Vol.897 18年2月24日 週刊あんばい一本勝負 No.889


雪。雪。雪。

2月17日 朝から今度出すCDブックの見本探しで珍しく本屋めぐり。ジュンク堂でほぼ理想通りの見本を発見して同じ本を3冊購入。これを印刷所やデザイナー、そして自分用に使って作業を進める。夜はモモヒキーズのフルメンバー10人がシャチョー室宴会。梓会受賞を祝ってくれた。こちらの要望で「祝う会」ではなくモモヒキーズに逆に「感謝する会」という形にしてもらい、新入社員とともにホスト役。

2月18日 一晩中、風が咆哮していたが、起きたら青空が広がる穏やかな朝だ。今のところは絶好の山日和。今日は近場の岩谷山で午前中いっぱい雪山を楽しんで来る。かんじきに長くつ、リュックもいつもより小さいタウン用、それで大丈夫だろう。とはいっても山中では何があるかわからない。やはり厚手の防寒具は必要かな。厚手の防寒具は少し歩くと汗ばむほど高性能で、これがアダとなって実に使いにくい。汗をかくと身体は急速に冷える。体温調整が難しいアウターだ。まだ上を何にするか迷っている。

2月19日 昨日の岩谷山スノーハイクは面白かった。ハイキングというには急坂の連続で、かんじき(アルミ製)を履いての雪山歩き。風が強く気温も低かったが山頂で飲んだ熱いお湯がきいたのか身震いする寒さは襲ってこなかった。熱いお湯があれば吹雪の山頂でも大丈夫。まあ山頂といっても350メートルほどだが、それにしても一杯の熱いお湯の効果たるや驚くほど。日ごろから白湯を飲む習慣をつけつつあるのだが、山でもその有用性は証明された。

2月20日 散歩の途中、毛糸の帽子を拾った。三日前もスポーツクラブの前でピンク色のマフラーを拾った。明らかに女性ものだが首に巻いてみるとけっこう似合う(ような気がした)ので、家に持ち帰った。2月に入ってから路上でものを拾ったのは3度目。山歩きでもしょっちゅう拾いものをする。ストックや手袋、マフラーなど路上とほとんど同じだ。拾いものは、けして自分では買わないデザインや色合いのものが多い。それが逆に新鮮で、洗濯してそのまま愛用というケースも少なくない(これってドロボーかな)。

2月21日 被害妄想なのかもしれない。コンビニや図書館、アウトドアショップや書店などで接客する店員の人が、自分の時に限って「新人」や「研修生」「初心者マーク」の名札につけた人が多い(ような気がする)。こうした新人はファーストコンタクトで「あっ、こりゃダメだ」とわかる。目が泳いでいるし、受け答えが弱弱しい。弱みを見せまいと態度が妙に強気で、わからないことを先輩らに訊こうとしない。狭量なこちらはいつもイライラ、早く別の人に変わってもらいとこれ見よがしな態度をとってしまう。もう少し寛容な大人の態度をとりたいが、これができない。

2月22日 書名や映画のタイトルなどには時代性というか、はやりすたりのようなものがある。去年公開された邦画のベストテンには「映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ」をはじめとして「彼女の人生は間違いじゃない」「彼女がその名を知らない鳥たち」「彼らが本気で編むとき」といった題名の映画が並んでいる。そういえば大ヒット映画「君の名は。」というのも考えればかなり新鮮なネーミングだ。「。」ひとつで古めかしい言葉を新鮮で若々しい未来志向の言葉にひっくり返している。

2月23日 東成瀬村に雪の取材に行ってきた。高速の大曲インターを過ぎたあたりから雪量は増え始めた。十文字インターを降り342号に入ると雪かさは一挙に増した。ひょろ長い村の真ん中を過ぎるあたりからは道路脇の積雪は3メートルをこえ景色はまったく見えない。まさに雪のトンネルだ。好天だったせいか雪下ろしをする人も多く、なかでも消防や電力会社が使う高所用のクレーン車で除雪する人がいたのにはびっくり。無雪期の見慣れた村は姿を消し、ひたすら雪の壁だけを何時間も見続けたせいか方向感覚がなくなった。見慣れた場所も見逃してしまうほど風景も一変。ちなみに「豪雪対策本部」が設置される目安は、積雪2メートルだそうだ。
(あ)

No.889

蒼き山嶺
(光文社)
馳星周

 このひと月間(2018年1月)に三回東京を往復した。いくらなんでも多すぎる。新幹線の4時間が退屈だが面白い本と出合えれば逆に極楽の時間帯になる。今回は選びにらんだつもりの選書だったが、その大半は疲労や体調からビミョーにズレが生じ読了まで至らないものも多い。かろうじて読了できたのは本書のみだった。日本の北アルプスを舞台に北朝鮮がらみの警察バイオレンスと山岳冒険小説がまじりあうという、なんだかちょっと苦手な物語なのだが「山」のほうに力点のある山岳小説との触れ込みを信じて読みだしたのだが、もうすっかり引き込まれて電車の中にいることを忘れさせてくれた。真冬の山嶺を舞台に、その登攀技術を競いながら拳銃を打ち合う小説が成り立つとは想像もしなかった。しかし登山に対する造詣の深さと小説技術の高さが、サスペンスにとどまらず、不自然さを感じさせないレベルの高い山岳小説として成り立たせている。読者としては「あの新宿バイオレンス小説の作家」という先入観があり、ストイックで飢餓や凍傷、滑落や孤独といった山岳小説のイメージと作家の個性が重ならなかった。想像力だけで書ける範囲を超えているから、著者もかなりの山の練達なのだろう。

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