Vol.854 17年4月22日 週刊あんばい一本勝負 No.846


春の陽気に誘われて

4月15日 県立博物館で打ち合わせ。かなり遠いので、もう道順も忘れてしまった。40分ほど時間の余裕を見て家を出発、カーナビの通り金横線を土崎方面に走ったら、あれれ、すぐに博物館着。家から直線1本道路で所要時間は20分弱。驚いたのは学生時代の先輩のM学芸員が嘱託でまだ働いていたこと。もう70歳をこえているはずだが、お元気そのもの。若い学芸員に言わせるとM先輩は「博物館に欠かせない主」だそうだ。時間があったので館内を散策。昔と基本展示は変わっていないが、やっぱり展示物のレヴェルは高度でよく整理されている。

4月16日 今日は八塩山矢島口からの山行予定だったが国際禅堂の入り口からすでに雪。登山口まで車が入れない。スノーシューに履き替え登山口まで2・3キロを歩く。登山口まで1時間、そこから登山道に入ったが雪で登山道はすっかり消えていたので引き返してきた。帰りに大内町の権現山に寄り、カタクリとイチロンソウの群落を見てきた。曇りのち雨の予想だったがずっと好天。暑いほど。

4月17日 ルーチンになっているのが古本屋巡り。奇書珍書を探しているわけではなく自舎刊行物を買いあさっているのだから心境は複雑。自舎の「消えた本」(品切れ絶版)を買い集めるためだが、これはいけるな、と思う本はほとんどが定価以上の値がついている。古本屋さんもよく勉強している。

4月18日 朝からカミさんのアッシー。朗読会の本番が近いのでテキも何かと慌ただしいのだ。こうしたケースでは素直にテキのいうことをきき、無用のトラブルを避けたい。昼はSシェフの誘いでラーメン。なんだか訳のあるラーメン屋だそうだが味はいたって普通。午後からはデザイナーAさんと打ち合わせ。印刷所の担当者も別件で来舎。カミさん不在なので夕食は一人。

4月19日 テレビドラマのタイトル『サヨナラ、きりたんぽ』は地元のイメージを損ねるとして秋田県がテレビ朝日に抗議、タイトルが変更になった。秋田県民は留飲を下げ、テレビ局は視聴者やスポンサーにおもねり、両者の思惑が一致し一件落着。でも個人的にモヤモヤ感と後味の悪さが残った。なぜ日ごろ「表現の自由」を標榜するマス・メディアがこうも簡単に番組名変更に応じたのか。ジャーナリズムとしての権利の放棄ではないのか。一方の秋田県は、憲法で保障されている「表現の自由」への介入を躊躇する気持ちはなかったのか。ないとすれば地方自治の傲慢ではないのか。とおもっていたら昨日の地元紙に、ある大学教員が私と同じような意見を投稿していた。この問題は「県民総意」などという視点で納得して落着することではない。だからちゃんと異論を述べる人がいたことは喜んでいい。こうした反対意見が出てこないのが、今の秋田県の一番の問題点だからだ。

4月20日 現役で仕事を続けるということは、トラブルや資金繰りや人間関係のあれこれに思い悩む日々を送ること。忙しくなればトラブルも多くなるし、お金が動けば喜怒哀楽も大きくなる。何もしなければ穏やかな日々を送れるのに、と後悔する今日この頃だ。ある友人から手紙。落ち込んでいた日常にさわやかな風が吹き抜け少し元気になった。その年下の友人は出版企画などに関して全幅の信頼を置いていて人物だ。仕事上で困ったことがあると彼に相談する。その彼が去年病魔に襲われ左半身まひ。リハビリもできる施設に入所中だ。私の近況報告や甘ったれた悩みの手紙に対して、彼は不自由な身体で奥様に代筆させ丁寧な長文の返事をくれた。その文章を読んでいるうち涙が出た。手紙の最後に「ここが私の終の棲家になるかもしれません」と書いていた。

4月21日 毎年春のこの時期になると仙台の私立大学に出稼ぎに行く。もう5年になるが、最近は日帰り強行軍で夜中に秋田に帰ってくるとグッタリ。それでも大都会(仙台)で数時間ショッピングや本屋、居酒屋を散策すれば気分はリフレッシュ。とくに仙台のエキナカはこの2年で大リニューアル、以前のまったく魅力のないエキナカから180度変わった。もう外に出なくてもエキナカ「飲食」で十分なほどラインナップは充実。昨日はそのエキナカで立ち食い寿司とバーもあるカジュアルなスペイン料理。エキナカで食事をするためにだけ秋田から新幹線で往復する、なんていう人も出てくるのかもしれない。
(あ)

No.846

赦す人
(新潮社)
大崎善生

 団鬼六の名前は知っていた。「家畜人ヤプー」の作者として話題になった時、記憶にしっかりと刻まれた。SM小説という特異なジャンルの作家なので読書対象とはならず今日まで来てしまった。だから一冊も読んだことがない。それは著者の大崎氏の著作にも言えることだ。将棋の世界を描いた作品で名を成した人だが、彼の作品も一冊も読んだことがない。将棋のノンフィクション作家が、なぜ猟奇的なSM作家の生涯を追いかけたのか、その不思議さが本書を手に取った理由だ。「鬼六」は「おにろく」と読む。「きろく」だとばかり思っていたが、昭和6年生まれの鬼、という意味のペンネームだそうだ。夜逃げ、倒産、妻の不貞と栄華と浪費の限りを尽くした無頼作家は、実は大の将棋狂いで、無類のやさしさで多くの人に親しまれた好々爺。晩年は売れない将棋雑誌まで買い取り大借財を作っている。その当時、売れる将棋雑誌の編集長だった著者とは「将棋雑誌つながり」だったわけだ。書名の通り、団は「無限のやさしさで、すべてを受け入れた男」だった。「鬼」とはまるで正反対のキャラクターだったのである。

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