Vol.1313 2026年2月28日 週刊あんばい一本勝負 No.1305

白鳥がうるさい日々

2月21日 オリンピック、早く終わってくれないかなあ。ようやく春の兆しが感じられるようになってきた。今日も寝室や書斎の窓を開け放ち、冬の気配を一掃した。冬の間、窓を開けたのは2度だけ。これは雪国に生まれ育った人間にしかわからない感覚かもしれない。とにかく太陽が顔を出しているだけで何か特別なプレゼントをもらった気分になるのだから、安上がりだ。これで仕事がバンバン入ってこれば、この世は天国なのだが、そううまく世の中はできていない。毎週一回、昼食用食材をスーパーに買いに行くのだが5千円でおつりがくることはめったにない。お金の価値がコロナ前の半分になってしまった。

2月22日 数日前から頭上で白鳥の「ガアガア」と汚い鳴き声が聴こえる。医学部裏手の広大な田んぼは絶好の餌場なのだが、まだ雪に埋もれている。どこで餌を食べているのだろう。今日は図書館に行って調べものをしたいのだが、こちらのほうは日曜なので駐車場が満杯の恐れもある。あれやこれや考え込むと、いつものように仕事場で、為すこともなく鼻くそをほじくって時間をやり過ごすことになる。書を捨てて街に出よ!

2月23日 毎週一度、ヨーグルトを自分で作っている。家でもカミさんが朝ごはんに食べるので、この2人分をヨーグルトメーカー(アイリス)で作っているのだ。毎週900mlの「おいしい牛乳」を4本消費する。この牛乳を買うために散歩帰りにコンビニに寄るのだが、牛乳ために散歩をしていると感じるときすらある。ヨーグルト以外にも、朝はトマトジュースに混ぜた黒酢50mlを飲む。この鹿児島産の酢の消費量もハンパではない。一升瓶3本を一回で注文するのだが、値段もバカにならない。ヨーグルトも黒酢も乳酸系食品だ。飲み始めたきっかけは「秋田県人は乳酸発酵食品を嫌う」というデータを見て、自分に当てはまったので飲むようになった。もう長く続けている習慣なので健康にいいのかどうかは、わからない。やめることのほうが恐怖なので、惰性で続けている。

2月24日 白鳥の鳴き声が朝夕うるさい、と書いたばかりだが、どうにも時期的に考えるとヘンだ。いったいこの白鳥たちはどこへ行くために鳴いているのか。朝、鳴き声と同時に外に飛び出し、空を見上げて、驚いた。鳴いていたのは「たった一羽」だけだった。基本的には集団で飛ぶものだと思っていたのだが、白鳥はこのあたりに住み着いた、というか集団から「はぐれたやつ」のようなのだ。その一羽の周りを興味深そうにカラスが冷やかしで飛んでいた。それに対抗するように、白鳥はガアガア鳴いている。なんだか哀れで寂しげな声だなあ、と思ったのは間違っていなかった。

2月25日 朝、新聞を読むのはラ・テ欄から。このところオリンピックで面白い番組はほとんどなかった。今日はBS映画で「昼下がりの情事」がある。このところ映画はTV放映されるもので十分だ。わざわざアマゾン・プライムだネットフリックスだと騒ぐ必要がない。先日も「ひまわり」や「パピヨン」をテレビで観た。この年になると、いかに名作と言われる映画でも欠陥やアラもちゃんとわかるようになる。ソファー・ローレンのアクの強さには辟易するし、ステーブ・マックインは、この撮影時にアスベストに侵されていたのだろうかとか、冷静にいろんな背景を読みながら、観ることができる。

2月26日 一か月に一度くらい眠られない夜がある。たいていは「食べすぎ」の胸焼けが原因で、繊細さとは無縁なのが恥ずかしい。昨夜も一睡もできなかった。前の日にテレビで耳にした俵万智の、「母が言う〈もう充分に生きたから、早く死にたい〉はデッドボール 打ち返せない」)という短歌が、頭で鳴り響いたせいだ(歌が正確かは自信ない)。その直前に観た黒澤明の映画『生きる』の影響もあったのかもしれない。『生きる』はガン宣告された市役所職員の最後の生のあがきを描いたものだが、主人公の年齢は50代だろう。この年齢で死刑宣告を受けると、やはり人間は動揺する。そのへんを映画はよく描いている。

2月27日 ボーっとしている時間が増えてる。例えば朝起きるとき。起きる前に今日一日のことをシュミレーションするのだが、すぐに横道にそれ、考えは枝分かれして、収拾がつかないまま、時間が過ぎていく。仕事をしているときも行動に移る前、段取りを頭で整理しようとすると、横道にそれ、段取りと関係ないことを考えだしてしまう。車の乗り降りも同じ。運転席に座ってエンジンをかけるまで、ボーっとしていることが多い。若いころはこんな悠長な時間はなかったよな、と考えれば納得いくが、心配なのは頭の中だけでなく、体のほうも反応は確実に鈍くなりつつあることだ。

(あ)

No.1305

どくろ杯
(中公文庫)
金子光晴
 読み始めたら独特の文体リズムに乗せられ、最後まで読み通してしまった。昭和3年、夫人の森三千代と上海に渡り、窮乏の中をしぶとく生き延び、満州と支那大陸に戦火のはじまる昭和7年に帰国する。その壮絶な異境放浪記は、金子が33歳の時からはじまっている。しかし「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」という自伝3部作としてその旅紀行が書かれたのは金子が70歳になってからだ。40年もの時間をおいて書かれた青春紀行というのもすごい。本書はその最初の2年間の記録だ。旅は下駄ばきで散歩に出るような気軽さで、異国での深刻な窮乏と臨場感ある地獄絵図も、まるで他人事のようにふりかえる。その過去の壮絶な時間も、40年も時間を経ていれば、また生きなおすかのように、のめり込んで創作できる、ということなのだろうか。それにしても、思い出を語るなどという甘ったるい感傷は文中に見つからない。この時期、金子は、生活的にも窮乏のどん底で、妻との関係も深刻な危機、詩人としても行き詰っていた。窮余の一策として、死地に生を求めるような賭けが、この逃避行だったのだ。出発の5年前に関東大震災があり、青春時代の自己形成期に大正時代という自由な思想を呼吸したことも日本脱出の背景にはある。妻の故郷である長崎から上海まで船で1日半で上陸できたから、海外旅行への抵抗はない。上海からマレー、マレーからヨーロッパへ旅立つところで本書は終わる。

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