Vol.826 16年10月8日 週刊あんばい一本勝負 No.818


フランス・新米・歯が痛い

9月22〜23日 今日からフランス旅行だ。主にブルゴーニュ―地方のブドウ畑を見て回る旅。ドゴール空港からいきなり新幹線に乗り、ディジョン、ボーヌ、ランスと回り最後の3日間はパリに戻ってくる8日間。今回は大奮発してビジネスなので飛行機内の食事が楽しみだったが、どうということはなかった。それよりも映画のランナップがうれしかった。見逃していた「スポットライト」と「マイ・インターン」の2本を見た。満足。垂直に体が伸ばせるシートで体調はすこぶるいい。もうこの年になるとエコノミーで12時間近く飛行機に乗るのは危険水域になった。まあこんな贅沢も今の自分には必要だ。体調万全でシャルル・ドゴール空港に定時に到着。さあ旅の始まりだ。

9月23〜24日 5時間ほどの時差。昨日の夜にディジョンに入った。パリやニューヨークは秋田と全く同じ緯度。秋田の季節感と同じなので服装に苦労することはない。普段通りの今の時期の格好で問題はない。パリに着いたときは少し暑いと感じたが今朝は快晴で気温13度。やはり秋田と同じだ。午前中はディジョン市内を散歩。午後からはコートドールのワイナリーをめぐりながらボーヌへ移動。ロマネ・コンティの畑は15年前にも行ったが、ブドウ摘みは今が最盛期。緊張感がピリピリ伝わってくる。ロマネ畑の落ちているブドウを拾って食べたのは昔の話。今は石垣の側に近づくのさえはばかられる。1・8ヘクタールの小さな畑からとれるワインは約6千本のみ。1本安く見積もって100万円としても6億円。醸造所も見てきたが、まあ現実に飲むことは生涯ないだろう。その後、ボーヌ市内見学。今日は前も泊まったジリ城のホテルだ。懐かしいが、実は前のことをほとんど覚えていない。情けない。

9月24〜25日 ディジョン2日目。ボーヌに移動しワインカーヴ「ジョセフ・ドルーアン」見学。続けてシャサーニュ・モンラッシュ村のワインセラーを訪問する。夜はシュバリエ叙任式のパーティに出席。旅仲間の2名が過去にこのシュバリエの叙任を受けている関係で招待されたもの。要するにブルゴーニュのワイン宣伝大使任命式だ。国中の文化人や有名人も列席するこの地域の最大のお祭りで、ドレスコードがあり男性はタキシード着用が義務づけられている。タキシードはもちろん初めてだ。叙任式は飲めや唄えや延々深夜まで続いた。ぎゅうぎゅう詰めの席でフルコースの料理を食べ、ガンガンとワインやマールを飲み続ける。その合間に全員で歌を歌うのだから尋常ではない。終わったらぐったりと疲れてしまった。もうタキシードを着ることはないだろう。

9月25〜26日 ディジョンからボーヌ、そしてシャンパニュー地方のランスへ移動。「ビルカール・サイモン」の蔵を見学し、午後からは市の中心から10分ほど歩いた郊外にある藤田嗣治の眠る教会「チャペル・フジタ」へ。映像や文章では何度も見聞きしている場所だが、さすがに現物を目の前にすると震えた。「ムンム」というシャンパンの会社の敷地内に建っている小さな小さなフジタそのものの化身のような教会だ。フジタも奥さんもこの地に眠っている。ランスからパリにバスで移動し夕食は今回のツアーのハイライト、ベトナム料理「タンジン」へ。15年前も来ているのだがまるで何も変わっていない。ここで伝説のワイン・ペトリュスを飲む。この旅のクライマックスだ。もちろん1本のワインを10人近くで割り勘だ。

9月27日 パリへ。マリオットホテル投宿。朝飯は抜き、ひとり散歩へ。オペラ座のすぐ横のホテルなのだが方向音痴なので自分のいる場所がうまく把握できない。地図も読めないし、太陽の出ている方向でかろうじて東西が判断できる程度。散歩好きを自認しながらこの体たらく。恥ずかしい。ひとりでオルセー美術館に行くつもりだったが、オペラ座周辺で早くも迷子に。そこからマドレーヌ寺院にたどり着くのが限界だった。コンコルド広場の塔が見えるのに、ついにそこを越えてセーヌを渡り切ることができなかった。情けない。昼はエッフェル塔の中にあるレストラン「ジュール・ヴェルヌ」で食事。ミシュラン一つ星、デュカスのお弟子さんの店で、さすがに料理はおいしかった。昼食後、セーヌ河クルーズ。夕食は市内のビストロ風レストラン。毎日旨いものを食っている。申し訳ない。

9月28〜29日 パリ・マリオットホテル2泊目。ホテルの朝飯はパス。珈琲だけテイクアウトして快晴の街を散歩。途中でスタバに入るがカフェラテMが500円(4・4ユーロ)。税金が加算されているせいか高い。11時、数人でバカラ美術館へ。ここでカミさんへのお土産。買い物はここだけ。まるで金を使わない迷惑な観光客なのである。昼はオペラ座横の中華料理店。うまくもまずくもない。ブラブラ歩きながらブリストルホテルのロビーでお茶。午後4時、飛行場へタクシーで移動。あとは空港ラウンジでひたすらウイスキーの水割り。夜10時機内へ。映画は「マネーモンスター」と「釣りバカ6」を見て熟睡。いつの間にか成田に着いていた。

9月30日 成田で荷物を秋田に送り、手ぶらで神保町のホテルへ。水道橋の焼き鳥屋で夕食をとり、すぐにホテルに帰り爆睡。目が覚めたら11時だった。なんていうことだ。昨夜は9時過ぎに猛烈に眠くなりベッドに倒れ込み夜中に目を覚ましたらまだ1時半。すぐまた深い眠りに落ちて10時間以上熟睡した勘定だ。時差ボケと疲労によるものだろう。大慌てでフロントに1時間時間延長を頼む。シャワーを浴びて急いで東京駅へ。週末のせいか電車は混んでいて指定席は3時の便しか取れなかった。駅構内で朝昼兼用の食事をとり、夕食用におにぎりを買い、新幹線に乗り込むが、なぜか電車内でも爆睡。どうなっているのか。気になっていた事務所の工事足場はまだかかったまま。外壁の8割方の張り替えは終わっているようだ。いつのまにか秋田は正真正銘の秋、不在の長さを思い知る。

10月1日 昨夜は10時ころに就眠。またもや熟睡したが、明け方寒くて目が覚めた。明け方といっても3時半だ。まだ時差ボケが残っているのだ。そのまま眠られなくなり枕元にあったハイエルダール著『コンキチ号の冒険』(偕成社版)を読む。子供用の本なので寝ぼけ頭にはちょうどいい。そのまま眠らず朝食前に散歩へ。朝の冷気がすこぶる気持ちいい。昨日の東京には半袖サラリーマンが沢山いた。「東京にはもう秋が無いんです」というタクシーの運転手の言葉が残っている。朝ごはんは鮭にサラダにジャガイモの味噌汁。Sシェフからいただいたコシヒカリがうまい。お代わりしたい気持ちを必死に抑えて、さあ今日1日仕事だ。

10月2日 どうにも調子が出ない。まだ夜中に目覚めてしまうのだ。夜中に押入れのものを出し衣替えをしそうになり、いくら何でも常識なのでやめた。カミさんの朗読の会が昨日あってゲストはピアニストの谷川賢作さん。小生昔からのファンでほとんどのCDを持っている。でも体調が悪くとてもそんな行く気分にはなれなかった。無念。時差ボケを引っ張るには理由がある。一つは年齢。体力不足。そしてビジネスで楽をしたつけ。エコノミーで窮屈な姿勢で眠くても寝られない環境は逆に時差ボケ防止の効果がある。その辺が原因かなあ。うまく週末に当たってくれたので実害は出てないが、明日からは普通通りにバリバリ仕事復帰したいものだ。

10月3日 遊び気分は昨日で終わり。今日から完全仕事モードに突入。やることは山ほどあるが冷静に優先順位をつけて一つひとつこなしていこう。でも……その前にやることがある。ダイエットだ。今日の体重計はフランスに行く前より3キロ増。目を覆いたくなる数字だが、現実は直視しなければならない。それにしても3キロとは。フランスを憎みたくなる。しかし今週中に元に戻す、と心に固く誓う。飲み会の申し出は固くご辞退申し上げます。ところで、話は180度変わるが世界の8千m峰14座無酸素単独登頂の竹内洋岳さんが、未踏峰マランフランに再挑戦のためカトマンズ入りした。登山の途中経過は彼のフェイスブックでリアルタイムで中継される。登頂してくれるといいなあ。

10月4日 上野・京成電車入り口で白髪で長身の知的な感じのホームレス女性がいた。ふだん目にすることのないものを見て激しく動揺してしまった。パリの街角でも何人もの家族ホームレスをみた。ホテルや高級品店の並ぶ一等地にマットレスを敷いて家族で物乞いする人たちだ。けっこう堂々と(卑屈さをみせず)物乞いしているのは、たぶん難民という特殊事情のせいなのかもしれない。観察して気が付いたのだが、なぜか黒人はほとんどいない。すべて白人で、たぶん東欧や北アフリカなどからの難民と思われる人たちだ。なぜアフリカ系の黒人がいないのか。詳しい人に訊くと、ここにも人種差別があり黒人は「排除」され、パリ郊外など遠くに追いやられるのだそうだ。ホームレスにも人種差別があるというのも驚きだ。レオス・カラックス監督の名作『ボンヌフの恋人』は、セーヌ川のボンヌフ橋に住む青年と失明の危機にかられた女画学生の2人のホームレスのラブ・ストーリーだ。昔、この映画を観てホームレスの恋という設定に驚いたことがある。この映画が強烈に印象に残っているせいもあり、パリのホームレスに関心を持ったのかもしれない。日本のように痩せているホームレスを見かけないのも、何か事情があるのだろうか。

10月5日 もう少し落ち着こう、と自分に言い聞かせているのだが気持ちは前のめりで焦ってばかり。やることが輻輳するとすぐにパニクってしまう。いい年をして恥ずかしい。冷静な判断ができなくなると、たちどころにミスが露見する。小さなミスだが取り返しのつかないものを2つもやってしまった。集中力が落ちている。やる気もいまひとつ。なんとかならないのかジブン。旅の後遺症のせいにしてしまえば済むのだが、それにしては時間がたちすぎだ。全体的にボーっとして感情がフニャケている。シャキッとしたいのだが、うまく気分転換ができない。こんな時は仕事を休んでしまうのが一番なのだが、休んでも仕事が気になってイライラ、ウジウジするのがわかっている。たちが悪い。

10月6日 新米の季節だ。朝ごはんが待ち遠しい。一日の食事の中では朝ご飯が一番好きだ。昼はリンゴ・カンテンだし、夜は晩酌するからご飯は抜きだ。この時期毎年、「天の戸」の杜氏でもある森谷康市さんが作ったあきたこまちをいただいている。うまい。あまい。気品がある。香気すら感じてしまうほど、コメ以外副食を必要としない。朝は至福の時だ。そういえば晩酌も昨夜から「燗酒」にした。これもたまたまだが「天の戸」の「燗」用に作られたお酒。コクがあり、コメの味が際立ち、そのくせのどをするりとすべりおちる。そういえばチェーン居酒屋で「ひや」を注文したら「冷酒」が出てきたことがあった。「ひや」とは正しく「常温の酒」のことだ。もうこの日本語はどこでも通じないのかもしれない。「ひや」と「冷酒」は似て非なるもの。常温の酒や燗酒は酒飲みの文化なのだが、若い人には「時代遅れ」と笑われてしまう。

10月7日 一昨日あたりからモノも噛めないような猛烈な歯痛に悩まされている。下の奥歯のさし歯あたりだ。その近辺にモノが当たると飛び上がるほど痛い。このままではご飯が食べられないし仕事にならない。かかりつけの歯科医院に緊急で予約を入れ診てもらった。さし歯の金具が広がり隣の歯や歯茎を圧迫、炎症を起こしていた。約1時間半、治療してもらったら痛みは消えた。助かった。ありがたい。医療の進歩に深く感謝。あの痛い歯のまま時間をうっちゃるのは不可能だ。昔は痛み止めを飲みながら、治療を終えるまで数日間我慢しなければならなかった。どんなことをしてもその日のうちに痛みは止める、というのが今の歯科医療の基本だ。この時代に生まれてよかったなあ、とつくづく思う。もう一つ、幸運だったのは歯痛がフランス旅行中でなかったこと。旅行中に今歯痛なら旅は台無しになっていたところだ。まだ運はついている、と思うことにしよう。
(あ)

No.818

脳梗塞日誌
(大和書房)
日垣隆

 億という年収があり、専門のトレーナーをつけるほど体調管理に気を遣い、シェープアップした身体に高価なスーツをまとい、何人ものスタッフを使って仕事をしている50代の作家の本だ。主にネットで活躍しているのでマス・メディアなどへの露出は少ない。それにしても最近名前を聞かないなあ、と思って検索したら、なんと入院闘病中だった。その闘病日記が本書だ。過激で挑発的な言動が売りの元気印そのもののような作家だ。そんな人が、ある日一瞬で廃人のようになる。その恐怖が痛いほど伝わってくる。今日一日、健康であることを感謝するしかない現在を私たちは生きている。とはいっても本書の闘病記も一筋縄ではいかない。著者のアクの強い個性(癖)全開の闘病記になっているからだ。グアムのゴルフ場で倒れ全身がマヒ。口もきけない重篤な脳梗塞の絶望の中で、「文字を失わないため」に、病を得た次の日から猛烈に書くためのリハビリを始める。壮絶としか言いようのない「活字」への執念。身体の自由は失っても言葉は失いたくない。それが自分の唯一の武器であり生命線である。脳梗塞は発症後約半年で固定化する。この半年が勝負なのだ。過酷なリハビリをしながら同時進行で起きていることを取材し記録する。本を書くことが最も効果的なリハビリなのだ。

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