Vol.692 14年2月22日 週刊あんばい一本勝負 No.685


お昼も取らないほど忙しいと日々が続いても……

2月15日 土曜日はストレッチ、というのを定番化しようとしていたのだが、今日はどうにも無理。昨日、ようやく戦力になりつつある学生たちと2階の保管庫の整理をし終わったら、ドカンと山形から返品。段ボール13個、前のものも足すと30個以上の返品だ。一挙に気持ちがなえた。その処理を今日中にやらなければならない。出版界では常識になっている書店への本の「委託」制度は問題が多い。できるだけうちの本は「買い切り」という方向にもっていきたい。そう決めてこれまでの取引先から本を回収しはじめた。東北すべての書店が取引先だから、その返品の数も過払い金も半端ではない。この1年はその事後処理に苦しむことになりそうだ。でもいずれは通る道、元気なうち決着をつけてしまいたい。

2月16日 日曜ハイクは市内の「大滝山」。ここの用水地を一周し、かつ山頂にも立とうというもの。秋田市内にこれだけの自然が残っているのは驚きだが、夏はヒルにやぶ蚊、クモにヘビ、さらにクマの巣窟という五重苦を奏でる自然で逆にめったなことには近づけない。それが冬になると危険物はすべて土の中。真っ白なスノーハイクの楽園に変身する。けっこうきつい斜面もあるし、登り降りに三時間、もう立派な冬山登山だ。先週の高尾山といい夏は近づきたくないのに冬に魅力が倍増する「近場の冬山」が市内にはたくさんある。嫌いな冬が、ちょっぴりだが好きになること請け合いだ。

2月17日 月曜日はいつも号砲を待つパドックの競走馬のような状態なのだが、このところ少しユウウツな月曜日が続いている。やらなければならないことが多すぎる。くわえて超えても超えても新しい壁が立ち塞がる閉塞感で息が詰まりそうになる。ようやく一つの難問のカタがついたと思ったら、すぐに新しい難問があらわれる。頭にくるが、これが仕事をするということなのか。難問をクリアーすることで、いくばくかの収入を得ているわけだ。山仲間の多くの人はもうリタイアした人たちだが、その人たちの前で「問題が多くて」と嘆くと、「それが、お金をもらうっていうことでしょう」とキツクたしなめられた。現役でい続ける限り、この苦痛や壁と向き合い続けなければならない。

2月18日 今日は点字図書館でお話しすることになっている。点字ボランティアの人たちに出版の話をするつもりだが、正直なところこちらから彼女らに尋ねてみたいことが山ほどある。一方的に話すのではなく双方向で「議論」ができればいいけどなあ。ところでオリンピック。テレビの「さあ感動してください」という見苦しいほどあざといさにはうんざり。できるだけテレビは見ないようにしている。新聞で十分だ。今回の五輪で一番感動したエピソードは、女子バイアスロンに出場した秋田の鈴木芙由子選手。彼女の祖父はマタギだった。マタギの孫娘は祖父の強い影響を受け野山を駆け回る鉄砲打ちになった。これだけでもすごい話なのに、なんとオリンピックにまで出てしまった。バイアスロンとマタギ、絶妙な取り合わせだ。この話って全国区トピックスだと思うのだが、今のところ秋田限定ローカルニュース。

2月19日 ほとんど事務所を不在にしている。今日も大曲で著者との打ち合わせ。留守電だけでは不用心なので学生アルバイトに来てもらうことに。なんだか「いっぱいいっぱい」状態だが、学生バイトのM君はもう十分に戦力になるほど仕事の要諦を理解しはじめている。心強い。でも彼らも3年生になると就活。そうなるとバイトどころではなくなってしまう。本屋のオヤジが真剣に新入生のバイト・リクルートを考えるのもヘンな話だが、けっこう喫緊の課題。忙しい時ほど、丁寧にひとつひとつの仕事に優先順位をつけ、つぶしていくしか道はないんだけどね。。今日は雨水。春は少しずつ近づいている。

2月20日 週刊誌や雑誌の類はほとんど読まない。昔からそうだった。特別な理由があるわけではない。「本という器」とそれに盛られた中味に対する「信頼と妄信」が強いせいだ、たぶん。週刊誌などの新聞広告を観て、これは読みたい、と思う記事もあるのだが、けっきょくはそのまま時が過ぎ、忘却の彼方。ところがキンドルを手に入れてから様子がちょっと変わった。過去に気になった週刊誌の記事を50円とか100円で買って読むようになったのだ。ペットボトル飲料を買うより安いが、ちょっと病みつきになりそうで危険だ。ほとんどの記事は10分以内で読めるものばかり。そうか、「過去の雑誌記事」から電子書籍に誘導、というキンドルの、これは仕掛けなのかも。ここから電子書籍までは、あと一歩だ。ウ〜ン、安直なキンドル利用は怖いところがあるかも。

2月21日 朝から夕方まで、お昼時間がとれないほど集中して仕事をしている。自慢しているように聞こえたら謝るが、「忙しい」のとはニュアンスが違う。やることがいっぱいあって、そのひとつひとつを潰していくうちに時間が飛び去っていく、という感じ。これなら経験あるでしょ。そんな日々がずっと続いている。振り返ると、その合間に、突発的な返品処理も春のDM通信制作も20枚の教育関係の依頼原稿も、ルーチン仕事の間隙をぬっていつのまにか終えさせていた。う〜ん、えらいぞジブン。ってやっぱり「自慢話」か。いま宇田智子さんの『那覇の市場で古本屋』(ボーダーインク)という本を読みおえたばかり。登場人物のかなりの人たちを知っていることに驚いた。出版の世界のすみっこで長く生きてきたんだなあ、としみじみ感じ入った次第。
(あ)

No685

「テレビリアリティ」の時代
(大和書房)
大見崇晴

 この半世紀にわたるテレビの時代を10年毎に区切り、各時代単位に意味づけ、テレビのブラウン管からから見た現代社会をあぶりだした、いわば日本文化論といった趣の本である。日本にはじめてリアクション芸人が登場したのが1950年代のテレビ界。プロレスというエンターテインメントから「ジェスチャー」の柳家金語楼が、その幕を開けた。この柳家金語楼こそリアクション芸人の元祖だという指摘は新鮮だ。そこからテレビ黄金時代の60年代が始まる。ここからはコント55号が登場、萩本欽一の時代が長く続く。本書の半分は萩本欽一にかかわる記述だといってもいいほどだ。萩本欽一論的な色彩が濃厚な本だったのは意外だ。60年代のコント55号(萩本)の登場を軸に、それ以後のテレビ芸人たちが比較検討されていく。1970年代も萩本のテレビ独壇場は続き、ほとんど彼の存在はテレビ界の神に近い。そして80年代、ビートたけしが登場する。彼の登場で萩本一色のテレビの風景は一挙に変貌する。90年代は「閉じこもるバラエティの時代」と銘打たれ、あいかわらずビートたけしは健在なものの、その間隙をぬってダウンタウンがのし上がってくる。彼ら若手の登場で、またしても笑いやバラエティの質は転換期を迎えることになる。そして0年代のインターネット時代へと移っていくわけだが、本書は「テレビ論」というよりは「テレビお笑い芸人論」といったほうが当たっている。時代の区切り目には吉本隆明やナンシー関の言説がちりばめられていて硬派の論客ぶりも垣間見える。

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