Vol.1100 22年1月29日 週刊あんばい一本勝負 No.1092

生体検査はシロだったが…

1月22日 散歩に軽アイゼンを履く。アイスバーンの怖さは何度も転倒を経験して身に染みている。これでかなり精神的に歩くことが楽になったが問題もある。商店街は除雪されているので、アイゼンでは歩きにくい。そこで除雪していない小路を選んで歩くのだが、これでずいぶん長い距離を歩くことになってしまった。軽アイゼンは雨の下山時に滑らないように使ぐらいで倉庫に眠っていたもの。同じように緊急防寒用にザックに入れてある携帯用ダウンジャケットも散歩用に転向させた。もう10年以上ザックの肥やしになりかけていたのだが、何でも使えるものは使うしかない。

1月23日 大森山動物公園スノーハイク。ほとんど登りのない平坦な雪道だが、彫刻の森があり、テレビ局の電波塔があり、小さな子供たちがそり遊びできる小さな坂がたくさんある。ここをゆっくり1時間ちょっとかけ一周し、駐車場近くの四阿でラーメンランチ。メンマもネギもチャーシューも手作り持参(Sシェフ)で、これがまた特別にうまい。温泉は「秋田温泉プラザ」で入湯料600円と高いのだが、それだけの価値はある設備とお湯の質だ。

1月24日 コンビニで勢いよく「トイレ借ります!」と入ってきた人がいた。「へぇー、こんな前振りがありなんだ」とちょっと驚いた。近所にはツララの下がっている家と、下がっていない家がある。「陽当たりの関係かな」と考えていたのだが、Sシェフから「新築の家は断熱がしっかりしているのでツララがない」と教えてもらった。事務所の屋根の雪は積もるとすぐ滑り落ちる。屋根の角度や構造に問題があるのではと疑っていたが、これも四六時中、暖房を使っているせいで屋根の雪が落ちやすくなっているのだそうだ。

1月25日 2週間前、健康診断で異常があり胃カメラをのむ再診を受けた。診断は「食道に潰瘍ができている」とのことで、その潰瘍の生体検査の結果発表が今日だった。たいしたことはないと思っていたが、あらためて医師の宣告を聞くというのは、まあ気持ちのいいものではない。幸いなことに「悪性のものではない」とのこと。このまま半年間、お薬をのみながら、また半年後には胃カメラをのまなければならない。

1月26日 昨日につづき今日は歯医者さん。毎日が病院通い、という領域に入りつつある。ある本で読んだのだが、江戸時代は「老後」という言葉はなく、「老入」(おいれ)といったそうだ。「老いに入る」という意味で、こちらの方が適切で優しいニュアンスがある。老後という言葉はちょっと汚い感じがある。

1月27日 歯ぐきの炎症を治療し、前歯のぐらつきも固定してもらったら、食事が楽しくなった。先日の食道炎の潰瘍も、もとをただせばこの歯のかみ合わせが悪かったせいではないか、と思い付いた。素人目には歯と食道はつながっている。食道炎の炎症を抑えるために処方してもらった薬は、3年ほど前に除去したピロリ菌のとき食道逆流を抑えるために飲んでいた薬と同じだった。ということは今回の食道炎の原因はピロリ菌除去にあった……!? これだとなんだか理屈のつじつまが合う。ピロリ菌除去の副作用として食道性逆流が起き、それが原因で潰瘍ができたと考えると納得がいく。それに拍車をかけたのが歯の不具合だった、という素人の謎解きだ。

1月28日 夜半から深々と雪が降り続けている。もう70回以上、こうした冬と雪と寒さを心身に刻印してきた。慣れているとはいっても、受け身のこちらは年々劣化するだけの「物体」だ。怯えや不安、徒労や諦観は年とともに深くなるばかり。豪雪のいいところは夏場の水不足の心配がないことぐらいだ。コロナとこの豪雪で自由な外出もままならない。こんな時はひたすら書斎やシャチョー室、寝室の掃除にいそしむ。身辺をきれいにして、精神を安定させ、本や映画に身をゆだねる。もうそんなことしか考えつかない日々だ。

(あ)

No.1092

火花――北条民雄の生涯
(角川文庫)
高山文彦

 用意周到に去年の売れ筋を雑誌のベストテン特集でチャックして、そこの情報を中心にリストアップして枕元に用意したのだが、どれも中途半端で、感動の余韻冷めやらず、という本はなし。すぐに方向転換し、気になってまだ読んでない過去の本に白羽の矢を立て読みだしたのが本書だ。もう評価の定着した名著だから、これなら当たりはずれはない。昭和初期、らい患者として差別と病魔の戦いの中で小説を書き23歳で夭逝した「天才作家」のドキュメンタリーだ。あまりに暗いテーマなので、これまで手に取るのを憚っていたが、読むならコロナ禍の今しかない。川端康成との友情物語の側面も持っていて、これは意外で興味深かった。逆に志賀直哉がいかに軟弱でえせヒューマニストかというのも、ちょっぴりだが触れられている。それにしても太平洋戦争に突入する前夜の、日本人のらい患者へのすさまじい差別と偏見の実態がよく分かる。ハンセン病は不治の病ではなく伝染病だ。戦後アメリカからプロミンという特効薬が現れ、そのことが初めて明らかになるまで、らいに罹ることはほとんど死を宣告されるに等しかったのだ。そして「らい予防法」が廃止されたのは戦後50年もたってからのことだった。知らなかったとはいえ、もう少し早くこの本を読むべきだった。

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