Vol.824 16年9月17日 週刊あんばい一本勝負 No.816


毎日、工事の槌音が響いています

9月10日 仙台のホテルでも調子よく熟睡できた。最近ホテルでよく眠られる。目を覚ますと外がにぎやか。今日から恒例のジャズフェスが始まるようだ。お祭りや人混みは苦手、早目の新幹線で帰ってきた。今回の出張ではホテルも電車もずっと角幡唯介の新刊『漂流』(新潮社)を読んでいた。430ページの大著だが、読み応え十分。文字が小さく21行詰め。これ以上大部の本にしたくなかったので活字を詰め込んだようだ。沖縄の遭難した漁師の足跡を追っかけたルポだが、その取材執念たるや「ノンフィクション作家いまだ健在なり」と驚嘆。久々に本格的ノンフィクション作品を読ませてもらって満腹感。これだけの長期取材をし何度も沖縄や海外を訪ねていると心配なこともある。1900円の本が何冊売れれば元が取れるだろう。たぶん3万部以上売れなければ取材費は回収できないはず。この本なら売れそうな気もするが、活字が詰まったノンフィクションが今そんなに売れるとは考えられない。この本が売れるようなら活字の世界もまだそう捨てたものではない。売れてほしい本だ。

9月11日 今日の新聞のラテ欄を見ていたら「やっちまったTV」で「あの37日間漂流男は今」という放映がある。番組の内容はわかる。昨日読み終わった角幡唯介『漂流』の中に描かれていることを、さも自分たちが調べたかのように垂れ流すだけ。本は出たばかりでまだ読んでいない人も多いはず。テレビの世界は目敏く、小賢しく、あざとい。ノンフィクション作家が膨大な取材費をかけ何年もの時間を費やした「調査報道」を、あたかも自分たちが調べてきたような顔をして放映する。最後に典拠となった作品名を出してつじつま合わせはするが取材者に敬意を払っているとはとても思えない。TV番組はほとんどが下請けの制作会社が作っているから、彼らだけを責めるのはかわいそうな側面もある。でも血のにじむような著作者の「パクリ」で何の痛痒も感じていない人種が多いのは事実だ。

9月12日 DM発送が終わり、読者から注文が入り始めた。今月の新刊はなし。が増刷が3点。ひと月に3点というのはレアケース。「秋田物部文書伝承」と「私の好きな、秋田。」それに「秋田武鑑」。増刷は喜ばしいことばかりではない。アナログの製版技術(紙焼きやフィルム)でつくった版がほとんどなので、それに対応する印刷機がもう全国どこを探してもない。紙焼きやフィルムでつくった版を一度デジタルに作り直しデジタル用印刷機で刷りなおす、という面倒な作業が必要になる。当然費用は掛かり増し。過去に作った本のうち将来増刷がかかりそうなものはデジタルに版を作り直さないと増刷は難しくなる。紙焼きやフィルムの劣化も問題だし、なによりも増刷しても掛かり増し費用で採算がとれない恐れも。

9月13日 言動が派手なことでしられる作家の「脳梗塞」の本を読んでいろいろ考えた。というか読後感がよくなく、なんだか消化不良のまま。そこで2冊目の脳梗塞本『脳が壊れた』(新潮新書・鈴木大介)を読んだ。41歳のこれもノンフィクションライターで、症状は前者よりも軽い。軽いのだが内容はずっと重くかつユーモラスで作品としての完成度も高い。闘病記やガン患者の本に共通しているのは「奇跡」というキーワードだ。客観的でシニカルな視点を持つ作家にして、自分の病気や手術になると「奇跡」と自画自賛する。医者の常套句や社交辞令を疑いもなく受け入れてしまうためだ。医療現場でそんな奇跡ばかり起きるのは不自然。鈴木の本には「奇跡」と言う言葉は使われていない。わき役として登場する奥さんが実にいい味を出している。

9月14日 日帰りで仙台。行き帰りの電車でS・キャラハン著『大西洋漂流76日間』(早川書房)を読んでいったので、退屈しなかった。先日読んだ角幡唯介『漂流』が面白かったので、その影響で読み始めたもの。角幡のものは37日間の集団漂流だったが、こちらは救命ゴムボートでたったひとり。モリでシイラを獲り、太陽熱蒸留器で水をつくり、鉛筆でつくった六分儀で緯度を推定、76日間、陸地に近づいていることを信じ続けた30代のヨットマンの実話だ。こういう物語になら奇跡という言葉はふさわしい。海の遭難は3日が限度。遭難者の90パーセントが3日以内に死んでしまうのが常識だそうだ。

9月15日 本格的に事務所の全面外壁改修工事に突入。家のペンキ塗装はほぼ先週で終了し、その足場をそっくり事務所に移動、月曜日に組み終わった。台風情報や雨で遅れに遅れていたトンカチがようやく始まった。今日も朝からドリルや金づちの音が景気良く響き、親方S君の声も弾んでいる。こんな状態が今月いっぱい続くことになる。山仲間で1級建築士のAさんがボランティアで事務所の建築図面を書きなおしてくれた(昔の図面は紛失)。これで耐震基準に満たない筋かいも入れられるようになった。車庫はすでに作業物置場と化している。車の置き場所がないのが一番の問題だ。とりあえず昼夜玄関前に駐車しているのだが、業者さんたちは玄関に入るのに一苦労。ご迷惑をおかけします。

9月16日 外壁工事で、半分近くがアリに食い散らかされスカスカになった柱が見つかった。空洞ができて空気の流れがよくなり乾燥したので、逆にアリはいなくなっていた。ちょっと肝を冷やした。それにしても柱の半分が食われているというのはショック。この柱を全部替えることになり作業は進行中。前途多難である。ときどき山仲間の建築士Aさんが見回りに来て、現場の人たちと専門的な話し合いや確認をしてくれる。安心してこちらは任せっきりなのだが、昨日は突然言い争うような大声のやり取りが長時間続いた。すわトラブルか、と心配になったらAさんと現場監督S君のアリ食い柱をめぐっての議論だった。耐震基準が厳しくなり以前の建物なので、外液をはがして筋かいを確認し、それを補強しながらの作業だ。「もう20年は持つね」と言われたが、それまで「紙の出版」は続いているのだろうか。
(あ)

No.816

味噌の民俗
(大河書房)
岩城こよみ

 食の外部化が加速度的に進み、自家醸造製みそは「珍品」になろうとしている。本書はその自家製醸造みそにかかわった人々の聞き書きだ。著者は81年生まれの若き民族研究者。学生時代から10年以上にわたり取材を重ね、25府県を踏査、121人から直接体験や伝承を聞き取った。日本人の心身を養い、家族の紐帯の要となってきた自家製醸造みそ作りが眼前で崩壊していくのを座視できなかった、と著者は言う。みそには調味料・副食だけでなく多様な即応力がある。その底流するもの、命脈を保ち続けるもののなかから次世代に生かすべきものを丹念に掬い上げた。みそ工業が活発化するのは明治後期、日露戦争のころからといわれる。都市への人口集中、戦争景気、大規模工場の成立から関東大震災などが契機になり、自家製醸造みそにかわり買いみそ(流通みそ)が都市部を中心に主流になっていく。聞き取り調査は地域的にも広範囲にわたり、話者の平均生年は昭和2年、最高齢は明治40年生まれだ。私も田舎生まれなので、周りに自家製みそはあふれていたが、農家ではなかったので食べる機会はほとんどなかった。意外だったのは農家の牛馬にとっても自家製みそは重要な意味を持っていたこと。馬を売り渡すとき、お別れに鍋蓋にみそを塗ってなめさせる。牛のお産には1日2回味噌湯を飲ませ産後の肥立ちをたすける。牛馬を放牧するときは味噌をなめさせるのが慣習なのだそうだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.820 8月20日号  ●vol.821 8月27日号  ●vol.822 9月3日号  ●vol.823 9月10日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ