Vol.691 14年2月15日 週刊あんばい一本勝負 No.684


立春過ぎれば「ぬるさの気配」が

2月8日 油断すると仕事漬けの日々になる。来る日も来る日も事務所を1歩も出ない、なんていうことになりかねない。週末は意識して事務所に近づかない「努力」をしている。今日は朝からカミさんの送迎とユフォーレでストレッチ。午後からちょっぴり仕事、あとは来週締め切りの原稿を書く予定だ。ところで昨日、学生バイトたちとキンドルで遊んでいたら、そのベストセラー1位が例の全聾の作曲家のことを書いた文章だった。ためしに購入してみると(100円だった)、昨年10月に「新潮45」に掲載されたもの。去年の段階でもう彼のインチキはばれていたのだ。ようするに新潮が最初に火をつけ、漁夫の利は文春が得た、という構図なのだ。書いたのは野口剛夫さんという、音楽畑のやはり桐朋学園関係者。去年、発表時にこの雑誌を話題にしたマスコミは皆無だった。マスコミって頼りないよなあ。

2月9日 正月に風邪をひいて3日間寝ていた。そのときはやした無精ひげを実は今もそのままにしている。遠目に顎に白いものがちゃんと見えるから、それなりに「あごひげ」に見える。本人的にはあくまで無精ひげだ。最近、原稿や講演依頼が何件か舞い込んだ。人気のある人たちは忙しいので、ひまな私がピンチヒッターとして採用されているのかも。それはいいのだが、「最近撮った顔写真を」と要求されることが多い。HPの近影写真も2007年撮影だから、もう5年も前。思い切って、いつもの小阪カメラマンに頼んで顔写真を撮ってもらうことにした。でも、この無精ひげ、どうしようか。写真撮影のために剃るのも釈然としない。ひげ顔で撮ってしまうのも一興かナ。

2月10日 どこもかしこ「豪雪」の話題でもちきり。わが秋田市に限って言えば今年の積雪量は去年に比べて圧倒的に少ない。毎日の雪かきの徒労感や疲労感も例年に比べれば少ない、というのが実感だ。いやいや2月のドカ雪というのも定番なので、まだ断定も油断もできないが、いまのところ空模様は「猫を被っている」状態だ。昨日の山行は秋田市雄和の高尾山。山頂付近の大鳥居をみて、去年より鳥居の丈が高かった。去年の今頃はてっぺんの〆縄が雪すれすれで、鳥居をくぐるのに苦労した。今年はかがまなくても簡単にくぐれたから、やっぱり雪は、いまのところ少ないのだ。あくまで今のところ、だが。

2月11日 一日かけて20枚(400字)の原稿を書かなければならない。教育関係の硬い雑誌に載せるもので、テーマは「先生について」。もうまったく何も思い浮かばない。少年時代は「先生になりたい」と強く思っていたが、いつしか夢はねじ曲がり、あらぬ方向の荒野を目指す羽目になってしまった。「教師としての先生にこだわらなくてけっこうですから」という編集者の優しい言葉に、ついついフラフラと引き受けてしまったが、はてさて何を書いたらいいものやら。でもまあ、あまりいれこんで書きたいものを書きたいように書く時より、こうした崖っぷちの立ち位置で書くときのほうが、いい原稿を書けるときがある。そこに望みを託そう。

2月12日 祭日を丸々一日つかって原稿の七割ほどが完成した。20枚(400字詰め)を一日で、というのは無理がある。まあこんなもんだろう。この原稿を一週間寝かせ、ちょっとずつ直しや加筆をしながら、締め切りまで徐々に完成に近づけていく。なんだか、ほとんど漬物かチーズをつくっている感覚だ。書き終わった後、やったあ、と小躍りしたくなるような満足感のある原稿というのは、たいてい時間が経って読みなおすと、アラの目立つ噴飯ものであることが多い。基本的に、書き終わると信頼できる友人にファックスで読んでもらう。彼から思いもかけぬミスの指摘を受けることも多いが、そうなればなったで逆に安心できる。この中間的チェックがなければ大恥をかくところだったわけだから、当然である。お金をいただく仕事って、どんなことでもメチャ緊張する。

2月13日 1年ほど前までよく昼寝をした。事務所ソファーで30分から1時間ほど仮眠する。昼の散歩に疲れて2時間近く熟睡して、けっきょく夜眠られなくなることもあった。その昼寝、この1年、ほとんどしていない。なぜか昼飯後、眠くならないのだ。メシを食った後、睡魔が襲うということがまったくない。身体に何か変化が起きたのだろうか。ものの本によると、これはどうやらダイエット効果の一つらしい。ようするに昼にラーメンやチャーハンといった糖質のものをとらなくなった効果だというのだ。自分の身体を実験材料にして考えると、これはけっこう説得力がある。この3年ほど悩まされた首筋の冷えによる痛みも、今年になってぴたりと消えた。これも糖質と何か関連があるのだろうか。

2月14日 先人たちの知恵(暦)は侮れない。どんなに雪が降ろうと、立春を過ぎると冬の荒々しさのなかに、ゆるい日だまりのような気配がそこかしこにほの見えてくる。めっきり日が高くなった。夕方5時、外がまだ明るいのに気がついて、ほほがゆるむ。山行のため朝5時半に起きたら、もうちゃんとした朝の光が差し込みはじめていた。こんな何でもないことが、この年になると無性にうれしい。このところ散歩はもっぱら夜だが、久しぶりに天気もいいから昼に歩いてみようか。そうすればもっといろんなところに「ぬるさの気配」を発見できるかも。でも今日は学生アルバイトたちが来る日、ダメだなこりゃ。
(あ)

No684

天才 勝新太郎
(文春新書)
春日太一

 初版が出た2010年、読もうかなと食指が動いたのだが、なんとなくやめてしまった。当時も面白い本として話題になっていたのだが、勝新太郎自身にそれほど興味がなかった。「座頭市」の映画やテレビも一度も見たことがないし、あの人柄も今一つ好きになれなかった。食わず嫌いだったわけだが、本書を読むと勝という人物がいかに一芸に秀でた人物であったかが、余すことなく幾多のエピソードで明らかにされている。わたしたちが芸能人に持つイメージの99パーセントはマスメディアが作り上げた虚像である。それに騙されてはいけないということを本書で学んだ。印象に残ったエピソードは3つ。勝新太郎の豪遊伝説は事実だが、そのこと自体にさしたる意味はなく、とにかくまじめで仕事熱心がなせる業だったこと。同期であった市川雷蔵に敬意とコンプレックスを持っていたこと。黒沢監督との確執はドロドロしたものは何もなく、この本を読んでいれば、至極あっさり了解できる必然的な出来事だったこと。むしろ黒沢監督側のショックが浮き彫りにされているのが新鮮だ。書名に冠せられた「天才」という言葉が意味不明だったが、こと芸に関して勝新太郎という俳優は、だれもまねのできない域まで達した「職人(演出や演技)」だったことからつけられた賛辞だ。週刊詩的な伝説に流されることのない取材力で、稀代の俳優の生涯の側面を掬い取ったすぐれた人物論だ。

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