Vol.1087 21年10月30日 週刊あんばい一本勝負 No.1079

かならず青になる信号機

10月23日 来年、創業50年を迎える。その時のために「50年史」を編んでいる。前半の30年分はすでに出版済みで、後半の現在までの20年間を編集しているわけだが、この後半戦は、ほとんど悪戦苦闘の日々といっていい。個人的にはやたらと県内外に小旅行をしているのはどうしたわけだろう。家や事務所のリフォーム、改修工事をのべつ幕なし、毎年のように行っている理由もよくわからない。その一方で出版点数はガクンガクンと年を経るごとに減っている。こうして俯瞰的視点から自分のしてきた仕事の年月を見直すと、意外なことに多く気付かされ、驚くことも少なくない。結局は時代の大きな流れに翻弄される木の葉の一枚に過ぎないのだが……。

10月24日 週末は料理三昧。まずは昼の定番カンテンつくり。次はお米。焚いておにぎりを作り冷凍(5合)する。卵は5個を目玉焼きにして残りの5個はゆで卵に。ハイボールや紅茶用にレモンのスライスも作って冷凍。毎日食卓に上がるヨーグルトも自家製で1リットルの牛乳を最低3本は使う。ソーセージは輪切りにして焼いたものをタッパに保存。豚肉ロースの生姜炒めや三枚肉のカリカリベーコンも酒のアテようだ。最後の一品はポテトサラダ。まったく火を使わず、レンジだけで作るやつだ。こんな具合で私の週末の半日はつぶれてしまう。

10月25日 散歩の途中に「かならず青になる信号機」がある。この場所では「待った」記憶がない。普段から霊魂とか占いとか奇跡とか、新興宗教のようなことは大嫌いだ。でもこの信号機だけは理屈だけでは割り切れない。ここ数年、ほとんど親交のなかったA君が山歩きの時などに、しきりに脳裏をよぎる。なんでだろうと思っていたのだが、最近A君はわたしの近所に引っ越していた……これって霊感なの? 確かに、科学的に証明できない不可思議な現象が身の回りには時々起こる。肉親の死に関しても、なんとなく死を予感させるような出来事が身の回りに起きる例は、よく聞く。言葉にすれば「気配」とでも言うしかない現象だが、確かにこれはあるよね。

10月26日 皇室の結婚問題が報じられ、「上皇」という言葉も人口に膾炙している。明治以降、天皇の譲位というのはなく上皇の復活というのは180年ぶりだ。院政は江戸時代19世紀初頭の光格院政が最後で彼の死とともに終わっている。中世という時代は「院政」とともに始まった。天皇は万世一系といわれるが、実は天皇よりも上皇が権力を持つ伝統のほうが長く続いている。天皇は公的な地位で律令制度の規制の中にいる。ところが上皇は「天皇の父」という私的な存在で、なににも規制されない。そこで朝廷の人事や政策に自由に口出しができたため上皇になりたがった。江戸時代に入っても、その院政が続いていた事実にちょっとビックリだ。

10月27日 タコが大好物だ。とくに桜煮が好きで小料理屋でこれがあれば必ず注文する。先日、山仲間が型のいいタコを持ってきてくれた。塩コショウしてオリーブオイルとレモンをたっぷり絞りカルパッチョで食べた。寿司屋に行くことがほとんどないのは、行ってもタコとイカしか食べないからだ。高級なネタは貧乏性なので食べられない。だから寿司屋に行ってもつまらない。タコがあれば何もいらない。

10月28日 ロイター発の「北欧のバイキングがコロンブスの大西洋横断よりはるか前に新世界に到達していた」というニュースには驚いた。カナダ・ニューファンドランド島のランス・オ・メドー集落遺跡について、そこで使用されていた木材が11世紀前半のものであることが英科学誌ネイチャーに発表された。放射性炭素の年代測定法により、使われた木材は1021年に伐採されたものと判明、木材には金属製の刃の痕跡があることから伐採したのが先住民ではないことが分かった。コロンブスの大西洋横断は1492年、その400年以上前にバイキングは新大陸を見つけていたのだ。放射性炭素の年代測定法は太陽風で残される木の年輪を測定するもの。この技術もすごい。

10月29日 自分にはなにほどの才能もない、と遅まきながら気が付いた時、「健康で長生きするしか手はないナ」とボンヤリ考えた。才能のある人たちと同じ土俵の上で勝負して、なんとか8勝7敗で生きのびていく。才能のある人たちだって永遠に、その持って生まれた能力で生きていけるわけではない。いずれ力尽き、老い、劣化する。その時にカメ(私です)は彼らに少しは近づくことはできるはずだ。それが希望だった。しかし古希を超えた今、同時代の俊英たちはまだずっと先にいて走り続けている。健康だけではとても追いつけない彼我の格差がある。
(あ)

No.1079

桃尻語訳 枕草子
(河出文庫)
橋本治

 いま上巻を読み終わったところで、まだ中下巻が残っている。楽しみは長く続いた方がいい。この本は過去に何度かチャレンジしてザセツしているのだが、今回は最後まで行けそうだ。山城取材でこの時代の風俗、文化に興味がわいてきたのが大きいようだ。橋本治の「迷訳」だが、本文以外の「注」が長くて、くどくて、でもこれが実に勉強になる。知らないことばかりなのだ。橋本は清少納言の価値観は「ミーハー」で「センチメンタリズム」「小姑根性」の三つで、これを冷静な観察力がつなげているという。平安時代のわかりにくい位階や専門用語を丁寧に解説してくれながら訳が進むのでわかりやすい。当時の内裏の生活様式や慣習、朝廷言語を独特のギャル語で読んでいると、次第に得難い体験をしているような気分になるから不思議だ。それにしても清少納言は徹底的にミーハーだ。男の顔がいいとか、服のセンスがどうのこうのとか、見た目の男女の描写だけが異常に多い。千年後の今の少女漫画も顔負けである。当時の政治状況や権力闘争に知らんふりを決め込んでいるのも、特別の事情があったのだろう。まあ藤原道長の時代(摂関政治)だから、平安朝貴族文化が花咲いた平和で豊かな時代だったのだろう。上巻の巻末に記された橋本の解説「女の時代の男たち」が当時の時代状況をわかりやすくガイドしていて秀逸だ。

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