Vol.194 04年5月22日 週刊あんばい一本勝負 No.190


沖縄の出版社の東京旅行

 沖縄の出版社ボーダーインクの皆さん(総勢7名)が東京2泊3日の社員旅行、と聞いて東京案内を買って出ました。沖縄の人を秋田の人間が東京案内するというのも変な話ですが、神保町の本屋さんや出版社、神楽坂周辺の取引関係先を主に回るだけなので、これなら当方にもできます。これまで4度ほど沖縄を訪れていますが、行くたびにボーダーインクの人たちの世話になり、帰り際にはいつも「秋田にもぜひおいでください」というのですが、まあ沖縄の人が秋田に来るというのは10に8,9の確率もありません。これはソウルやニューヨークに行ったときも同じで、皆さん東京には頻繁に来る機会がありますが、秋田までわざわざ、という方はほとんどいません。ですから当方はいつも遠方で世話になるたびに「単なる社交辞令」ばかり言っている、といわれても言い訳できません。
 そこで今回はお世話なりっぱなし疑惑を晴らすため、微力ながら研修旅行のお手伝いをさせてもらいました。一日目はお疲れのなか東京事務所まで来ていただき、近くの居酒屋で宴会。2日目は自由行動の後、夕方から神保町「アクセス」に集合し本屋や版元を見学後、神保町の焼き鳥屋で、大勢の本屋さんや編集者らに集まっていただいて宴会という2日間でした。元気のいい熱い風が東京の一隅に駆け抜けました。
(あ)

ボーダーインクの東京旅行から

2つの不思議な食べ物

 東京であいついで不思議な、といいますか印象深い食べ物をいただきました。ひとつは神保町にある「揚子江飯店」の「冷やし中華」。1400円とけっこうな値段なのですが、なんとこの店の「冷やし中華」が元祖でここが発祥の地なのだそうです。これだけでは不思議でもなんでもないのですが、実は東北の人間はずっと「冷やし中華は仙台が発祥の地」と何となく思い込んでいたところがあり(どうも違うようです)、ここが元祖ということをまったく知りませんでした。2つ目は根津の坂の上にある「愛玉子」という台湾カフェ店で、その名も愛玉子(オーギャクジーといったかな、ちょっと読み方忘れました)というフルーツのデザートで、まったくはじめて味わう食感でした。台湾カフェなんていうとわざと昔風にこしらえたモダンな若者向きの店のようですが、これが戦前からそのまま残っている建物で、時代に取り残され、古色蒼然とした、でも威厳と宗教性すら感じる空間とメニューの品書きを見て、半世紀前の田舎にあった喫茶店にタイムスリップしてしまいました。この2つの食べ物は東京でどちらも半世紀から1世紀近くも食べ続けられてきた、激動の歴史を潜り抜けてきた食べ物です。そうした事実の前に気圧されて、ちゃんと味わう余裕もなかったせいか、うまかったのかどうかまでは、とてもいうことができないのが辛いところです。
(あ)
半世紀以上生き残った食べ物

今週の花

 今週の花は、ひまわり、マーガレット、芍薬、紅花、レインボー入才蘭。紅花は菊科の花。原産地はエジプトで、日本に入ってきたのは飛鳥時代。別名「末摘花(すえつむはな)」といい、『源氏物語』にも出てきます。今では山形県の花というイメージが定着しました。山形県に紅花が入ってきたのは室町時代末期で、江戸時代には山形の紅花が京都や大坂で人気で、紅花を原料とした口紅や頬紅は「紅一匁 金一匁」と言われるほど高価でした。山形(特に最上川流域)で、紅花の栽培が盛んだった理由は、気候や土壌が栽培に適していたということもありますが、最上川の舟運を利用した流通ルートが確立していたことも一因のようです。ところで、「ベニバナなのに花が黄色い」と思いませんか。花の色は最初は黄色で徐々に紅色に変わるんだそうです。
(富)

No.190

昭和史(平凡社)
半藤一利

 日露戦争から語り起こし、310万人の死者を出した太平洋戦争の終結まで、「なぜ日本人はあのように馬鹿な戦争をしたのか」という一点に絞って、説得力のある資料的裏付けを加味しながら「戦争」を語っている。とにかくわかりやすい。難しい表現もなく専門用語や人名、地名から軍事用語まで噛み砕かれて表記されている。従来の戦争や歴史物の本と一味も二味も違うのは、この本が活字として書き起こされたものではなく、少人数の親しい人を前に語られたことを「第3者が書き写した」もの、という点だろう。語った本人でなく聴講した側が自分たちの興味と関心にそって活字化したのだからわかりにくいはずがない。著者は原稿に完成度を強く求める生き物なので結果、文章が複雑で難解なものになる。かといって何でもかんでもその手法が使えるわけではない。今回のような複雑怪奇な歴史のダイナミズムを理解するためには、この方法がぴたっとはまった。それにしても日本の戦争にソ連のスターリンがこれほどまで深く関与していたとは驚きだった。戦争を引き起こしたのは「国民的熱狂」だった。と著者は断言している。歴史に学べという教訓は今も生きている。人に薦めたくなる(特に子供に)いい本だ。

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