過去であり偉人であり、伝統芸能だ。ふるきゃらのファンだという演出家・高平哲郎は「石塚さんの舞台は涙になりそうになるとギリギリのところで状況を笑いにする」という。その指摘通り、舞台はいつも笑いと涙に包まれていた。一本の芝居を書くため事前に千人以上に取材する、という石塚の「現在」を切り取るためのリアリティーは、本書でも生き生きと脈打っている。

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