Vol.478 09年11月14日 週刊あんばい一本勝負 No.473


いやはや世の中どうなってるの?

体調不良が続き、そのため「ひきこもり症状」がでてしまった。暗く鬱屈した10月がようやく過ぎ去ったわけだが、11月になっても、まだ体調も精神も完全回復とは行かない。もしかするとその不調の一番の理由は、「読書の秋」なのに例年のように本が売れてくれないあたりに根本的な理由があるのかもしれない。

どこにも出かけず仕事場に閉じこもっていると仕事はドンドンはかどる。この1週間も11月下旬に出す予定の「冬のDM」作業に没頭、ほとんどケリをつけて印刷所に渡した。短期間に能率的に作業をこなすことができて大満足なのだが、その中身はというと胸を張ってばかりもいられない。今回は「新刊ゼロ」という不名誉な記録を作ってしまったのだ。昔出たものの、ほとんど宣伝の出来なかった本で、いまもコンスタントに売れ続けているものを中心に、どうにかDM販促チラシを作ったのだが、新鮮味はないものの、けっこう懐の深いロングセラーのラインナップが出来た。怪我の功名といったところか。

それにしても金をかけて積極果敢に新聞広告を打ち、販売促進に精力的に取り組んだのだが、まったくといっていいほど世間様は無反応。こうした経験はこれまでの長い編集者生活でも経験したことがない。とにかく球を投げても球が返ってこないのだからキャッチボールが成立しないのだ。戸惑うばかりで、何の有効な対策も打てないのが現状だ。日本人はもう本を読む習慣を放棄したのか、とまで大げさに嘆きたくなる。

とくに、わが地元、秋田県の無反応というのは筋金入りだ。県自体の疲弊というか、ノンリアクション、無気力、諦観は、もうかなりの強度で壁をつくっている。仕事場に来る他の職業の人たちも口をそろえて、「まったく売れない」「注文がほとんど来ない」の大合唱。その気持ちはよくわかるのだが、俗に言う不況の影響という理由だけで納得できない、もっと大きな地殻変動がはじまっているのではないのだろうか。もしかすると民主党政権への移行という「革命」も何か関係があるのかもしれない。よくわからない。
(あ)

No.473

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
(東京書籍)
藤原新也

 リアル書店で本を買うことはほとんどない。昔から本屋はそう好きな場所ではなかった。どうしても自分の作った本と比べてしまうから、本屋でコンプレックスが助長されてしまうのだ。ネットで本を買うようになって、ますます足は本屋から遠ざかった。それで不自由は感じなかったのだが、たまに旅に出るとフラリと本屋さんに入る。そこでネットで買えなかった本に出会い、衝動買いする。仙台や盛岡では行く書店が決まっている。ネットとは一味も二味も違った構成のタナのある書店である。本書も盛岡駅中にあるさわや書店で衝動買いしたものだ。さっそく電車の中で最初のエッセー「尾瀬に死す」を読み、あまりのおもしろさにグラリ。さすが藤原新也、脱帽である。が、最初のエッセーがあまりに面白すぎで、そのあとのエッセーに少々ものたらなさも感じた。読者はわがまま。しかし本書の面白さは以前も他の本で味わっている。上原隆の幻冬舎からでている文庫本、「喜びは悲しみのあとで」や「友がみな我よりえらく見える日は」だ。本書と上原本のテイストにはかなり通底するものがある。藤原新也のほかの本も読んでみたくなった。

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